#6 奪取
天地を揺るがす轟音とともに、前線の四十基の二十五センチ榴弾砲、そして五キロ後方に控える三基の四十二センチ巨砲「ディッケバルト」が一斉に火を噴いた。
猛烈な粉塵が舞い上がり、黒色火薬の鼻を突く硝煙の臭いが瞬く間に戦場を覆い尽くす。前線に並べられた二十五センチ砲の放った無数の砲弾は、地響きを立てて前進してくる岩山のようなギガオーガたちの巨体を容赦なく打ち据えた。断末魔の咆哮すら爆音にかき消され、分厚い肉の壁が次々と崩れ落ちていく。
だが、我々の真の狙いはその先だ。巨大な肉の盾が崩れた直後、その後方から黒い波のように湧き出してくるであろう無数の小型魔獣の群れ。それを叩き潰すことこそが、今回の作戦の要であった。
私の計算尺が弾き出した「左一.五度、仰角二十三.二度! 火薬八箱、信管二十一秒、弾着時刻二十二.五秒!」という数値に従い、我々第七十五砲術隊のディッケバルト一番砲が放った榴弾は、見事に敵の後方エリアの上空で炸裂した。信管設定に従い、空中で弾け飛んだ砲弾から一千発もの散弾が、広く雨のように降り注ぐ。
「弾着、命中! 敵後方の魔獣群、大打撃!」
見張り員の絶叫に近い報告が、陣地に響き渡る。だが、喜んでいる暇はない。
「司令部より発光信号! 全歩兵隊、および二十五センチ砲部隊に後退開始命令!」
連合軍司令部の命を受け、前列で護衛に当たっていた一千人の歩兵たちが、統制を保ちながら一斉に後退を始めた。同時に、横一列に並んでいた二十五センチ砲も、牽引車に引かれてゆっくりと陣形を下げていく。前回の戦いで、三千もの兵がその場にとどまり、その半数近くを失うという苦い教訓を得た。ギガオーガを盾にして距離を詰め、その後方からゴブリンやコボルトの波状攻撃を仕掛けるという魔族の卑劣な作戦に対し、今回は敢えて後退し、敵の突撃を避け間接攻撃に徹する策を選んだのだ。
二十五センチ砲は一撃を加えたのちに後退し、一キロ下がっては再び砲身を据え、追撃してくる敵の先頭を叩く。いわゆる遅滞戦闘の構えだ。その間も、我々が陣取る後方の丘陵地帯からは、三基のディッケバルトが間断なく榴弾を放ち、押し寄せるゴブリンやコボルトどもの頭上に無慈悲な鉄の雨を降らせ続けていた。
私が計算尺を滑らせ、次々と新たな射撃諸元を弾き出す。距離、風向、気温の変化。それらを瞬時に読み取り、砲術手たちに数値を叫ぶ。
「左七.八度、仰角三十六.九度! 火薬十箱、信管四十一秒、弾着時間四十二秒!」
敵までの距離は二.一キロ。私の計算に基づき、三基の巨砲が交互に火を噴き、谷間は絶え間ない爆発の閃光と轟音に包まれた。
計算上は、これで敵の波は徐々に削り取られ、やがて瓦解するはずだった。だが、私の目に映る双眼鏡の先の光景は、想像を越えた狂気に満ちていた。
「敵の数、ますます増大! 魔獣集団、まもなくここに達します!」
見張り員の悲痛な声が響く。土煙と硝煙の向こう側から、倒れた仲間の死体を踏み越え、緑色の肌をしたゴブリンや狼のようなコボルトが、それこそ無尽蔵に湧き出してくるのだ。一帯を榴弾で吹き飛ばしても、その穴を埋めるように次々と後続が押し寄せる。
「二十五センチ砲陣地、突破されます! 歩兵隊、白兵戦に突入!」
眼下の平原で、後退しきれなくなった歩兵たちが、押し寄せる魔獣の波に飲み込まれていくのが見えた。小銃の銃声が途切れ途切れに響き、魔獣の放つ炎や毒の魔術が歩兵たちを焼き尽くす。
前回とは比べ物にならないほどの、尋常ではない数だ。前回、あの捕虜である魔族ブリヘーリアは『魔族は同じ作戦を繰り返す』と言った。確かに作戦は同じだ。だが、投入してきた魔獣の絶対量が根本的に違っていた。魔族は、この鉱山を死守するために、ありったけの魔獣を全てこの一戦に注ぎ込んできたようだ。
「敵先頭集団、我が丘陵地帯へ接近中! 距離、八百メートル!」
ついに、恐れていた事態が起きた。魔獣の濁流が、我々ディッケバルトが陣取る丘陵の斜面を駆け上がり始めたのだ。
「砲術長、このままでは取り付かれます!」
副官のストルキオ大尉が叫ぶ。前回の撤退戦の悪夢が蘇る。重鈍なディッケバルトを牽引する蒸気車両では、急に迫る魔獣の足から逃げ切ることは不可能に近い。
その時、砲術長のアルデリーギ中佐の鋭い声が飛んだ。
「三基のディッケバルト、全砲、水平発射用意! 前線砲兵隊および歩兵隊があの稜線を越えると同時に蒸気機関を最大出力に上げ、砲撃を開始! その反動で後退しつつ、敵を粉砕する!」
それは、前回の撤退戦で我々が編み出した、狂気じみた戦術だった。
「砲身、仰角零度! 信管設定、一秒!」
もはやディッケバルトは、計算不要な戦いに突入した。単純にまっすぐ後方にいる敵の群れに砲弾を撃ちまくるという、実に原始的な砲術戦だ。私は前回と同様、ベルトで蒸気車両と身体を縛り付けて、その衝撃に耐えるしかなかった。
隊員たちが死に物狂いで撃っては衝撃に耐え、止まればすぐに尾栓を開き、弾と火薬を詰め込む。
「全員、衝撃に備えろ! てーっ!」
三基のディッケバルトが、ほぼ真後ろに向けて火を噴いた。四十二センチ砲の恐るべき水平射撃。車体全体が強烈な反動で後方へ一気に押し上げられ、私は必死にハッチの取っ手にしがみつく。
目の前で、凄まじい光景が繰り広げられた。
放たれた弾頭が、斜面を駆け上がってきた魔獣の先頭集団のど真ん中で炸裂する。無数の散弾が水平に飛び散り、ゴブリンやコボルトの群れを文字通りコマ切れ肉に変えていく。
私の目には、手足や首が千切れ飛び、血肉の雨が降る光景が鮮明に焼き付いた。だが、私が何よりも戦慄したのは、その肉片の雨を浴びながらも、彼らが一切の恐怖を見せず、狂ったように進撃をやめないことだった。
正気の沙汰ではない。が、魔獣とはそういうものだ。魔族の術式を受けて、痛みも恐怖も感じない彼らは腹を吹き飛ばされ、内臓を引きずりながらもなおも前進を止めない。腕を失いながらも、残った牙で噛み付こうと跳躍するコボルトやゴブリンども。
やつらには、魔術による洗脳もあるが、魔王によって生み出され、魔族に操られるだけの道具であるがゆえにその命への執着がない。そもそもコボルトもゴブリンも、あの巨体のギガオーガですらも、寿命はせいぜい十年ほどという。その圧倒的な「命の軽さ」と「狂信的な突撃」を前に、私は自らの導き出した算術という論理が、いかに冷たく無力なものであるかを思い知らされるようだった。
「次弾装填! 急げ!」
砲術長が怒鳴るが、装填の隙を突いて、ついに魔獣どもの魔の手がディッケバルトの車両にまで及ぼうとしていた。
「砲兵を守れ! 撃ち方、始め!」
ディッケバルトに随伴する護衛の歩兵たちが、一斉に小銃を構えて応戦する。だが、敵の数が多すぎる。
私の視界の端で、一人の若い歩兵が、車両によじ登ろうとしたゴブリンに銃剣で突きかかった。しかし、背後から別のゴブリンが飛びかかり、彼の首筋に食らいつく。
「ああっ……!」
悲鳴を上げる間もなかった。倒れ込んだ歩兵に、数匹のゴブリンが群がる。彼らは歩兵の軍服を引き裂き、生きたままその手足に食らいつき、無残にも四方へ引きちぎった。血飛沫が舞い上がり、最後に彼の首がゴツンと音を立てて落とされる。
「うっ……」
私は息を呑み、恐怖で声も出なかった。取っ手を握る手が小刻みに震え、目の前で繰り広げられる凄惨な現実から目を背けたくなる。だが、戦場はそれを許さない。
ドンッという衝撃とともに、私がしがみついていた車両の側面に、緑色の影が飛び乗ってきた。
血走った目、腐臭を放つ息。ゴブリンだ。やつは、手に持った錆びた鉈を振り上げ、私に向かって跳躍した。
「しまっ……!」
逃げる間もなかった。ゴブリンの汚らわしい手が、私の細い腕をガシッと掴んだ。骨が軋むほどの強い握力。振り下ろされようとする鉈の刃が、スローモーションのように目に焼き付く。
もうだめだ。私の命は、ここでこんな名もなき魔獣の餌食となってはかなく散る運命だったのか。家族の仇である魔族を滅ぼすことは、ついに叶わなかったか。
と、その矢先だった。パンッという鋭い破裂音が私の耳元で鳴り響いた。
私を掴んでいたゴブリンの頭部が弾け飛び、緑色の体液を撒き散らしながら、車体の下へと転げ落ちていく。
呆然とする私の横に、硝煙を上げる拳銃を構えたアルデリーギ中佐が立っていた。
「いざという時は、拳銃を構えろ、算術師!」
やや苛立った声だった。砲術長の目は、私の生への執着の無さに対し、その怒りをあらわにしているようだった。
私は腰のホルスターから、支給されて以来ほとんど抜いたことのない拳銃を引き抜いた。私は計算は得意だが、銃の扱いは苦手だ。重い鉄の塊、そしてその発射の反動は、私の細い腕には荷が重すぎた。
「来るぞ!」
再び、別のゴブリンが車体によじ登ってきた。私は両手で拳銃を構え、震える指で引き金を引いた。
パンッ! パンッ!
反動で銃口が跳ね上がり、弾は明後日の方向へと飛んでいく。当たらない。私の放った弾は虚空を切り裂くだけで、ゴブリンは嘲笑うかのように距離を詰めてくる。
「うう……」
私が三発目を撃とうとした瞬間、ディッケバルトの尾栓が閉じる甲高い金属音が響いた。
「水平射撃、てーっ!!」
轟音。再び車体が大きく揺れ、眼前に迫っていたゴブリンごと、魔獣の群れが爆風で消し飛ばされた。
三基のディッケバルトによる後退しながらの水平射撃。それは、近づく者すべてを粉砕する無敵の防御陣であった。その絶え間ない砲撃の前にして、さしもの狂信的な魔獣の群れも、ついにその数を激減させていった。
後方から押し寄せていた黒い波が、嘘のように消えていく。残った数十匹のゴブリンやコボルトは、統制を失い、悲鳴を上げながら四散していった。
やがて、戦場には不気味なほどの静寂が訪れた。周囲に転がるのは、数え切れないほどの魔獣の死骸と、血の海だけだ。彼らはほぼ全滅した。我々は、あの尋常ではない数の津波を、力ずくで押し返したのだ。
「敵魔獣軍団、壊滅! 後退していきます!」
見張り員の歓喜の混じった声が響く。
「よし、ディッケバルト、後退停止! これより前進し、攻略戦に復帰する!」
アルデリーギ中佐の号令で、蒸気機関のギアが切り替えられ、我々の巨砲はゆっくりと、黒く焦げた大地を踏み締めながら前へと進み始めた。
残った数百名の歩兵たちが鬨の声を上げ、逃げる少数の敵を追う。作戦はまだ終わっていない。魔獣を操っていた「本体」である魔族を叩かなければ、本当の勝利とは言えない。
「見張り員より報告! 前方、鉱山手前の山腹に、敵陣地らしき魔法陣の光を確認!」
その声に、私は弾かれたように顔を上げた。
「距離は!?」
私の声に、見張り員が叫ぶ。
「距離、ちょうど十二キロ!」
十二キロ。それは、四十二センチ榴弾砲「ディッケバルト」の最大射程距離であり、同時に敵の長距離魔術の射程でもある。
狙える、そう思った私は、砲術長に向かって叫ぶ。
「砲術長! 算術師、意見具申!」
「具申は不要だ。ここからあれを狙えと、そう言いたいのであろう」
「はっ! その通りです」
「よし、全車、停止! 転倒防止装置展開!」
私は、先ほどの恐怖で震えていた手を強く握り締め、深呼吸をした。銃は撃てなくとも、私にはこの計算尺がある。魔族を滅ぼすための、千年の叡智の結晶ともいえる、この算術の道具が。
私は胸のポケットから計算尺を取り出し、双眼鏡で十二キロ先の微かな光を捉えた。
「距離一万二千! 風速七メートル!」
疲れ切っていたはずの私の脳が、信じられないほどの集中力をもって数値を弾き出していく。あの牢の中で対峙した傲慢な魔族、ブリヘーリアの顔が脳裏をよぎる。『我らの魔術は強大だ。魔力こそが絶対である』。
いや、魔力などものの数ではない。我々人類が積み上げてきた「算術」こそが、最強の武器だ。魔族の信念が魔術にあるならば、私の信念は算術に宿る。
「左七.八度、仰角四十五度、火薬十箱、信管四十八秒、弾着四十九.五秒!」
私が叫んだ完璧な諸元に従い、三基のディッケバルトがゆっくりと砲身を天空へと向けた。
「全砲、目標、敵陣地中心!」
アルデリーギ中佐が、静かに、しかし力強く右手を振り上げる。
「砲撃用意よし!」
「てーっ!」
砲術手の砲撃準備完了の声と共に、砲術長はその右手を振り下ろし号令する。今日一番の轟音が、魔大陸の空を震わせた。
撃ち出された重い弾頭は、目には見えていないが美しい放物線を描いて天高く舞い上がっていく。それはまさに、我々人類の魔族どもへ叩きつける強力な力の象徴でもあった。
弾着までの長い、長い時間。誰もが息を呑み、双眼鏡でその行く末を見守った。
「弾着まで五、四、三、二、一……今!」
十二キロ先の山腹の空中に展開していた巨大な魔法陣のど真ん中へ、三発の榴弾が正確に降り注いだ。
強烈な閃光が走り、少し遅れて地響きのような爆発音が届く。
「敵、魔法陣、消滅! 敵陣地、完全に沈黙!」
見張り員の絶叫が、その弾の戦果を告げた。
それはつまり、その陣地にいた魔族を倒したことを意味する。ついに我々、人類の悲願であった、魔大陸の希少鉱物の鉱山奪取に、まさに成功した瞬間でもあった。
「勝ったぞーっ!」
陣地のあちこちから、割れんばかりの歓声が沸き起こった。砲術隊の男たちが抱き合い、歩兵たちが帽子を空高く放り投げる。
私も、その歓声の中で安堵の息を吐いた。
「ああ、終わった……」
そう呟いた瞬間、私の中で張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。
先ほどまでの水平射撃による激しい揺れ、目の前で繰り広げられた凄惨な死闘、ゴブリンに掴まれ、殺されそうになった恐怖の瞬間、そして極限の集中力で行った最大射程の弾道計算。後退戦から前進、そして最後の砲撃に至るまでに、私は持てる力のほとんどを使い果たしていた。
緊張が解けると同時に、急に視界が揺らぎ、膝から力が抜け落ちる。
「あっ……」
泥と血にまみれた冷たい地面に倒れ込む、そう思った瞬間。ガシッ、と力強く抱きかかえられる。
たくましい砲術長の腕が、私の身体をしっかりと抱きかかえた。
見上げると、煤で顔を黒く汚した砲術長が、いつもの鋭い鷹のような目を少しだけ和らげて私を見下ろしていた。
「大儀だったな、算術師」
短く、しかし確かな労いの言葉だった。
「は、はい……」
「今は何も言わず休め。お前の算術が、我々を勝利に導いたのだ。あの修羅場の最中、よくこれまで踏ん張ったな」
その言葉を聞いて安堵したのか、私は目を閉じた。遠くで響く勝利の歓声と、蒸気機関の静かな駆動音が徐々にかすれていき、私はまるで気を失うように眠ってしまった。
人と魔の戦いは、まだ終わらない。ようやく一つ、手に入れるべき要所を落としたに過ぎない。だが今日、我々は確かに一歩、奴らの領域を切り取ったのだ。
だが、そんなことはどうでもいい。計算尺を握りしめたまま、私は深い眠りへと落ちていた。




