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私の国  作者: 小林 陽太
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私の国の紹介

私はこの国に住む男性である。

私の国はどこまでも真っ白で、どこまでもどこまでも続いている。

そこには終わりというものがなく、始まりというものもない。


私の国には国境というものはない。しかし外から訪れた者は自分を外国人だと思っていて留まる者はあまりいない。

私の国には戦争というものはない。難民の外国の方たちと、ときどき訪れてくる疲れた友人たちだけがその国外での戦争の話をしてくれるだけである。

私の国には労働というものはない。子供たちは毎日遊んでいて、大人たちはみんな自分の好きなことをして、その天職一筋に子供たちや外国の方たちのお世話をしているだけである。この国の人たちはみな何かしらの専門職を持っており、それを聖職者のような方たちが先導している。

私の国には恋というものはない。子供たちだけがそれに近しいことをして遊んでいるが、大人たちは皆ウィットとユーモアのある会話をし、愛を紡ぎ合い、分かち合い、穏やかに暮らしている。

私の国には病気というものはない。この国に来た外国の方たちは始め自分が病気をしていることに気づかされるが、子供たちや仕事をする大人たちの献身的な世話にて次第に癒されてゆく者がほとんどである。

私の国には車というものはない。この国の人たちは思ったところまで飛んで行ける。ゆっくりと飛んでゆく者もいれば、瞬間移動のようにふっと消えて移動してゆく者もいる。それがスタンダードな移動方法である。この国には空間と時間があるようでないのである。

私の国には色がついていない。私の国の建物や自然はすべて真っ白である。正確にいうならばパステルカラーの様に様々な色が輝いていて真っ白に見えるのである。

私の国には天気というものがない。この国はいつも天候に変化が無く、それは人工的な環境を思わせるものである。しかし空には太陽のようなものがさんさんと輝いている。

私の国には食べ物や住まいがない。この国の人たちは食べようと思えば食べれるし、住もうと思えば住めるけども、それをしなくても生活ができるので、とくにこだわらない。ただ何かしらの住まいになるものを持っている人は多い。住まいは個人的な休養をするためやお祈りをするために用意されている。

私の国には悲しみはない。この国の人たちは悲しみというものをこの国にある学校で習ったので知っているけども、悲しむことはない。みなそれは遠い過去のことのような気がしていているので、みな前を向いて毎日毎日の生活をよりよいものにしようとしている。

私の国にはゴミというものがない。この国はゴミを捨てるとしばらくすると空気に変わってしまうからゴミがない。また、不要なものは必要な人に届くようになっているから、ゴミが出ることもほとんどない。

私の国には動物というものがいない。正確にいうならば、人の言葉を喋ったり笑ったりする動物の姿をした生き物がいる。彼らはみな子供の様な存在で、人々と共に暮らしていて、子供たちとよく遊んでいる。住まいで飼っている人もいるが、多くの人はそれを飼ってはいない。

私の国には形というものがない人もいる。彼らは光の玉のような感じでよく人々の元へやってくる。人々はその人にいろいろ教えてもらって満足そうである。

私の国にはお金というものがない。この国に住む若者はお金というものをみな知らない。つい最近まで学校で教えていたらしいのだけども、教えなくなったそうである。年配の方は教えてもらった記憶がわずかに残っている程度であり、外国の方がたまにお金の話をするくらいである。

私の国には純粋な影というものがない。この国には太陽のようなものが空にあるのだけども、建物も人もみんな光っているので、影のようなものが出来ることがない。あるのは光の濃淡だけである。

私の国には携帯電話やテレビ、インターネットというものがない。この国の住人は一瞬にして会話したい相手の元へゆくことが出来るし、会わなくてもテレパシーで会話できるので、そういう電話やインターネットのようなものはない。テレビみたいなものはあるけども、多くの人はテレパシーで映像も受信して見ている。

私の国にはスポーツというものがない。この国の住人は学校でスポーツなるものを知識として習うが、それがどういうものなのかということをよく把握できていない。人々は身体というものは確かに持っていることが多いけども、肉体という概念が存在しないので、スポーツをするということが実感としてよく分からないし興味がない。

私の国には警察というものがない。この国の住人たちは犯罪者というもの自体を学校で習うことがなくて、困っている人というものが居るということは学校で習う。なので外国から来たと述べられて困っている人には、みな手を差し伸べてお互いに助け合っている。

私の国には夫婦というものが基本的にない。この国では夫婦なる感覚というもの、異性を感じる感覚はよく分かるけども、夫婦というものが基本的に存在しない。夫婦の形態を持って住まいで共に暮らしている人は実に少数派である。この国の人達はいろんな異性と付き合い、お互いに与えあって、調和に満ちたものにしているのである。子供たちは夫婦の支配所有下にあるものではなく、いろんな人々によって育てられるのである。


私はこのような国で、毎日仕事の研究にいそしんでいる。

私はこの国に住む聖職者の一人で、友人には科学者や芸術家などが沢山いるのである。

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