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死神の娘  作者: 正木花南
19/20

destiny

 泣き疲れて眠ってしまった汀をベッドに横たえ、コートに手をかけた青花は動きを止めた。

 懐かしい気配が部屋に漂っている。


 「かわいい娘さんだね」


 天から降るかのような言葉にも青花は動じず、汀のコートを脱がせると布団を掛けた。


 「しばらく会わぬ間に嗜好が変わったのか」

 「まさか。昔のままだよ」


 気配の元に視線を向けると黒髪の青年が窓辺に立っていた。青年は陰陽師の装束を身にまとっているがすでにこの世には存在しない。しかし彼ならば不思議ではない、と青花は驚くことなく青年の姿を受け入れた。

 青年は青花を隷属させた頃の姿のままだ。


 「どうなることかと思ったけど、落ち着いてよかった」

 「見ていたのか」

 「ああ、うん。娘さんが感応したからね……途中からだけど」

 「どうにかしようとは思わなかったのか」


 青花の言葉に青年は困ったように笑うと歩み寄る。


 「傍観者に何ができるはずもない」

 「……それにしてもやりようがあるかと思うが」


 死して傍観者と化した青年ができることは文字通り「手を出さず、傍で見ている」ことだけだ。それはわかっていたが青花としては恨み言の一つも言いたい。何しろ、元凶は青年が作ったようなものなのだ。

 青年は愉快そうに青花を見る。


 「しばらく会わない間に表情豊かになった。体を与えた甲斐があったというものだよ」


 そんなのんきな言葉に青花はため息をついて青年をにらみつけた。


 「白花との喧嘩が見たくて私に命を下したのか?」

 「おまえを娘さんに会わせてあげたかっただけだよ」

 「嘘をつくな。他にも理由があるだろう」

 「……会わないうちに、洞察力も身につけたかな」


 青年は肩をすくめ、眠っている汀をのぞき込んだ。しばらく動かずにいたが満足したように体を引くと目を細める。


 「理由はいくつかあるけれど、おまけのようなものだよ。私はおまえを一人にしておくことができなかった。私個人としても、陰陽師としても。娘さんがいれば、おまえは孤独ではないだろう?」


 孤独という単語に青花は祗園祭の朝を思い出した。汀を連れて朝日を見たとき疑問に思った事――孤独とは何だ。


 「主よ。孤独とは何だ」


 青年は青花の問いにしばらく考えるようなそぶりを見せたが一つ頷いて答えた。


 「娘さんと出会う前のおまえだよ」


 静かで短い言葉だったが青花は眠っている汀に視線を移し、汀と出会う前の事を思い出そうとした。しかし大した事は思い出せない。思い出せたのは陰陽寮を去るつもりになったこと、何もかもに飽きて眠るか消えたいと思った事ぐらいだ。

 汀が現れてからの事は嫌になるほど覚えている。汀から離れることを決め、半ば眠りについていたときでも思い出すことができた。

 思い出す過去などなく、先のことなどどうでも良かった。過去を振り返り、未来に思いを馳せるようになったのは汀と出会ってからだ……たとえ、汀がいない未来だとしても。

 青年は黙っている。青花は青年に問いかける。


 「彼女を人ではない者に変えてしまうのは、正しい事なのか」


 このまま汀の近くにいれば、そう遠くない未来に汀を人ではない者に変えてしまう。青花にはその確信があった。それがあやかしの本能でもあるし、汀への欲求を抑えることがかなり難しいことも身を持って知っている。

 汀はそれでもいいと頷いてくれたが、青花は確証がもてなかった。汀を夜に引き込むことは間違っているのではないか。

 間違っていると思ったからこそ、汀から離れようとした。


 「……それを決めるのは他の誰でもなく、おまえと娘さんだよ」


 青年は優しく答えると窓辺へと向かう。青年の背を通して窓が見える。少しずつ、青年の姿は薄れていく。


 「おまえほどのあやかしが全てを投げ出してまで求める人間が現れることは知っていた。それがおまえの定められた運命だ。けれど、人間が何を選ぶかは見えなかった。幾つもの選択肢からおまえを選んだのは娘さんの意志だよ」


 姿が消え、最後の言葉がまるで天から降るように聞こえてきた。

 みじろぎもせずにいた青花は息をつくと立ち上がり、青年が消えた窓辺を一瞥すると汀の隣に潜り込んだ。

 部屋の冷たい空気とは異なり、仄かな暖かさと汀の香りが青花を穏やかに眠りへといざなう。

 瞼を閉じていると汀が体を起こす気配がした。冷たい空気に青花は目を開く。

 汀は何かを探すように部屋を見ていた。


 「どうした」

 「いえ……」


 首を傾げた汀は淡く頬を上気させて青花を見る。少し腫れた瞼を押さえながら汀はわずかに笑った。


 「ご主人さんが夢に出てきました」

 「……何か言っていたか」


 青花の問いかけに汀は驚いたような顔をしたがすぐに笑顔になる。


 「いいえ、なにも」

 「そうか。ならば寝るといい。私も寝る」


 夜は深く、未だ明けない。人間は眠る時間で青花も起きている気にはなれなかった。癒えていない傷もあるし本調子とはいえない。目を閉じてしばらくすると汀が布団に入ってくる。


 「……あの」


 小さく、遠慮がちな声に汀を見ると手の甲に温かなものがかすかに触れた。汀は目を伏せている。


 「あの、ですね。手を、つないでてもいいですか……」


 口ごもりながら言う汀の様子は明らかに変だ。手をつなぐぐらいなら勝手にすればいいのにと思ったが汀には汀の事情があるのだろうと思った青花は返事をするまえに汀の手を掴む。

 いつもと変わらない暖かさになぜか青花は安堵した。


 「構わない」


 驚いたように目を見張った汀は青花が見てもわかるほど嬉しげに笑い、青花の手を軽くにぎり返す。


 「……おやすみなさい」


 小さな声に返事はしなかったが、しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきた。

 うつらうつらとしながら青花は汀が近くにいることが普通になっていることにようやく気づいた。青花が過ごしてきた時間からすれば汀が隣にいた時間などほんのわずかなものにすぎない。

 汀が去れば一人に戻るだけだ。汀の事は覚えている。だから一人になってもいいと思っていた。

 ――汀の気配が京に戻ってきたとき、傍らに白花の気配が出現したとき。そのときの感情を青花は未だに理解できないでいる。まどろむ中で汀の気配を察して目覚め、白花が傍らに現れたときは座標を特定して跳んだ。汀が京に戻ってきても姿を現すつもりはなかったのに。

 きっと、自分は汀が好きなのだろう。だから別れを告げることができなかった。実感もないしはっきりしたことはわからないが、好意という感情が理解しがたい行動を引き起こす原因だと思えば納得は行く。

 かつて汀は、好きな人と一緒にいることが幸せだと言った。それが本当なら今の自分は「幸せ」だということになる。それもよくわからないが、汀が戻ってきたことは青花に今までにない感情を自覚させたことは確かだ。

 一つずつ、聞いてみればいい。きっと汀は答えてくれる。自分でも理解できない感情が理解できたなら、もう一度汀に問うてみよう。

 人ではない者になってしまうが、それでも傍にいてくれるかと。



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