#3 尋問
私は砲術長であるアルデリーギ中佐の背中を追って。薄暗くなり始めた陣地の奥へと歩き出す。
そう、忌まわしき魔族と会うためだ。私よりも先に会った看護師のマルディーニの話によれば、人に対しては相当、見下した感のある種族だということは分かっている。
もっとも、これまでも魔族を捕らえ、尋問し、どのような思考の持ち主であるかはすでに知られていたことだ。今に始まった話ではない。
が、今度の魔族は、今までとは違う。長距離魔術の使い手だったからだ。これまで魔族の姿を見たことがあるが、会話を交わしたことはない。私にとって初めて出会う魔族が、ディッケバルトと同程度の射程距離をもつ魔術を放てる魔族というのは、どういう運命のいたずらか。
それゆえ算術師である私にとっては、忌まわしさよりも、好奇心の方が勝ってしまう。
陣地の外れ、歩兵たちが厳重な警備を敷いている一角に、急造の丸太小屋があった。周囲には鉄条網が張り巡らされ、銃を構えた兵士たちが絶えず周囲を警戒している。中佐の姿を認めるや、歩哨たちが一斉に敬礼し、重々しい鉄の扉の鍵が開けられた。
小屋の中はカビと土の匂いが充満し、ひどく薄暗かった。壁に掛けられたランタンの心許ない灯りが、鉄格子の向こう側を照らし出している。
そこに、その魔族はいた。
薄汚れた衣服をまとい、足に重い鉄の鎖を巻き付けられたその姿は、一見すると人間の男と大きな違いはないように見える。しかし、その頭部から生える禍々しく反り返った二本の角が、彼が人間ではないことを明確に示していた。マルディーニが言っていた通り、言葉はすんなり通じるらしいが、その存在自体が放つ異質な気配は、私の肌をあわ立たせた。
彼らは頭の角を除けば男性の人間と変わらない姿をしているが、見た目に意味はない。なぜなら、魔族には我々のような男女の差や、生殖という概念が存在しないからだ。魔族とは、魔王がその絶大な魔力を用いて、動物や魔獣の屍などから直接生み出すものであり、我々とは根本的に生殖方法が異なるのだ。
そして何より恐ろしいのは、その寿命である。彼らは数百年を生きるとされ、事前に砲術長から聞かされた情報によれば、このブリヘーリアと名乗る魔族は、すでに五百年を生きているのだと自称しているらしい。
五百年。それが本当なら、まさしく人類と魔族の血塗られた人魔戦争が始まって以来の歴史の大部分を、ほぼその目で直接見続けてきたということを意味する。
人類と魔族、そして魔族の操る魔獣との戦いが始まってもう七百年。さすがに彼らのことは、これまでの戦いの中である程度のことは知られていた。
魔族は、魔力を持たぬ生き物にはきわめて残忍だ。知性は、我々とほとんど変わりないが、しかし彼らは知識の共有を滅多にしない。航海術や言語といった、限られた知識の伝承はなされたものの、特に魔術に関してはまったくと言っていいほど教え合うことはしないという。魔術とは自らが、永い年月を経て努力により手に入れるものだと考えているようだ。それゆえに、魔族はここ七百年の間、戦い方にほとんど変化がない。
それでよく秩序が守られているものだと感心するが、おそらくは魔王という存在がいるからこそ、成り立っているようだ。その魔王という存在がどのようなものなのか、それについては未だに謎のままだ。捕虜にした魔族が魔王のことを語ろうとするものなら、その魔族は謎の力で突如、死に至るからだ。
それ以外にも、魔族には謎が多い。どうして魔力を持つのか? 魔法や魔術とは、どのように発することができるのか?
いや、それ以上になぜ、魔族は七百年もの間、変わることができなかったのか?
その間に人類は、大きく変わった。魔術に対抗するための戦、そして強力な武器が編み出され、数百年かけてようやく彼らを凌駕する力を手に入れたのだ。
だが、同じ時間を経ていながら、彼らは頑としてその戦法を変えることはなかった。
いや、正確には近年、ようやくその流れが変わった。
我々が魔大陸へ進出すると同時に「長距離魔術」なるものの使い手が現れた。それまでには存在しない長距離から放たれるこの魔術の登場に、我々は恐れを抱いていた。
その長距離魔術の使い手を、捕らえることができたというのだ。
ただ、残念なことに射程は長いが、命中率が低い。どういう理屈に基づいて彼らは目標に狙いを定めているのか。
それ以上になぜ急に、彼らは長距離魔術を編み出したのか?
知りたいことは山のようにある。が、どこまで聞き出すことができるのか。
警備兵らと共に、アルデリーギ中佐と私は鉄格子越しに魔族と向き合う。砲術長が、その魔族に言葉を投げかける。
「貴様がブリヘーリアだな。私は第七十五砲術隊の砲術長をしている、アルデリーギだ」
尋問は、砲術長の低く威圧的な一声から始まった。鉄格子の向こうの魔族は、鎖の音を鳴らしてゆっくりと顔を上げ、ランタンの光の中で金色に光る瞳でこちらを睨みつけた。
「ふん、魔力も持たない下等な種族が、我に何の用だ」
ああ、直に見ると本当に人を馬鹿にしている態度が露骨だ。言いようのない圧迫感のあるその言葉遣い、わざと癇に障る物言い、これではマルディーニが怒るわけだ。
「その魔力を持たぬ者に、貴様は捕らえられたのだぞ」
だが、アルデリーギ中佐はブリヘーリアという高飛車な物言いの魔族に、痛烈な一言で返した。まさにその通りだ。魔力など関係なく、やつは敗れ、そして捕まった。
その事実を突きつけられたブリヘーリアは、砲術長に尋ねる。
「で、なんだ。わざわざ捕らえた魔族を、嬉々として見物に来たと言うのか?」
「そんな無益な理由で、こんなところに来るはずがない。聞きたいことがあるから、ここに来た」
「ほう、何を聞きたいと?」
「簡単な問いだ。貴様らが今日放った長距離魔術。あれはどれほどの距離まで届き、どれくらいの威力があるのか、答えろ」
それは、今さら聞くまでもない問いではあった。我々の見立てでは、彼らの長距離魔術の射程は、我々の「ディッケバルト」と同じおよそ十二キロ。だが、相手の口から正確な数値を引き出すことが、この尋問の目的だった。
しかし、ブリヘーリアの口から出た答えは、私の予想を根底から覆すものだった。
「キョリとは、なんだ?」
魔族は、心底不思議そうな、そして馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「やはり、下等な人間の言葉というものは理解できん。何を言っているのか分からぬ」
「いや……距離の概念くらいはあるだろう。さもなくば、あれほど遠くから魔術を放つ際に、どれくらい飛んでいくかをどうやって把握しているんだ? だいたい、この魔大陸から我らが住む人大陸まで航海する際にも、距離という概念がなければたどり着けないのではないか?」
「いや、あれは単に、北に輝く不動の星との角度とやらを測り、それを元に目指すべき目的地までの方角を知ることができる。キョリなどというものは、用いておらぬ」
ちょっと待て、どう考えても目的地までの距離を知らずに角度だけで航海していたら、何日かかるか分からぬであろうに。が、魔族や魔獣は魔力さえあれば、何日も飲まず食わずでも耐えられるというから、そんな適当な航海術でもなんとかなってしまう。ゆえに、距離の概念がなくとも大海原を乗り越えることができるのか。
「ならば、あの長射程の炎の魔術はどうやって目標に当てるつもりなのか? 相手の距離が分からなければ、当てることすら困難ではないか」
「魔術を放つことに、そのような概念が必要か? 我が魔力は視界の果て、遥か遠くまで届き、大地を焦がす。ただそれだけのことだ。おおよその狙いを定めて、渾身の魔力をかけて放つ。わざわざ数字などというものを、我々の偉大なる魔力を当てはめようとするなど、愚かの極みだな」
私は、その言葉に驚愕し、息を呑んだ。このやり取りから察するに、彼らには「距離」だけでなく、弾道計算という概念すらないのだ。
「十二キロ」という空間の広がりを数値化し、分割し、正確に把握する術を持っていない。「遠くに見える」から、「遠くへ向けて魔力を飛ばす」。ただそれだけの原始的な感覚で、彼らはあの強力な魔術を放っていたというのか。
私は呆れ果て、閉口せざるを得ない。人類はすでに石炭を燃やして発生する蒸気を原動力とする機関を実用化し、蒸気タービンによる鋼鉄の船が海を渡る主流の時代を迎えているというのに、彼らは未だに我々から奪った古い技術の帆船を使い続けている。そんな我々と違い、魔術そのものの進歩はあれども、その他の道具や技術の進化は過去数百年間ほとんど見られず、我々の持つ技術を表面だけ真似るのが精一杯なのだ。
つまり彼らには、「算術」という概念すらあるかどうかも怪しい。
「フン……理解したか、愚かな人間どもよ」
私が沈黙したのを恐れをなしたと勘違いしたのか、ブリヘーリアは鉄格子越しに傲慢な言葉を紡ぎ続けた。
「貴様らが仰々しくも小賢しい鉄の筒で我々を出し抜いた気でいるようだが、所詮は魔力を持たぬ弱者の足掻きに過ぎん。魔力こそがこの世の絶対の理であり、それを持たぬ人間どもなど、簡単な魔術を放つことができる魔獣の足元にも及ばぬ存在だ。そのような下劣な生き物など、いずれ我が同胞たちが一匹残らず焼き尽くしてくれる」
「魔力を持たぬ者など、魔獣以下」。まさにマルディーニに言い放ったのと同じ、その心底からの見下した言葉に、私の中でくすぶっていた黒い憎悪が一気に燃え上がった。
「呆れた」
気がつけば、私は砲術長の存在も忘れ、鉄格子に歩み寄っていた。
「魔獣の、足元にも及ばない? その魔獣以下とやらが存在が作った『鉄の筒』から放たれた砲弾に、無様にも敗れたのはまさしくその魔獣と、それを操る魔族ではないか」
「おい、そこの小娘。たまたま我らの頭上に当たった鉄の塊で得た勝利を勝ち誇るなど、愚の骨頂であるぞ」
「何を言うか。あの戦いの結果は『たまたま』ではなく『必然』だ。数値も語れない、距離すらも測れない、五百年も生きていながら道具一つ進化させられない停滞した未開の魔族など、我々の算術と砲火が、いずれこの世界から完全に滅ぼす!」
私の激しい怒声が、狭い小屋の中に響き渡った。家族を奪われた憎しみもあるが、なによりも算術を馬鹿にされたことに怒りを覚えた。それがつい、言葉となって溢れ出していた。
「そこまでだ、少尉」
冷静さを欠いた私の背後から、アルデリーギ中佐の太い腕が私の肩を強く掴んだ。
「頭を冷やせ。貴官の個人的な感情をぶつける場ではない」
ハッとして我に返った私は、荒い息を吐きながら中佐に敬礼した。中佐は私の様子を見て、今日の尋問はこれ以上無意味だと判断したのだろう。頭に血が上った私を連れて、きびすを返して外に出ようとした。
が、その帰り際、重い鉄の扉を開けようとしたその瞬間、背後から鎖の擦れる音と共に、低く押し殺したような声が響いた。
「……待て、小娘。いや、少尉とか言ったな」
足を止め、振り返ると、ブリヘーリアの黄金の瞳が、射抜くように私を真っ直ぐに捉えていた。先ほどの傲慢さは影を潜め、そこには純粋な疑問が浮かんでいた。
「数値を語るとは……どういう意味だ? あの砲弾とやらを魔獣や魔族に当てたのは、偶然ではなく必然だと、なぜそう断言できるのだ? それに『算術』とはなんだ。魔術の類いか?」
私の放った「算術」という一言が、全てを変えた。
砲術長は私に目配せをし、「続けろ」と無言で促した。私はゆっくりと鉄格子の前へと戻った。
それをきっかけに、ブリヘーリアは砲術長ではなく、私にだけ対等に語り合おうとする姿勢を見せた。彼は五百年の時を生きる中で、初めて出会った「全く異なる理を口にする存在」に、奇妙な興味を抱いたようだった。
「我々の魔術は強大だ。魔力こそが絶対であることに変わりはない。だが……」
ブリヘーリアは、苛立ちを隠しきれない様子で、鎖に繋がれた両手を強く握りしめた。
「あの広大な平原の彼方、あまりに遠すぎる敵に向けて魔術を放つには、よほどの大軍勢が相手でなければ当てることなどできん。点に過ぎない砲台に当てるなど、我々の持つ魔力をもってしても、思い通りに標的の頭上を穿つことができず、ただ虚空を焦がすことしかできぬ。だが、人間どもは以前より我らが魔族のいる場所を魔法陣より割り出し、かなり正確に当ててくる。だから、魔術を放った後はすぐに移動せよと、かねてより言われているほどだ。それは一体、どうしたらそんな正確な攻撃が可能なのか?」
私はこの魔族の放ったひと言で、魔族が抱える決定的な弱点と苦悩を知った。彼らは魔術を発達させ、より遠距離を攻撃する術を作り出した。しかし彼らには、そもそも魔術の放つ炎や水の弾道を予測する術を知らない。当然ながら、なかなか当てることができないのだ。それを彼ら自身も自覚し、歯痒く思っていたことが今の一言からうかがえる。
しかもだ、やつらが魔術を放つ時、空中に魔法陣が現れる。その中心に魔族がいることは明白だから、その距離を測り、反撃の目印とする。人大陸での戦いで、それを薄々学んではいたようだ。だから、魔術を放った後は移動せよと、そう考えるようになったのだろう。
魔族とは、私の家族を奪った忌むべき相手だ。対話など本来なら御免被りたい。だが、この目の前の魔族は、今日、人類が放った砲弾が、正確に魔獣の群れのど真ん中に、そして自分たち魔族の頭上にピンポイントで降り注いだ光景を見て、その仕組みを不思議に感じていたのだ。
「なぜだ? なぜ貴様らの放つあの無数の鉄の弾は、我々の頭上へと正確に落ちてくるのだ。貴様らはどうやって、その『数値を語る』ことで、あの遠い距離から我々を撃正確に撃つことができるというのだ?」
相変わらず傲慢な口調には変わりないが、それでも探求心に満ちた瞳とその問いかけ。私は、その問いに対して冷たい優越感を覚えた。
無論、その原理を教えるわけにはいかない。とはいえ、我々がコリオリの力や空気抵抗率、風向を計算しているなどと明かしたところで、どのみち距離という概念を持たない彼らに、弾道計算など理解できるはずもない。
だから、私はゆっくりと胸のポケットに手を伸ばし、一つの細長い板を取り出した。
目盛りが細かく刻まれた、算術師の魂とも言える道具。私はそれを鉄格子の隙間から、ランタンの光にかざして見せた。
「その方法を、教える義理はない。けれど、これだけは教えられる」
私は、五百年の時を生きる強大な魔族を見下ろすように、計算尺を掲げながらはっきりとこう言ってのけた。
「この道具こそが、我々の砲弾を正確に魔獣どもの真上に降らせる、決定的な道具。距離と方向を測り、そこにいる敵の真上に正確に弾が向かうよう予測をする。私たちはそれを『算術』と呼んでいる」
「さ、算術……だと」
白い計算尺が、冷たい光を反射する。ブリヘーリアはその小さな木の板を、まるで信じられない魔法の遺物を拝むかのように、ただ黙って見つめていた。その表情には、魔力を持たぬ人類が到達した「知」という領域に対する、初めての畏怖が刻まれていた。




