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#5 作戦

 平原に広がる連合軍の巨大な陣地は、重く沈鬱な空気に包まれていた。

かつては勝利の喜びに沸き立っていたはずのテント群の間を、今は絶望と悲痛な呻き声だけが通り抜けていく。


「死者、およそ一千三百……たった一度の戦いで、前線部隊の四割以上を戦死させてしまった」


 砲術長から伝えられたその数字に、私は思わずその場に立ち尽くし、手元の計算尺を強く握りしめる。

 鉱山獲得のために向かった三千もの兵の、実に半数近くが失われた計算になる。負傷者も含めれば、その被害はさらに膨れ上がる。前線の歩兵たちは、ギガオーガという巨大な肉の盾の背後に隠された、ゴブリンやコボルトといった小型魔獣の津波に飲み込まれ、文字通り蹂躙されたのだ。

 私たち第七十五砲術隊がとった、ディッケバルトを水平発射するという狂気じみた撤退戦術によって、我が連合軍は辛うじて全滅を免れた。結果的に我々は殿(しんがり)となり、味方の撤退を支援したことにもなる。だが、それは気休め程度の勝利だ。結果として、軍全体の半数近くを失った。我々は大敗を喫したのだ。

 泥と煤、そして味方の血にまみれて帰還した歩兵たちの虚ろな目を見るたびに、私の胸は締め付けられる。

 私の脳裏には、数日前にあの捕虜の魔族、ブリヘーリアが薄暗い牢の中で放った言葉がフラッシュバックしていた。


『お前に、忠告しておく。魔族は、お前たちが考える以上に卑劣だ』

『目的のためならば、どのような手段もいとわない。そのことを肝に銘じておけ』


 なぜ、私はあの言葉を単なる負け惜しみだと片付けてしまったのか。あの時、もっとその真意を探っていれば、あるいは砲術長に強く進言していれば、一千三百もの命が散ることはなかったのではないか。

 いや、たとえその言葉の意味を顧みたところで、どのみち今回の事態は予測できなかった。ともかく、今戦っている敵は、味方の命すらも利用して勝利をつかむ、手段を選ばない相手だということを一千三百柱の命と引き換えに痛感しただけだ。

 算術師である私は、弾道計算においていかなる微細な要素も見逃さないよう訓練されてきた。風向、気温、大地の自転によるコリオリ力。それら全てを計算に組み込むことで、初めて正確な射撃が可能になる。しかし、私は「敵の思考」という最も重要な変数を計算する術を知らない。

 そんな悩み事など、一蹴するほどの勢いでいら立ちの声を上げる看護師の姿が現れた。


「ああ、忙しいのに!」


 私のいるテントに、マルディーニがイラついたまま入ってきた。それはそうだ。ただでさえ、味方の兵士の治療をせねばならないというのに、あの魔族の治療も引き続き担当するよう命じられたからだ。治療自体は大したことではないのだが、あの魔族のマルディーニへの接し方が、あまりにも酷過ぎるからだ。

 今もまた、あの魔族の治療したがために、また何かを言われたようだ。相当頭に来ているらしい。

 そんなマルディーニと入れ違いで、私は後悔と自責の念に苛まれながらも、陣地の外れにある急造の丸太小屋へと足を向けた。


 重い鉄の扉が開かれ、カビと土の匂いが充満する薄暗い牢の中に足を踏み入れる。

壁に掛けられたランタンの心許ない灯りの向こう、鉄格子の奥に鎮座するブリヘーリアは、鎖の音を響かせてゆっくりと顔を上げた。その黄金の瞳が、沈痛な面持ちの私を真っ直ぐに射抜く。


「……だから、言った通りであっただろう、イルザよ」


 静かに、しかし確かな嘲笑を含んだ声が小屋の中に響いた。


「我ら魔族というのは、あの通り卑劣であり、目的のためならば味方の命すらも使い捨てにするものだ。お前たちのような、たかだか数十年しか生きられぬ脆弱な種族には、我々の残酷さなど測り知ることはできまい。自らの思い上がりが招いた結果だ。思う存分、嘆くがいい」


 そのブリヘーリアの言葉は、鋭い刃となって私の胸を刺す。私は唇を強く噛み締め、黙って耐えるしかなかった。尋問のために来たというのに、何も言い返せない。反論できるだけの材料を、今の私は持っていないからだ。

 今日はもう、ダメだな。尋問にならない。そう思った私は、テントに戻ろうと心に決める。が、黙って塞ぎ込む私を見たブリヘーリアは鼻で笑った後、ふと声を落とし、どこか独り言のようにぽつりと呟いた。


「だがな……魔族というのは、一度の成功を二度三度、やろうとするものだ」


 意味深な一言を、ブリヘーリアは告げた。その口調はまさにあの時と同じだ。そう、私に「忠告」した、あの言葉と同じ口調だった。

 それを聞いた私は顔を上げ、鉄格子に駆け寄った。


「それは、どういう意味だ?」

「言葉通りだ。我々、魔族にとっては、勝利とは絶対的な力の証明であり、一度勝利をもたらした力は、次もまた同じように使おうとするものなのだ」


 ブリヘーリアの言葉に、私ははっと息を呑んだ。

 言われてみれば、我々がこれまでの戦いから得てきた魔族の分析と見事に合致する。彼らは我々のように知識や戦術を広く共有しようとしない。七百年もの間、魔族の軍隊はほとんど戦術を変えなかった。自らの知恵と経験、そして絶対的な魔力に頼る傾向があまりに強すぎるためだ。

 つまり、あの鉱山を守る魔族の指揮官は今回、味方の犠牲の代わりに大勝利をえた。ということはつまり、彼らは再びギガオーガを盾にし、その後方から小型魔獣の群れを波状攻撃させるという、全く同じ作戦を取る可能性が極めて高いということだ。


「……なぜ、そんなことを私に?」

「今、私は何か言ったか? ただの独り言を、愚かなる人間の前でしただけのことだ」


 ブリヘーリアはそっぽを向いたが、その横顔には、算術という未知の概念をもたらした私への奇妙な返礼のようなものが感じられた。

 ともかく、ブリヘーリアのこの言葉を受け、その日の夜から軍司令部では連日連夜、激しい議論が交わされることとなった。


 「同じ作戦で来るならば、対処のしようはある」と、連合軍司令官と参謀たちの間で、新たな陣形と対抗策が練り上げられていく。

 その一方で、私は日課のようにブリヘーリアとの「尋問」という名の対話を続けていた。彼は依然として算術という概念に強い関心を抱いており、私は彼から敵の情報を引き出す対価として、算術の断片的な知識を語って聞かせていた。

 しかし、その丸太小屋でもう一人、鬱憤を溜め込んでいる人物がいた。従軍看護師のマルディーニである。

 彼女はブリヘーリアの怪我の治療のために毎日通っていたが、ブリヘーリアは私に対しては対等に近い口を利くようになったものの、怪我の治療にあたるマルディーニに対しては相変わらず「下等生物」だの「魔獣以下」といった冷たい態度を取り続けていた。

 まったく、魔族という連中は遠慮というものがない。マルディーニの我慢の限界が、そろそろ訪れようとしていた。

 あの戦いから三日後の夕方、治療を終えてテントに戻ってきたマルディーニは、怒りのあまり支給品の硬い乾パンをへし折っていた。


「本っっっ当に腹が立つわ! 私がせっせと包帯を替えて薬を塗ってやってるというのに、『汚らわしい手で触るなど、おぞましいやつだ』ですって!  あいつ何様よ、自分の立場が、分かってるの!?」


 顔を真っ赤にして怒り狂う彼女に、私は苦笑しながら水筒を差し出した。


「まあ落ち着け。魔族とはそういう生き物なんだから。ただ……あいつは今、『算術』という技にだけは畏敬の念を抱いている」

「算術? 算術ってつまり、計算のことよね」

「ああ。私が計算尺で弾道計算のことを話した。それが、魔術をも凌駕する力だと言い放ったら、やつは態度を変えた」

「ふうん、いいわねぇ、イルザは。その突出した得意技のおかげで、魔族すらも手なずけるなんて、うらやましい限りだわ」

「何を言う。やつの算術能力は、我々の初等教育以下だぞ。だから、マルディーニよ。お前もあいつの目の前で算術を見せつけてやれば、少しは態度が変わるんじゃないか?」

「えっ、私が、算術を……?」

「だいたいお前、看護師なりの算術を日々、しているのだろう? それをやつの目の前でやってみせればいいだけのことではないか」


 私のこの提案にマルディーニは一瞬きょとんとしたが、やがてその目に悪戯っぽい光が宿った。

 さて、その翌日、ブリヘーリアの牢を訪れたマルディーニの腕には、いつもの治療道具箱に加え、小さなメモ帳にペン、そして三種類の異なる塗り薬の瓶が抱えられていた。


「遅いぞ、下等な人間よ。我が傷口が疼いておるというのに」


 相変わらず高飛車なブリヘーリアの罵倒を、今日のマルディーニは完全に無視した。彼女は牢の鉄格子の前にしゃがみ込むと、ブリヘーリアの傷の具合をじっと観察し、おもむろにメモ帳を開いた。

 そして、三つの瓶を並べ、これ見よがしにブツブツと呟きながらペンを走らせ始めた。


「創傷の面積はおよそ二十平方センチ。炎症の度合いは三度。なら、第一の薬材成分を四、鎮痛成分を二、そして化膿止めの鉱物粉末を一の割合で……いや、昨日の経過から見て、三.五、二.五、一が妥当かしらね。総量十五グラムとして、第一成分が……」


 それは、塗り薬の調合割合と必要量を導き出すための計算だった。これまでは薬剤局のテントで済ませていた単純な計算だが、彼女はそれを見せつけるように、ブリヘーリアの目の前でスラスラと解いてみせたのだ。

 サラサラと数字が書き込まれていくメモ帳を、ブリヘーリアは目を丸くして見つめていた。


「……おい。なぜ、お前ごときが算術をしている? しかも、イルザが使っているというあの計算尺は要らぬのか?」


 驚愕の入り混じった魔族の問いに、マルディーニはフッと得意げな笑みを浮かべ、胸を張って答えた。


「私だって算術くらい使えるわよ! だいたい、こんな単純な計算、わざわざ計算尺に頼るほどのものではないわ!」


 その言葉は、五百年を生きた魔族の常識を根底から打ち砕くのに十分だった。

 千年の積み重ねである算術が、選ばれた一部の者だけの秘術ではなく、一介の看護師にまで広く行き渡っているという事実。それは、人類という種族全体の「知の底上げ」が、魔族の想像を絶する水準に達していることを意味していた。

 そのメモ帳を前にブリヘーリアは絶句する。まさかこんな看護師まで算術を……それ以降、この魔族はマルディーニに対する態度を多少、改めることとなる。彼女が包帯を巻くときに、侮蔑的な物言いをすることなく黙って従うようになった。


「ああ、ちょっと痛快だったわ!」


 私と共にテントへと向かうマルディーニが、思わず叫ぶ。


「だから言っただろう。やつは算術というものに、異常なまでの興味を抱いていると」

「それはよくわかったわ。だけど、私がやったのは算術なんてレベルのものじゃないわよ。ただ、怪我の具合から割り出した割合計算よ。あれを見て絶句するなんて、よほど魔族というのは計算が苦手なのかしら」

「いや、苦手というわけではない。ただ、知らないだけだ」


 喜ぶマルディーニを前に、私は魔族という連中の性質をこう表現した。彼らとて、馬鹿ではない。だが、自らの経験か、魔王という存在が与えてくれる知恵以上のものを、彼らは持たない。魔族同士が知識を共有し、それを活かして次の何かを生み出そうという発想は、彼らにはほとんどないと言っていい。


 さて、そんな牢の中での「小さな勝利」の裏で、連合軍の作戦はついに決定した。

 司令部はブリヘーリアの「魔族は同じ作戦を繰り返す」という情報を採用した。敵は前回と同じく、巨大なギガオーガを前面に出してくる。それらを倒した途端、波のように押し寄せる小型魔獣の群れに対抗すべく、陣形を変えることとなったのだ。

 前回の反省から、接近戦の的となる歩兵の数は思い切って削減された。前回の三分の一である一千人とし、彼らを砲兵の護衛として前線に立たせる一方で、小型魔獣の波をかわせるよう敢えて減らしたのだ。

 代わりに増強されたのが「火力」だった。


 四十基もの二十五センチ榴弾砲が投入される。前線では、横一列にズラリと並べられ、その後方の見晴らしの良い丘陵地帯には、射程十二キロを誇る四十二センチ榴弾砲「ディッケバルト」が、なんと三基も配備されることとなった。

 前回は我が第七十五砲術隊の一基のみだったが、他の隊のディッケバルトも急遽前線に投入された。我が隊はその三基の内の、中央を任されることとなる。左右の砲も、私の計算に基づき、位置補正をした後に一斉射撃を行う手はずとなっていた。


「作戦の肝は、ギガオーガの処理と、その背後の小型魔獣への連続攻撃だ」


 作戦会議での決定を、アルデリーギ中佐が我が第七十五砲術隊に告げる。ギガオーガを盾にされるならば、盾を粉砕した後に、その後ろに潜む無数の「本隊」に一瞬の隙も与えずに砲弾の雨を降らせる。圧倒的な火力の面制圧。それが、我々が出した答えだった。

 やがて、我々連合軍は前回と同じく、森の道から鉱山へと侵攻を開始した。


 黒く焦げた大地を踏み越え、我々は再び布陣する。左右の転倒防止装置をしっかりと大地に食い込ませ、三基の巨大なディッケバルトが空を見上げるように砲身を上げる。


「ロッセリーニ少尉、風向、天候の影響はどうか?」


 アルデリーギ中佐が、双眼鏡から目を離し、私に尋ねる。


「万全であります、砲術長。風向、気温、気圧、全て再計測済みです」

「よし。ならばあとは、敵が現れるのを待つまでだな」


 砲術長の声と同時に、前線の見張り員からの報告が響き渡った。


「前方、山間より敵影確認! ギガオーガの群れです!」


 私の視界の先、双眼鏡のレンズ越しに、岩山のような巨体を持つ魔物たちが地響きを立てながら現れるのが見えた。前回と全く同じ光景。彼らは巨大な棍棒を引きずりながら、我々の陣地を目指してゆっくりと前進してくる。


「……やはり、あの捕虜の言う通りだったな」


 砲術長が、ニヤリと笑った。私も小さく頷く。敵の指揮官は、またしても同じ手で我々を蹂躙しようとしてることが分かった。その慢心こそが、今回、我々が彼らを粉砕する最大の隙だ。


「全砲門、目標、前方のギガオーガ群の後方エリア!」


 砲術長の号令が谷間に轟く。

 私は胸のポケットから計算尺を取り出し、指先を滑らせた。近距離での複合計算法。だが、我々の砲の狙いはあの巨大魔獣ではなく、その後方に潜むとされる数千の魔獣の群れだ。その位置を推定し、私は計算する。


「ディッケバルト一番砲、左一.五度、仰角二十五度! 二番砲、左二.零度、仰角二十六度! 三番砲……」


 私の口から次々と弾き出される数値を、各砲の砲術手たちが復唱し、巨大な鉄の筒が微調整されていく。


「全砲、砲撃用意よし!」


「よし……合図まで待て」


 アルデリーギ中佐は大きく息を吸い込み、双眼鏡で行く手を見る。その時、前線に並べられた二十五センチ榴弾砲が一斉に火を噴いた。

 猛烈な粉塵が舞い上がる。前回は、その粉塵の隙間から大量の魔獣が現れた。が、その粉塵が消えぬ間に、砲術長の右手が高く振り下ろされた。


「てーっ!」


 三基の四十二センチ巨砲、そして四十基の二十五センチ榴弾砲が一斉に火を噴く。

天地を揺るがす轟音とともに、人と魔の新たな戦いの火蓋が、ついに切られた。

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