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死神の娘  作者: 正木花南
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愛しの化猫

 普段よりも多めにアルコールを摂取したというのに意識を保つことができたのはきっと、青花の話のせいだろう。

 しかし意識を保っているとは言っても酔っている。まっすぐ歩いているつもりなのに道を逸れていき、その度に青花が呉崎、とあきれたような声をかけて汀を引き戻してくれた。

 酔っても酔わなくても一緒に食事をすれば青花はマンションまで送ってくれる。ただ、酔うと汀は普段の自制心を少し失い、青花は多少のことを容認してくれる。

 だから、時々ではあるが汀は多めに酒を頼む――甘えてみたいから。

 青花は酔ってまとわりつく汀を払いのけたりはしないし、どちらかと言えば積極的に隣を歩かせようとする。

 それが酔っぱらいが結界を踏み外したらやっかいなことになるという理由だとしても、何も考えずに青花に触れることができるのは少し嬉しい。

 散々道を逸れていく汀の腕を掴んだ青花の手は冷たい。


 「……思うに、君はどれぐらいアルコールを摂取したら泥酔するということを理解しているのではないか?」

 「日によって違いますよ? 体調とかもあるし」


 胸の内を見透かしたような事を言った青花は汀の返事を聞いてそうかと呟いた。


 「好きなだけ飲んでいいと言ったのは私だしな。今日はとやかく言うつもりはない」

 「……珍しいですね。どうしたんですか?」

 「別に」


 いつもは飲み過ぎるなと釘を刺すばかりの青花がそんなことを言うのは本当に珍しい。道を逸れないように腕を掴まれたまま歩きながら汀は青花を見上げた。

 整った顔立ちには何の表情も浮かんではいない。汀が吐く息は白いが隣を歩く青花にはその気配すらない。


 「クリスマスは仕事ですか?」


 怪訝そうな表情を浮かべた青花は汀を見る。


 「外つ国の風習などにつき合う義理はない。仕事だ」


 陰陽寮という古風な組織に所属する化猫らしい言葉だ。街はイルミネーションで彩られ、浮かれたようなクリスマスの音楽が流れているというのに青花はそのすべてに興味がないらしい。


 「何か予定があるのか? ならば休暇なり取得するといい。申請は早めにな」

 「ありませんよ。ないから聞いたんです」


 青花は汀の言葉の意味がよくわからないようで怪訝そうな雰囲気を漂わせている。


 「君の予定がない事と私がどう関係するんだ。理解できない」

 「……もういいです」

 

 いくら人間のことに興味がないと言っても一日の大半を一緒に過ごしているのだから少しは人間の感情の動きに敏感になってくれてもいいような気がする。しかし、人間の感情を理解する青花というのも想像がつかない。

 ため息混じりに話を打ち切った汀はわずかだが青花の歩みが遅くなっていることに気がついた。


 「青花さん?」


 青花は汀の呼びかけに反応はしたが答えはしない。しばらく歩いてからようやく口を開いた。


 「クリスマスの頃には今進めている業務が完了するだろうから、申請せずとも暇を出せるかもしれない」


 今進めている業務と言うが、汀は青花の指示に従ってひたすらデータの入力を行っているにすぎない。

 そのデータは何かのコードらしいのだが汀には一切理解ができないし、カナ入力も混在しているという奇妙なものだ。


 「私一人では膨大な時間が必要だった。君には感謝している」


 突然そんなことを言われて汀は面食らう。青花でも誰かに感謝するということがあるのだろうか。そもそも自分は言われるままに入力をして定時になればさっさと帰宅するというのんびりした仕事しかしていない。それで感謝すると言われても困る。

 どう返事を返したものかと考えているうちに青花が立ち止まった。


 「――君は桜が咲く前にやってきたのだったな」

 「そうですよ。どうかしましたか?」

 「時間は早く流れることもあるのだと思ってな」


 口元にわずかな笑みを浮かべた青花は再び歩き始めた。よくわからないが機嫌は悪くないらしい。


 「変な言い方ですね。まるで時間が遅く流れているように聞こえますけど」

 「そうだ」


 何の含みも持たせずばっさりと言い切った青花は誰が見ても「笑っている」とわかるほどに笑った。こんな事は滅多にない。汀はその笑顔に見とれてしまう。


 「君と私に流れる時間の早さは違う」

 「……どうしてそんな寂しい事言うんですか」


 青花は時折、おまえと私は違うのだと言葉を変えて伝えてくることがある。そんな言葉を聞く度に汀は何とも言えず寂しい気分になって黙り込んでしまうのが常だった。しかし今はアルコールのせいで自制心が多少失われている。

 だから、つい口にしてしまった言葉は今までそんな言葉を聞き続けてきた汀の素直な思いだった。


 「犬猫と人間の寿命は同じではない。生物に与えられた時間はそれぞれ異なるし、その長さによって時間の体感速度も異なる。それだけの事だ」


 淡々と事実だけを述べる青花は笑ったままだ。人間とあやかしの寿命は異なる。時間と共に老いてゆく人間とは異なりあやかしは長い時間をそのままの姿で生きる個体が存在する。力が大きなあやかしほど長く生き、姿は美しい……


 「それだけって……」


 何かを言おうとしたが何を言うべきなのかわからずに汀は黙り込んでしまう。青花はそれ以上何も語ろうとせず、汀の腕を掴んだまま歩き続けた。汀も黙って従う。

 あやかしと人間は根本的に異なる生き物だ。人間の姿をしていたとしてもそれは見た目だけの話。本にはそう書いているし青花も同じような事を言っていた。けれど、青花は汀が一人で食事をするのが嫌いだということを知って時々食事に連れて行ってくれたし、きれいだと思っている景色を見せてくれたりもした。いろんな事を教えてくれたし話してくれた。よくわからない行動も多いが、汀が嫌がることはしなかった。

 どう考えたって汀は青花よりも早く死ぬ。そんなことはわかっている。それでも近くにいたい。悲しみを理解できないまま時を過ごす化猫の傍にいたかった。そう伝えたところで青花の態度は変わらないだろう。汀の独りよがりの感傷にすぎない。

 小さくため息をついた汀は青花の腕を掴んだ。青花は何事も無かったかのように歩き続ける。

 誰かが見たら仲の良い恋人だと思うのだろうか。

 不意に青花が歩みを止める。顔を上げるとマンションの前だった。


 「週明けは遅刻しないように」


 汀の手をあっさりふりほどいた青花は上司らしい言葉と共に汀の背中を軽く押す。二、三歩歩いて振り返るともう、青花の姿は無かった。

 しばらくマンションの前に立ち尽くしていた汀はにじんだ涙を拭うとマンションには戻らず、コンビニエンスストアへと向かう。甘いものが食べたかったし、ここ数日日課にしていることがあった。

 コンビニエンスストアのそばに野良犬がすみついたいう噂は前々から聞いていた。暴れず吠えず、とても利口で追い払われることもなく、客に食べ物をもらっているらしい。興味本位で見に行ってみると、薄汚れていたがとても立派な犬だった。

 食べ物をあげたりはしなかったが、汀が通りがかると近寄ってきて頭を撫でろという仕草をするのでつい、かまってしまう。かまうと言っても頭を撫でて一言二言声をかけるだけだが、犬は汀のことを覚えたようで姿を見ると尻尾を振るようになった。

 そろそろ日付も変わるかという時間にも関わらず、犬はコンビニエンスストアの前に座っていた。店から出てきた女性が袋からなにかを出して犬に与えている。

 その隣をすり抜けて汀は店に入るとロールケーキを購入した。


 「遅くまでいるんだね」


 声をかけると犬は尻尾を何度か振って汀を見る。店内の明るい光が漏れて店の周りだけは昼間のような明るさだ……京のコンビニエンスストアには高度なあやかし除けが施されており、一時避難場所にもなっている。そのため、通常のあやかしはコンビニエンスストアから漏れる光の中に入ることができない。

 だから犬はあやかしではなく普通の野良犬だ。誰もがそれを知った上で犬を構っている。


 「今日はご飯を食べに行ってたから、遅くなったんだ。明日は休みだしね」


 犬の隣に立ち、頭を撫でると冷たくなった手にほのかな温もりが伝わってきた。利口だし洗えばきっと真っ白になるだろうからそのうち誰かが拾ってくれるだろう。これだけ大きければあやかし除けにもなるはずだ。


 「じゃあね。おやすみ」


 首のあたりをぽんぽんと叩いて汀はマンションへと戻った。甘い物を食べてシャワーを浴びて、さっさと寝てしまいたい。青花とあんな話をする羽目になるとは思わなかった。

 青花のことだから週明けには何食わぬ顔をしているのだろう。自分ばかりがいろいろと引きずっていて、汀はなんだか不公平だと思ってしまった。

 たまには青花が驚いたり慌てたりしているところを見てみたいが、あの化猫には驚くという感情が欠落しているような気がする。

 ロールケーキの袋を破りながらクリスマスも仕事だと言っていた青花のことを思い出して汀は一瞬、手を止めた。

 青花は甘いものを一切口にしないが、ケーキを作ったら一口ぐらいは食べてくれるだろうか。

 できるだけ甘さを控えて作ってみようか、そんなことを考えながら汀はロールケーキにスプーンを入れた。


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