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死神の娘  作者: 正木花南
6/20

祟り神

 思い立つとじっとしていられない性分の汀はネットでレシピを調べたり、書店でケーキのレシピ本を立ち読みしたりして週末を過ごした。甘くなくても美味しいケーキを作るなら、チョコ系のケーキが良さそうだ。

 アルコールは嫌いではないようなので、ラム酒を多く入れてもいいだろう。本当ならオレンジピールを入れたいが、猫は柑橘系の香りを嫌うらしいのでやめておいた方が無難かもしれない……

 近頃、野菜を購入している百貨店に製菓材料を扱うテナントが入った。買い物ついでにテナントを覗いてみると、チョコやココアパウダーの品ぞろえがかなり多くてつい長居してしまった。小麦粉や焼き型なども取り扱っている。

 別に食べてくれなくてもいいけど、と汀は心の中で呟いた。

 青花のためと言うよりも、自己満足の為に作るようなものだ。もちろん、一口でも食べてくれたら嬉しいし「君が作った物ならなんでも食べる」と言われたこともあるので食べてくれるかもしれないという期待も少し、している。味に関してのコメントはないだろうが、恋人達が浮かれるイベントにちょっとぐらい便乗してみたい。

 きっと、そんな感じで時間は過ぎていくのだと汀は泡立て器を手にしたままため息をついた。

 上司と助手という関係のまま何年か……もしかしたら何ヶ月かを過ごしてある日、助手という立場を解任されるだろう。陰陽寮で働き続けることはできるかもしれないが、恐らく青花の助手には戻れない。

 人間同士のように、ずっと一緒にいることなんてできない。汀が望んでも青花が望まない。それに、一緒にいたいと思う気持ちも汀の自己満足なのだから、青花に押しつけることはできない。

 青花にとって汀はただの助手なのかもしれないが、汀にとって青花はただの上司ではなかった。しかしそれを伝えたところで青花の何が変わるわけでもない。きっと淡々とした口調で、君は人間なのだからと諭されるだけだ。ほぼ毎日顔を合わせていれば、それぐらいのことは予想がつく。

 それならこのままでいい。助手として一緒に仕事をしたり外回りに出かけたり、時々食事に連れていってもらって少しだけ嬉しくなれたらそれでいい。

 泡立て器を戻した汀は百貨店を出た。

 冬の到来を告げる冷たい風までもが楽しいと言わんばかりの恋人達とすれ違いながらマンションに戻ろうとして、途中でコンビニエンスストアに寄り道をしてみた。

 寒風の中、犬は毛布の上に伏せていた。誰かが毛布を差し入れてくれたのだろう。


 「寒いね」


 かがんで声をかけると犬は耳を動かしてから目を開いた。明るい茶色の目がじっと汀を見つめている。


 「毛布もらったんだ。よかったね」


 犬の頭を撫でるが様子がおかしい。いつもなら声をかけたり頭を撫でれば尻尾を振っていたのに今日は尻尾を振ってくれない。それに、妙に見つめられている気がする。

 犬は人間の表情をよく観察する生き物だが、それとは違うような気がした。しかし明確な違いがよくわからず、汀は立ち上がる。


 「じゃあね、また明日」


 もう一度犬の頭を撫でた汀はマンションに戻った。寒くなったから犬も動くのが面倒なのだろう、そんなことを思いながら。

 ――深夜、体を強く揺すぶられて汀は目を覚ました。ぼんやりとしていたのは一瞬で、次の瞬間に汀はベッドの端に飛び退くようにして逃げる。

 このマンションはオートロックだし、玄関の鍵も閉めたはずだ。ベランダや窓も寒いからと閉め切っている。あやかし除けは当然、完備されている。誰かに合い鍵を渡している訳でもない。

 つまり、こんな時間に自分を起こす人はいない。

 誰、と言おうとしたがふるえて声にならなかった。部屋は暗く、ベッドのそばに誰かが立っていることはわかる。

 背中を壁に押しつけるようにして汀は肩を抱く自分の手に力を込めた。


 「だっ……誰!」


 うわずった大きな声にベッドのそばに立つ人影がかすかに声を漏らした。笑っているようだ……聞き覚えのない低い声に男であることがわかったがそれだけだ。


 「警察、呼ぶわよ」


 ふるえで声が揺れる。携帯端末はいつも枕元においている。腕を伸ばせば手に取ることができる距離のはずと思ったとき、ほのかな明かりが小さく点る。その明かりは宙を舞って部屋の隅へと落ちた。

 ごとん、と音が響く。それが携帯端末であることを悟って汀は伸ばしかけた腕を止めた。


 「呼べば?」


 声は笑っている。汀を小馬鹿にするような声を追うようになにかを叩くような音が立て続けに起こり、暗かった部屋は赤みがかった明かりで満ちた。

 天井付近に揺らめく赤い光の玉、その光はベッドのそばに立つ男の姿を照らし出す。

 長身の男が腕を組んで汀を見ている。冬だというのにカットソーとカーゴパンツという軽装でどこか近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。

 京に引っ越してからというもの、人間よりもあやかしと多く出会ってきた汀には男が人間ではないことが一目でわかった。長い黒髪に縁取られた美しい容貌が何よりの証拠だ。

 炯々と光る赤い目が汀をじっと見つめている。その視線はなぜか、コンビニエンスストアに住み着いている犬を連想させた……


 「あやかし……」


 無意識のうちに呟いた言葉に男は眉を寄せる。


 「失礼な。俺はあやかしなんて下等な物じゃない」


 吐き捨てるかのような言葉と共にベッドに膝をついた男は汀の腕を掴んだ。声も出せずに固まっている汀に男は笑ってみせた。美しい……白い姿の青花のように美しい笑みだった。


 「あんた、このままだとあやかしに喰われるぞ」


 何を言われているのかよくわからない。混乱する汀に美しい顔が近づいた。赤い目が汀の目の奥をのぞき込んでいる。


 「――猫を呼べ」


 にやりと笑った男は汀の肩も掴む。力を込めて掴まれている腕と肩が痛い。汀は痛いと言おうとして気がついた。

 猫というのは青花のことではないのか。よくわからないがこの男と青花を会わせることは避けた方がいいような気がした。


 「……猫なんか知らない」


 汀は男の赤い瞳を睨みつけるとようやく、その一言だけを呟く。しかし男は汀の肩を掴む手にさらに力を込めた。痛みに顔をゆがめる汀を男は真顔で見ながら言う。


 「それだけ猫のにおいをつけておいて知らないはないだろう。俺はあんたを助けてやろうと言っているんだ。悪い話じゃない」

 「……知らない」


 なおも否定する汀に男の赤い目が苛立ちでつり上がる。


 「俺に嘘をつくな。あんたのことは結構気に入っているんだ。素直にしていれば娶ってやる……まぁ、猫のにおいを消すのが先だろうがな」


 汀の事を知っているかのような口振りだが汀は男の事を知らない。知らない男に上から目線で娶ってやると言われても嬉しくともなんともないし、知っていたとしても断りもなく部屋に上がり込んでくるような男はこっちからお断りだ。

 肩と腕の痛みに耐えかねて、汀は男の手を振り払おうとした。


 「離して!」


 掴んだ手の暖かさに、男があやかしではないことがすぐにわかった。それならこの男は何者なのか……汀は一つの答えに行き当たり、息を飲む。

 親代わりでもある死神は恐ろしく美しい姿をしているが、その手はとても暖かかった。

 まさかそんな、と声には出さず汀はうろたえる。予想が正しいなら絶対に青花を呼ぶわけにはいかない。あんなにひどい青花の姿を二度と見たくない。

 男の手をふりほどこうとするがどんなに力を込めても男の手はぴくりとも動かない。ただ、力はほんの少しだが弱くなった。


 「離してよ! 出て行って!」

 「嫌だね」


 笑いもせずに男は呟くと汀のすぐ近くまで顔を寄せる。汀は顔を背けた。


 「言っただろ。あんたのことは結構気に入っているんだ」

 「そんなのそっちの勝手じゃない……見も知らぬ人に気に入られても嬉しくない!」


 汀が言い放った言葉に男はなにかを考えていたようだがぽつりと呟いた。


 「食べ物はくれなかったが、話しかけてくれただろ」


 頭も撫でてくれた、と続く男の言葉に汀はゆっくりと背けた顔を男へと向ける。男は笑っていた。


 「あんたの手はいい。色んな人間が俺を触っていったが、あんたが一番よかった」


 言葉が出ない汀に男は機嫌良く言う。


 「犬神に気に入られたんだ。嬉しいだろ? また撫でてくれよ」


 薄々感づいてはいたが、本人の口からもたらされた言葉に汀は治まっていた震えが戻ってくるのを感じた。犬神が青花を殺そうとしていることは知っていたし、実際に青花は半死半生の状態まで追い込まれたことがある。

 恐ろしい。

 できれば今すぐにでも助けてほしい。しかし汀は青花の「本当の名」を知らないままだったし、知っていたとしても呼ぶ気はなかった。唇を噛んだ汀を男――犬神がにやにやと笑って見ている。


 「名も教えてやる。あんたの声で呼ばれるのは楽しいだろうからな」


 犬神は汀の耳元に顔を寄せて言葉を囁いた。ハッカ、という言葉は頭の中で白花と変換される。


 「猫を殺したら、あんたに撫でられながら眠りたい」


 身動きできない汀の耳元でははっ、と低い笑いが聞こえたかと思うと狂ったような笑いへと変わっていく。汀をベッドに突き飛ばし、白花は黒髪を振り乱して狂ったように笑い続けた。

 逃げようと体を動かそうとしても指先一つ動かせない汀はベッドにうつ伏せたまま笑いを聞くしかない。

 助けて、と言ってはならない。汀は必死に自分に言い聞かせた。

 青花の名を口にしてはならない。呼んではならない。助けを求めてはならない――青花が殺されてしまう。

 固く瞼を閉じたとき、瞼の裏に不思議な光景を見た気がした。

 青花と白花。二人の間に立つ見慣れた姿――人間に化けている時の青花の姿。それは二人の主、預言者の姿だ。

 化猫と犬神を連れた預言者の光景はすぐに消え、汀の意識も深くに沈んだ。


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