独白
頭が割れるように痛い。それに、寒い。
時間を確かめようと手を伸ばした汀は固い何かに手をぶつけた痛みに目を開く。
寝起きの目にかすんで見える光景は明らかに自室ではなかった。
コンクリートと機械の残骸、灰色と錆色の色彩。汀はコンクリートに敷かれた毛布の上で体を起こす。自分の身の上に起きたことはどうやら夢ではなかったらしい。白花と名乗った犬神の姿はないが、目覚めたのがいつものベッドではないということで現実を受け入れることができた。
どうしたらいいのかと考えてみるが上手くまとまらない。頭が痛いしぼおっとするし、何よりも寒くて体中が痛い。肌に触れる部屋着でさえ痛いと感じる。
熱があるのだろうなと他人事のように思い、ゆっくりと立ち上がる。高い位置にある窓から差し込む光は明るく、少なくとも今が昼間であることは確認できた。
光の中で舞う埃がきらきらときらめく。
ぼんやりと窓を眺めていた汀は無断欠勤している事にようやく思い至る。青花はどうしているのだろう。
欠勤の連絡を入れない助手に呆れているのか、何も思わず業務を進めているのか。
室内を確認してみると窓は高い位置にあり扉は一つしかない。ここから逃げるためには扉から出るしかないようだ……汀は扉へと歩き、押したり引いたりして扉に鍵がかかっている事を確認するとため息をついた。
拳で扉を何度か叩いてみたが当然の事ながらびくともしない。
機械の残骸からパイプのような物を引きずり出して叩きつけたり、部品の固まりを投げつけたりしたが耳障りな音が響くだけで扉には何の変化もない。
頭痛はひどくなり、立っているのも辛かった。
それでも窓に向かって握り拳大の鉄の塊を投げてみたが窓にはかすりもしない。もし、窓が割れたとしても壁を上らねばならないし、足がかりになりそうな物は汀一人の力で動かすことは困難なものばかりだった。その上高さが足りない。
汀は重いからだを引きずるようにして目覚めた場所まで戻ると毛布を引き寄せて体に巻き付けてから壁に背中を預けた。汚れているだろうがないよりましだ。
毛布一枚ではコンクリートの冷たさを防ぐことはできない。背中からも尻からも寒さが伝わり、ぞくぞくした寒気がおそってくる。
一人ではここから逃げるのは無理だ。体調が良くても無理だろう。体調の悪さも手伝ってか、投げやりな気分に襲われた汀は深くため息をついて目を閉じる。
犬神はどこへ行ったのだろうか。
白花の炯々と光る赤い瞳と狂ったような哄笑が恐ろしく、汀は自分で自分の肩を抱いた。こんなところに自分を連れてきてどうしようと言うのだろう。しきりに猫を呼べと言っていたから、青花を呼び出す為に使われるのかもしれない。
汀は震えながらも青花を絶対に呼ばない、と決めた。何をされるのかわからないが、耐えられるところまでは耐えてみようと思った。
青花と白花の主は陰陽寮の人間だった。青花が今でも陰陽寮にいることぐらいは少し考えればすぐわかることだろう。それなのに白花は陰陽寮を襲わず汀をさらった。目的があるに違いないし、汀にある価値と言えば青花の助手であることぐらいだ。
しかし助手がさらわれたからと言ってあの青花が助けにくるとは考えづらい。いつだって理知的に物事を進めようとする化猫が自分の不利益になるような事をするだろうか。
――薄情だとは思わない。青花に人間と同じ感情を求めることが間違っている。自分たちは全く別の生き物で、何もかも違う。今まで一緒にいて理解した事はたったそれだけで、それがすべてだ。
それに、犬神には会わせたくなかった。だから助けになんかこなくていい。誰かが傷つくところを見るのは嫌だ。それが青花ならなお嫌だ。だから、青花にはどこまでも理知的でいてほしい。
助けになど、こなくていい。
小さく呟いて汀は笑った。
青花には京にいてほしい。自分が京から去ってしまっても、この世界から消えてしまっても京で月や朝焼けを眺めていてほしい。
白く柔らかな髪に獣の大きな耳、きらきら光る宝石のような色違いの目。人の姿であろうがあやかしの姿であろうが変わらない冷たくかすかな笑み。冷たい肌と悲しげな言葉。
許されるなら、傍にいたかった。