baroque -1-
次に目覚めた時、室内は暗くなっており時間はわからなかった。
割れるような頭の痛みに顔をしかめながら汀はため息をつく。室内を見回すと小さなテレビ画面ほどの光が目に入る。パソコン画面の光に似ていると思ったとき、低い声が響いて汀は思わず肩を抱いた。
「陰陽寮占師補佐官付占師呉崎汀」
声は汀の経歴を淡々と読み上げていく。その内容が陰陽寮に提出した身上書と同一であることに気づいた汀は悪寒とは明らかに異なる寒気を感じて光の方向を見つめていた。
声の主は白花しかいない。
「――やっぱりあんた、嘘をついたな」
ぱちぱちと何かが弾けるような音がしたかと思うと部屋でも見た赤い光がぼうと浮いて室内を照らした。白花はノートパソコンを見ていたが興味が失せたとでも言うかのように投げ捨てる。
がしゃ、という音がしてモニターの白い光が消えた。
「猫の下で働いてるんだろ。知らない訳ないよな」
汀が口をつぐんでいると白花は嘲りを含んだ声で言葉を続ける。
「ま、あそこまで猫の匂いをつけておいて知りませんは通らないけどな。そこまでしてあんな化物をかばい立てする義理もないと思うが」
化物という単語に汀は顔を上げた。赤い光で妖しい影がちらちらとうごめく中、白花は鉄の残骸に座って汀を見つめている。
「……何だ? 何か言いたいことでもあるのか」
言葉が乾いた喉に引っかかって上手く言葉が出ない。何度か咳をして汀は喉に手を当てた。
「あの人は、化物なんかじゃない」
自分でも驚くほどしゃがれた声が部屋に響く。喉が苦しくてむせるようにせき込む汀に白花は眉をひそめた。
「猫を人と呼ぶのか? あれは人喰いだ。化物だ。遠からずあんたも喰う気でいるだろうさ」
「――違う!」
毛布を握りしめて汀は白花を見据えた。白花は「主」の事を言っているのだろう。
青花は食べたくて食べたのではないと言っていた。他でもない主の命だから――
「好きで食べたんじゃない。命じられたから食べたって聞いた」
「猫の言葉を信じるな。長く生きたあやかしは総じて狡猾なものだ。特に猫はな」
「……食べたくなかったって言ってた。でも、ご主人さんの命には逆らうことができないから」
言葉の途中で白花は足元にある鉄の塊を蹴り飛ばした。室内に耳障りな音が反響し、汀は体をすくませる。
「だから? だから何だって? 命を良いことに喰ったに決まってるだろ! あんたに何がわかる!」
白花はいらだちをぶつけるように鉄の塊を蹴り続け、しばらく激しい音が続いた。汀は耳をふさいで目を閉じる。
怖い。嫌だ。
鼻の奥がつんとして涙がにじみそうになる。それでも汀は目を開いた。
「違う!」
叫ぶとまた咳が止まらなくなる。体を抱え、背を丸めてせき込んでいた汀は激しい音が止んだ事に気がついた。
「――何が、違うんだ」
間近で聞こえる白花の声に顔を上げると白花がすぐ近くで汀を見下ろしている。赤い光を背に立つその姿は汀にとっては禍々しいものに映った。
「言え。何が違う」
白花の険しい目に体の震えが止まらない。震えながらも汀は白花の険しい視線を真っ向から受け止めた。
「人間の感情も肉体も記憶も欲しくなかった。そう言ってた。犬にやるべきだったとも言ってた……あなたに、何がわかるの。あの人ずっと一人だった。陰陽寮でご主人さんの仕事引き継いで、ご主人さんの姿でずっと一人だった。あの人がどんな声であなたにあげれば良かったって言ったかわかる? あの人は悲しかったし、今だって悲しんでる!」
激しい口調で言い放った汀は再び激しくせき込む。そんな汀に口元を歪めた白花は笑っているような、泣いているような声音で呟いた。
「……あんたは猫を哀れんでいるのか?」