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#2 陣地

 峠での戦闘を終え、巨大な四十二センチ榴弾砲「ディッケバルト」を牽引する蒸気車両は、黒煙を上げながらゆっくりと後方の平原へと下っていった。ゆっくりとしか進めないその鈍重な鉄の塊に随伴しながら、私はようやく訪れた戦闘終了の安堵を静かに噛み締めていた。

 私の初陣だった。が、あまりに遠く離れた敵への攻撃であったためか、勝ったという実感はない。上手くは言えないが、狩猟で大物の鹿を射止めた、という程度の感動でしかない。もっとも、私に狩りの経験などないのだが、私の知識力では他に例えようがない。

 そんな峠のふもとにある広大な平原に、人連合軍の遠征師団の巨大な陣地がある。その平原に帰還した我々第七十五砲術隊の面々は、互いに勝利の喜びを分かち合っていた。先発隊として派遣され、二千を超える魔獣の群れをたった一門の巨砲だけで粉砕するという破天荒な作戦の初陣を無事に生き延びたのだ。陣地に並ぶテント群を見て、緊張の糸が解けた隊員たちの笑い声がそこかしこから聞こえてくる。


 泥と煤にまみれた軍服の埃を払い、私は整然と並ぶテント群の一角、女性軍人用に割り当てられた小さなテントへと足を踏み入れた。前線では極めて珍しい女兵士である私にとって、ここは陣地内で唯一、男たちの視線を気にせずに息を抜ける場所だった。

 天幕をくぐると、先に陣地で待機していた従軍看護師のマルディーニが、丸椅子から勢いよく立ち上がって明るい声を上げた。


「お疲れ様、イルザ。聞いたわよ、あなたの活躍の話」


 彼女は興奮した様子で、私の両手を握りしめてきた。


「あの『ディッケバルト』の弾着計算を完璧なまでにこなして、二千もの魔獣の群れや魔族まで吹き飛ばしたんですって? 他の隊の連中までもが、第七十五砲術隊の算術師は神業だと、食堂で大騒ぎしてたわよ。まさに英雄扱いじゃない」

「英雄だなんて、大げさな……私はただ、上官の命令に従って計算尺を滑らせ、弾道計算をしただけだ」


 私は苦笑しながら答えた。女と言っても身なりも胸も小さく、髪も短いため軍服姿では男と見分けがつかないような新米兵の私が、歴戦の猛者たちからそんな風に称賛されるのは、ひどくむず痒い感覚だった。


「謙遜することないわよ。あなたが正確な計算をしてくれなかったら、今頃この陣地には、私のような従軍看護師が怪我人の対応に、てんやわんやしているところだったわ」


 マルディーニの明るい笑顔に少しだけ心が救われる思いがした。言われてみれば、その通りだ。我々、第七十五砲術隊の役目は、敵の魔獣の群れを極力叩き、魔族の戦力を少しでも削ること。まさか、ほぼ全滅まで成し遂げられるとは思わなかったし、その魔族すらも叩けるとは思わなかった。

 運が、よかったのだ。

 しかし、その運とやらがもたらした現実を突きつけられたのは、その直後のことだった。

 テントに荷物を置き、私は陣地内にある木と粗末な布で設えられた簡易食堂へと足を運ぶ。支給されたのは、石のように硬い乾パンと、塩味しかしない缶詰入りの干し肉、

それに酢漬けのキャベツだった。それらを支給されたコップ一杯の水で無理やり流し込まなければ喉を通らない。そんな食事だが、前線においては贅沢は言えない。

 硬いパンと肉片を酢漬けキャベツの酢で少しでも柔らかくし、無心で咀嚼していると、背後のテーブルから泥だらけの歩兵たちの生々しい会話が耳に飛び込んできた。彼らは、先ほどの戦いで我が隊の放った榴弾が降り注いだ森の出口付近に進軍し、残敵掃討を行った部隊のようだった。


「……いやあ、ひでえもんだったぜ。あの砲術隊が撃ち込んだ場所、敵にとっては文字通り、地獄だったな」

「ああ、俺も見たよ。吹き飛ばされたオークやゴブリンの肉片やら内臓やらが、平原の一帯にべったりと散乱しててよ。原形を留めてる死体の方が少なかったくらいだ。中には息のあるやつもいたが、もはや立ち上がって襲う気力もなかったから、その場でとどめを刺してやった。いや、実におぞましくも痛快な戦場だったな」


 男たちの声には、私が先ほど経験した戦闘の興奮とは違う、生々しい凄惨さと嫌悪感が混じっていた。

 私は初弾で放った弾頭を思い出した。榴弾に詰め込まれた一千発もの弾を、魔獣の群れの真上で炸裂させ、雨のように降らせたのだ。私の計算通りならば、その破壊力は絶大である。

 が、その下がどうなっているかなど、想像したこともない。


「あれだけの死骸の山だ、そのまま放っておいたらすぐに腐敗して疫病の温床になりかねねえ。連合軍の今後の前進にも支障が出るってんで、上官の命令で灯油をありったけ撒き散らして、全部焼却処分してきたんだよ」

「焦げた肉の臭いと、灯油の悪臭で、吐き気が止まらなかったぜ……」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胃袋が小さく痙攣した。口の中にある塩辛い干し肉が、途端に生臭い血の塊のように感じられ、思わず吐き出してしまいそうになる。

 私が計算尺を滑らせて導き出した「左七.三度、仰角五十六.八度」という無機質な数字。それが、現実の戦場においてどれほどの凄惨な光景を生み出しているのか。算術という無機質な学問と、戦場という血肉の飛び散る現実のギャップに、私は密かに唇を噛んだ。

 だが、歩兵の口から出た次の一言が、私の意識を別の方向へと鋭く引き寄せた。


「だけどよ、信じられるか? あの屍の海の中で、一人だけ生きてる『魔族』がいたんだ」

「マジかよ。あの砲撃を喰らって、生きてたのかよ?」

「ああ。魔族は二人いたが、一人は絶命していた。が、もう一方は怪我を負ってはいたものの、気絶しているだけだった。そのまま捕縛し、この陣地に運び込まれたらしい。聞けば、長距離魔術の使い手ということだ。どうせ軍の方で魔術の秘密やらを尋問し、洗いざらい吐かせるんだろうよ」


 魔族の生き残り。その事実に、私の背筋に冷たいものが走った。


 食事を早々に切り上げてテントに戻ると、先ほどまで笑顔だったマルディーニが、ひどく疲弊した、そして苛立った様子で戻ってきたところだった。エプロンには赤黒い血の染みが付着している。


「あれ、どうしたの、マルディーニ? 怪我人に手当てでもしてきたの?」

「ええ、そうよ……といっても、さっき運び込まれた魔族の捕虜の治療に、あたってきたところ」


 つい先ほど耳にした、長距離魔術を使うとされる魔族の治療を行ってきたらしい。彼女は忌々しそうに舌打ちをした。


「あの生き残った魔族、名前は『ブリヘーリア』って言うらしいわ。頭に大きな角を持つ以外は、私たち人の身体と大きな違いはないし、言葉だってそのまますんなり通じるのよ。だから最初は、敵とはいえ怪我人だし、少しは可哀想だと思って手当てをしてたんだけど……」


 マルディーニの顔が怒りで赤く染まる。


「あいつ、治療を受けているくせに、私たち人間のことを完全に見下しきった目で見てるのよ! 何て言ったと思う? 『魔力を持たぬ者など、魔獣以下の存在だ』って! まるで虫ケラでも見るかのように私にそう言い放ったの! 本当に腹が立つ! 思わず、手にした包帯で首を閉めたくなったほどよ!」


 激昂するマルディーニとは対照的に、私の胸の奥には氷のように冷たく、そして暗い興味が湧き上がっていた。


 「魔力を持たぬ者など、魔獣以下」か。いかにも、あの傲慢な種族が口にしそうな言葉だ。

 女である私が、ロメリア王立工術大学の砲術計算科に進んで前線へ赴くべく志願した理由。それは、決して国を守るというような崇高な正義感からではない。

 それは魔族への復讐だ。

 かつて人大陸で起こった人魔戦争の凄惨な戦火の中で、私の住んでいた村は魔獣たちに襲われ、私を除く家族は無惨に殺されてしまった。その燃え盛る故郷の光景は、今も私のまぶたの裏に焼き付いている。私を突き動かしているのは、魔族という種族そのものをこの世から殲滅したいという、真っ黒な憎悪からだった。

 だが、女である私には、重い銃を支える力も、銃剣を構えて突撃する体力もない。それでも奴らを殺す方法を探し求め、行き着いたのが「算術師」という道だった。力仕事は無理でも、頭脳と計算術を使えば、誰よりも多くの魔族を葬り去ることができる。そう信じて、私は弾道計算術を死に物狂いで身につけたのだ。


 思えば、人類と魔族が血で血を洗う戦いを始めてから、もう七百年という途方もない歳月が経っている。

 かつて、両者は広大な海によって完全に隔てられており、互いの存在すら知らなかった。しかし七百年前、人類の探求心がその扉を開けてしまった。この大地が丸いこと、そして我々人類が生存する大陸は、丸い大地の三分の一ほどの大きさしかないことに気づいたのだ。そこで当時の船乗りの一人が貴族らの支援を得て、無謀にも見知らぬ大地を求めて大海原へと乗り出したのだ。

 その結果、海の果てに、手つかずの希少金属の鉱山や見たこともない香辛料が自生する宝の山が眠る、巨大な新大陸が発見された。それを知った人々は、富と名誉を夢見て、大挙してその大陸へと押し寄せた。

 だが、それが浅はかな行為であることを知るのに、少しばかり時間を必要とした。

 その宝の山の大陸には魔獣と魔物が跋扈し、魔族が支配する「魔大陸」であるという絶望的な事実を知るのは、それからわずか数か月後のことだった。

 まさに彼らは、地獄の釜の蓋を開いてしまったのだ。それを知っていれば、彼らは命がけの航海などしなかったであろう。

 魔大陸に渡った大勢の人々の多くは、彼らの強大な魔術と凶暴な魔獣の攻撃によって一方的に虐殺された。そして、少人数だけ生き残った船乗りたちは捕らえられ、厳しい拷問の末に彼らの持つ高度な航海術や造船技術を魔族らに教え込むことを強要されたのだ。

 人のその技術を手に入れた魔族らは、それを利用し、逆に人大陸へと大挙して押し寄せてきた。人類の住む土地を奪い、家を焼き、人々を奴隷とした。一時的に、人大陸の四分の一ほどが魔族の支配下に置かれたという暗黒の時代があった。それまで互いに領土を争って戦争し合っていた人類の国々は、種の存亡をかけて連合軍を組織し、辛うじて魔族の侵攻を食い止めるのが精一杯だった。


 しかし、その長く苦しい戦いの趨勢を決定づける大発明がなされた。「火薬」の発明だ。それを用いた銃の誕生により、人は魔族の短距離魔術が届かない場所から攻撃する術を手に入れた。

 そして「蒸気機関」の実用化。それは大量生産を可能にする力を我々に与え、さらに物資や巨大な兵器を前線へと輸送するための強力な動力として使われた。

 この二つの発明は、戦いの歴史を根本から塗り替えたのだ。

 火薬と蒸気機関、特に火薬技術の進歩は強大な砲術と爆術による攻撃を可能とし、ついに人は魔族の魔法を圧倒できる力を手にした。そこから人類の反転攻勢が始まった。三十年という血みどろの歳月をかけて、人々はついに魔族を人大陸の東端であるマルデリッタ高地まで追い詰めたのである。


 だが、魔族もただ黙って滅びを待つような連中ではなかった。追い詰められた彼らは魔術を集中させ、最後の総攻勢に出た。

 人連合軍がその苛烈なまでの魔術の集中砲火によって、まさに潰走寸前の状態に陥った。その時、その絶望を打ち砕いたのが、他でもない我が第七十五砲術隊の砲術長、アルデリーギ中佐だった。

 当時、砲術長はまだ大尉であり、砲術手であった。三年前のあの戦いで、彼は一門の二十五センチ砲を用いて、怒涛のように攻め入る魔獣の群れを正確な射撃で撃退し、敵の進撃を止めることに成功した。これが連合軍反転攻勢の決定的なきっかけとなった。この戦いの勝利により、ついに魔族を人大陸から完全に追い出すことに成功。そしてその最後の戦いから三年後、今度は我々が海を渡り、再び魔大陸へと進出し始めたのである。

 アルデリーギ大尉もその戦功により二階級特進し、中佐となった。あの人大陸での最後の戦いで「英雄」と呼ばれたことは、第七十五砲術隊の隊員たちから何度も聞かされていた。そしてこのお方には人類史上、最強の兵器を任されることとなった。

 それは、「ディッケバルト」と呼ばれる口径四十二センチの砲だ。射程距離は十二キロ。この砲が作られた背景は、敵の新たな魔術の登場にある。

 マルデリッタ高地での戦いの後、彼らは恐ろしい魔術を編み出した。

 それは、十二キロ先まで炎の魔術を放つ長距離魔術だ。その使い手の魔族は、推定で十数人以上はいると思われる。魔大陸に進出した人連合軍は、この新たな魔術の登場に翻弄される。

 とはいえ、奴らには十キロ以上離れた目標を正確に狙い撃つための高度な計算術がない。だからこそ、脅威ではあれども決定的ではなかった。とはいえ、それだけの長距離に対抗できる兵器をこちらも持たなくてはならない。

 そして同時に、それを正確に当てる方法も、同時に編み出さなくてはならない。

 元々、砲術の弾道計算というものは編み出されていた。が、射程がまだ四、五キロ程度であればさほど難しい計算ではない。が、十キロを超えるとそうはいかない。わずかな風や空気抵抗、そしてコリオリ力といったそれまでは無視していた力すらも加味しなくてはならない。

 そんな事情もあり、アルデリーギ中佐は女であり新兵である私に対しても、純粋にその計算術の腕だけを買って、射程十二キロを誇る人類最大最強の巨砲「ディッケバルト」の弾道計算を任せるという、極めて大胆な決断を下したのだ。


 私は、自分の手の中にある計算尺をぎゅっと握りしめた。

 私の計算がどれだけ無惨な死体の山を築こうとも、構わない。この手で直接血を流さなくとも、私の頭脳が弾き出す数字が、奴らに死という裁きを下すのだ。

 その時、テントの外から重々しい軍靴の音が近づいてきた。


「ロッセリーニ少尉は、いるか?」


 低く、よく通る声。そう、あれはアルデリーギ中佐の声だった。


「はっ! しばしお待ちを!」


 私は慌てて立ち上がり、だらしない下着姿から、軍服に着替え襟を整え立ち上がる。そしてテントの入り口の幕を開け、敬礼した。勲章付きながらも歴戦の戦いで擦り切れた軍服姿の中佐は、いつものように鋭い鷹のような目で私を見下ろした。

 中佐は一瞬だけテントの奥にいるマルディーニに視線をやった後、再び私に向き直り、静かに、しかし有無を言わせぬ響きを持った声で告げた。


「これから捕虜となった魔族……ブリヘーリアと会い、尋問することになった。貴官も同行せよ」

「えっ、私がですか?」

「そうだ。奴らの口から、長距離魔術に関する話を引き出したい」

「はぁ……ですが、どうして算術師である私が、同行を?」

「やつらの魔術、あれがどれほどの弾道計算で放たれているのか、それとなく聞き出すためだ。それ次第で、こちらの作戦の立て方が変わる」


 私は小さく息を呑んだ。家族の仇である魔族。しかも、生き残り、我々を「魔獣以下」と見下す傲慢な存在。そんな魔族と、直接対峙する時が来たのだ。


「承知しました、中佐。同行いたします」


 私は計算尺と野帳を胸のポケットに深く押し込み、中佐の背中を追って、薄暗くなり始めた陣地の奥へと歩き出した。

 私が兵士になったのは、まさにその魔族を滅ぼすためだ。

 が、この時私の胸にあったのは、どちらかといえば好奇心の方が強かったかもしれない。

 やつらの持つ、算術能力を知れる、絶好の機会だ。それは我々よりは遅れたものであることは、あの弾着結果からは間違いない。が、だからといってどれほどの算術能力をもっているのかを、我々人類はまだ正確に知らない。

 むしろ、そのことを解き明かすという好奇心こそが、今は私の心を支配していた。

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