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死神の娘  作者: 正木花南
17/20

願い

 陰陽寮を出て、青花に連れて行ってもらったことがある場所に足を運んでみたが何の手がかりもつかめない。もっとも、手がかりがつかめると思ってはいなかった。今の自分は青花との思い出をたどっているだけだと言うこともわかっていた。

 改めてもう会えないと理解したから心の整理をしたかったのかもしれない。

 祗園社の楼門を観光客に紛れて眺め、河原町へと向かう。

 日は落ち、冷たい風が吹き始めた。汀は手袋をしていても冷たくなる指先を握りしめて人でにぎわう商店街に入り、あてもなく歩いていた。

 少し前までクリスマス一色だった商店街は年末の買い物をする客であふれている。難波も年末になると慌ただしい雰囲気に包まれていたが、京の雰囲気とはまた違うような気がする。

 部屋に戻って何かを作る気にはなれなかったので、適当な店で食事を済ませるつもりでいた汀は飲食店をのぞきながらゆっくり歩いていた。

 寒いし、うどんでも食べようかと思った時、誰かに呼ばれたような気がして立ち止まる。難波で呼び止められた時の事を思い出して嫌な気分になった汀は気のせいだと片づけて歩き始めた。


 「……汀!」


 気のせい、では片づけられないほどはっきりした声に汀はびくりとして立ち止まり、振り返ると慌てて走り出した。

 ひしめく人をすり抜け、ぶつかっては謝りつつ商店街のアーケードからのびる横道に抜けると足を早める。


 「――待てよ! 待てって……おい!」


 アーケードから抜けたとは言え、河原町の繁華街に近い通りには人が多い。そのど真ん中で汀は後を追ってきた者に腕を掴まれた。

 通行人が立ち止まってその様子を興味深げに見ている。

 汀は腕を掴まれたまま逃げようとするが腕を掴む力が強く、一向に前に進めない。


 「何もしねえよ! 謝りたいだけなんだ!」


 必死にも聞こえる声に汀は足を止め、おそるおそる掴まれている腕の方を見た。

 忘れたくても忘れられない、白花が困ったような顔で汀の腕を掴んでいる。

 買い物をしていたのか、大型のショップバッグを肩から下げ、長い髪は後ろで一つにまとめている。本格的に寒くなりつつあるというのに、パーカーと細身のパンツという出で立ちだ。


 「本当だって。信じてくれよ……」


 汀の腕を解放した白花はため息をついてうなだれた。通行人たちは痴話喧嘩か何かだろうと思ったのか、思い思いの方向へと歩き始める。

 白花が本来の犬神に戻ったという話は聞いていたが、突然名を呼ばれると恐ろしさが先に立って逃げてしまった。汀はどうしていいのかわからず、うなだれている白花を黙って見ていた。

 謝りたいというのは本当だろうか。

 冷たい風が吹き、汀は小さなくしゃみをひとつした。その音に反応したように白花は顔を上げ、寒いよな、こんなとこじゃ風邪ひくよなと呟く。

 連れ去られた時、白花は汀を気遣う言葉を一切口にしなかった。だから汀はその呟きに面食らってしまう。


 「飯食ったのか?」


 さらに予想外の問いかけで汀は完全に混乱してしまった。人を部屋着一枚でさらって飲み物も食べ物も与えなかった白花が言う言葉とは思えない。

 とりあえず無言で首を振り、食べていない事を示すと白花は周囲を見回し、何かを考えるようなそぶりを見せた。


 「肉好きか?」

 「……嫌いじゃないですが……」


 汀の目の前にいる白花と自分をさらった白花が同じ存在だとは信じられない。それほどに白花が醸し出す雰囲気は穏やかで優しかった。


 「久しぶりにすき焼きでも食うか」


 あまりにも人間くさい言葉に汀は呆気にとられて白花を見る。にっと笑った白花はきびすを返すとアーケードへと戻りはじめた。数歩歩いて汀がついてきていないことを察したのか、振り返る。


 「何してんだ。来いよ」

 「は、はい……」


 汀は白花が突然豹変しても逃げられるように距離を置いて後ろを歩いた。しかし、白花が立ち止まったのはアーケードの終わりに建っているずいぶん古めかしい店の前だった。墨痕も鮮やかな看板が掲げられており、入り口からは磨き上げられた廊下が見えている。

 汀が追いついた事を確認すると白花は店内に入る。どう見ても高級店、という佇まいに気後れしながら汀も店に入ると和服姿の女性がブーツを預かってくれた。

 きしむ階段を上がり、廊下を歩いて案内されたのは坪庭に面した個室だった。掘りごたつ式のテーブルにはコンロが設置されている。

 白花は部屋に案内してくれた中年の女性となにやら会話を交わしていたが、すぐに鍋や食材が運ばれて目の前で調理が始まった。

 女性が肉を焼いてくれるが、高級店になじみのない汀は黙って給仕される肉や野菜を黙々と口に運んだ。ただ、白花が自分をさらったりするつもりはないらしいという事だけは理解できた。

 肉も野菜も、食べたことがないぐらいおいしかった。

 付きっきりで肉と野菜を焼いてくれた女性がご飯をお持ちしますので、と去っていくと和室には白花と二人だけになってしまう。何か話をしたほうがいいのかと思ったが、白花が懐かしげにライトアップされた坪庭を眺めていたので黙っていた。

 牛肉のしぐれ煮と漬け物でご飯を食べ、水菓子と称した果物が運ばれてくる。

 白花は肉も野菜もご飯も、実においしそうに食べた。食べることが好きなのだろうと思わせる表情で、中年の女性も白花の食べっぷりを楽しげに見ていた。


 「――悪かったな」


 メロンを食べていた汀はそんな呟きに白花を見る。


 「俺と一緒に行くって言ってくれて嬉しかったよ」


 寂しげに笑う白花は苺を一口で食べてしまうとため息をついた。


 「汀を気に入っているのは本当だ。今でもそうだが、猫が許しちゃくれないだろうし……殺されるような目に遭うのもごめんだ。それに汀は俺を止める為に一緒に行くなんて言ったんだろ?」


 白花の自嘲的な声音に汀は小さく頷くとうなだれる。


 「……ごめんなさい」

 「汀が謝ることじゃねえよ。人間の娘にそんな思いさせた俺が悪い。だから、一つだけ願いを叶えてやるよ」


 思わぬ言葉に顔を上げると白花が優しげに笑っている。犬神が人間に寄り添うように存在する神だと聞かされてもしっくりこなかったが、今ならよくわかる。きっと優しい神なのだろう。


 「金持ちになりたいとか太らないようにしてほしいとかは無理だからな!」


 慌てたように言い添える白花に汀はつい笑ってしまう。白花もつられたように笑った。その笑顔に親しみを覚えた汀はためらいつつも「願い」を口にした。


 「……青花さんに会いたいんです」


 白花は笑顔で汀の願いを聞いていたが、一瞬遅れて妙な顔をする。


 「そんなことでいいのか?」

 「え?」

 「そんな簡単な事でいいのかって聞いてるんだよ。あやかしが近づかないようにとか、病気にならないようにだとかあるだろ」


 多紀と頼人は青花を見つける手助けはできないし陰陽寮でも居場所を掴んでいないと言っていた。だから京に青花を見つけることができる者はいないと思っていたが、白花は簡単だと言う。今度は汀が妙な顔をする番だった。


 「簡単、なんですか?」

 「ああ。一発で出てくるようにしてやる。聞いたけどアイツ、雲隠れしてるんだってな」

 「陰陽寮では居場所も把握できていないって話でした……白花さんはわかるんですか?」


 汀の問いに白花が得意げに笑う。


 「アイツの住処と居場所ぐらいならわかる……これでも、同じ主に仕えていたからな。ただ、時間が半端だな。もう少し俺につきあってくれよ。いいだろ?」


 何の屈託もなく笑う白花に汀は頷いた。

 ふと、泣いていた白花を思い出して切なくなる。白花も青花と同じように悲しかったはずだ。今はどうなのだろうか。

 預言者はなぜ、青花に肉体を喰えと命を下したのか。その命さえなければ白花は今のように親しみのある優しい神でいることができただろうし、青花は陰陽寮に縛られることもなく自由気ままにすごしていただろう。


 「ありがとうございます……」


 白花は笑っていたがふと眉をひそめ、汀をじっと見つめた。明るい茶色に見える瞳が赤く光る。


 「浮かない顔して、どうした」


 何でもありませんと言いかけたが白花の目を見るとなぜか言葉が出ない。かわりに汀が呟いたのはどうして、という言葉だった。


 「……預言者さんは、白花と青花さんを苦しめるような命を下したのかと、思って」


 言わないでおこうと思っていたはずの言葉が勝手に口をつき、汀は驚いて口を押さえた。白花はそんな汀を優しい目で見ている。


 「――嘘は良くない」

 

 驚いている汀に笑いかけた白花は昔を思い出すかのように視線をそらした。まるで汀の背後に昔の情景が見えるとでも言うかのように。


 「人と共に在れ、というのが最後の命だった。正気に返るまで忘れていたけどな……俺は人の願いから生まれた神だから、無条件に人の好意を受けることができる。汀は俺に声をかけてくれたり頭を撫でてくれたりしただろ?」


 コンビニエンスストアの近くに住み着いた野良犬は周辺の住人からとてもかわいがられていた。大型犬の上に飼い主がいないとなれば怖がられて保健所に連絡されてもおかしくない。しかしだれも連絡しなかった。それどころか食べ物をあげたり声をかけたり、寒くなったからと毛布を敷いてやったりしていた。

 汀も大きな犬だと思いはしたが怖いと感じなかった事を思い出す。


 「今までは京に戻っても、長く滞在しなかった。主の事を思い出すのが辛くてな……でも、俺は犬の皮を被って猫を探すことにした。どうして猫を探すのか、殺そうとしているのか、明確な理由すらわからなくなっていた。きっと狂いかけていたんだろうな」


 切なげに笑い、白花は視線を汀に戻した。


 「犬の皮を被っているといろんな人が声をかけてくれたり撫でてくれたりした。みんな優しかった。優しくしてもらえると穏やかな気分になれたし、辛い思いが薄れるような気がした。事実、恨みは消えつつあったようだしな。俺は無条件に好意を得る存在だ。だが、猫は忌避される……」


 目を閉じた白花は黙っていたがゆっくりと目を開いた。薄い茶色だったはずの瞳は赤い色に変わっている。汀はしばらく、青花の瞳に似たきらめきを宿す赤い瞳に見入っていた。


 「主が何を考えていたのか、俺にはわからん。ただ、あの人の事だから汀の事は知っていたのかもしれない」

 「えっ?」


 思わぬ言葉に驚いて汀は声を上げた。白花はどこか誇らしげな笑みを浮かべる。


 「主は神の声を聞き、定められた運命を知る者だ。個人の特定はともかく、猫が守ろうとする人間が現れることは知っていたのかもな。だからそれまで……猫を人の社会につなぎ止めておきたかったのかもしれない」


 白花の表情や言葉からは預言者を慕い、誇りに思っていた事が伝わってくる。だからこそ悲しみ、狂うほどに肉体を喰った青花を恨んだのだろう。そんな白花に「青花に会いたい」と願った自分が情けなく思えて汀はうなだれる。

 しばらく沈黙が続いたが、不意に頭を撫でられる。顔を上げた汀が見たのは、テーブルに身を乗り出し腕を伸ばす白花だった。

 

 「そうやって思ってくれるだけで十分だ。ありがとうな」


 頭を撫でる温かな手に、一日でも早く白花の悲しみが癒えることを汀は願わずにいられなかった。 



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