3.顔なし令嬢と婚約者
「レディ、エリザベス。お菓子はどう? チーズのクリームのかかったスウィートロールは絶品よ。これはアルフォンスの大好物で、あなたが来るとわかったらあの子ったら絶対に一緒に食べるんだってもううるさくて……」
「まだいただいてません……すぐにいただきます!」
「ま、まって!!」
夫人の勧めるままにふんわりとやわらかいお菓子をフォークで切り、口に入れようとしたところで聞きなれない声がした。
「待って待って、どうしてお母様が僕より先にエリザベスとお茶してるんだい! ずるいよ! 僕なしで始めるなんて! 僕がどれだけこの日を心待ちに……って、あ、その。い、いらっしゃい、エリザベス……」
「あ……えっと……、アルフォンス……さま?」
大きく口を開けてお菓子を放り込む瞬間を見られたと思ったが、どっちみち見えないのだということを思い出し、エリザベスはそっとフォークを下ろす。顔を上げると夫人の後ろに背の高い男が立っていた。
その男は夫人と同じ黒い髪を長く伸ばし、後ろで一つにくくっている。前髪がうっとおしく顔にかかってどんな顔なのかはよくわからなかった。泥だらけのコートを羽織り、肩かけカバンの隙間からガラスの試験官が飛び出してがちゃがちゃ音を立てる。背中を丸めているがクラウスより背は高いようだった。
(なんでも外見もそれはそれはみすぼらしくて、貴族とは思えないくらい汚い格好で泥だらけになって沼地で蛙なんて捕まえてるんですって……)
男の風体はソフィアが言っていた特徴に見事に合致する。この人がアルフォンスだ、とエリザベスにはすぐにわかった。
「ちょっとなあに? そんな汚い格好をして。レディを待っていたいた紳士の装いとしてはありえないですわよ。そんなだからクラウスに馬鹿にされるのよ……」
「急いで戻ってきたんだ、いろいろ準備したくて、そのために集めなきゃいけないものがあって……。そ、そんなことより、スウィートロールは僕がエリザベスと一緒に食べるんだよ、お母様がその機会を取らないで……」
「だったらせめて手を洗っていらっしゃい!! いやあね、ごめんなさい、レディ、エリザベス。ああいう子だけど、よろしくね」
「……はい」
アルフォンスが手を洗って戻ってくる前に夫人は「旅の荷物を整理しなくてはならない」と言って席を立った。あとは二人きりで親睦を深めて頂戴と言い残し、彼女はるんるんと弾む足取りでいなくなってしまう。
(公爵夫人、想像していたより全然おちゃめな人だったわ……。おかげでアルフォンス様と会うのに緊張せずにすんだけど……)
お菓子の切れ端にささったフォークを置いたまま待っていると、ほどなくアルフォンスが戻ってくる。泥だらけのコートとパンパンのカバンはどこかに置いてきたようで、お日様の下の白いシャツは思ったより清潔だった。
「エリザベス、ようこそいらっしゃい。僕、アルフォンス・ローゼンハイムです」
「あ、はい。エリザベス・ハルトマンです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「そんなのいいんだ。いろいろあったみたいだけど、今度は僕が君の婚約者だ。さあ、お菓子、食べて。君が来るって知って、いっぱい用意したんだ」
「はい、いただきます……。ん……」
食べかけていたお菓子をエリザベスは促されるまま改めて口に運んだ。その様子をアルフォンスはじっと見ている。
(口がどこにあるのか見てるのかしら。夫人もそうだけど、この人どうしてわたしみたいな顔なしにこんなに普通に接してくれるの……。魔術的興味? あ。おいし……)
「おいし? エリザベス」
「ふん、んっ。はっ、失礼しました……、あ、おいし、おいしい……」
バターの効いたふわふわの生地にかかったチーズ風味のとろけるクリーム。アルフォンスのお気に入りだというスウィートロールは素晴らしい味だった。思えば、実家にいた時の食事にデザートなどつくことがまれだったし、ついてもソフィアに取られてばかりいた。
「こんなにおいしいもの、久しぶりに食べました……」
「本当!? よかった! 僕、エリザベスに僕と同じものを食べてほしくて……嬉しいな。これから毎日だって食べさせてあげる。一緒にたくさん美味しいもの食べようね……」
アルフォンスは長い前髪を指でよりよりといじりながら、口元をほころばせてうふふ、と笑う。そのしぐさは堂々としたクラウスとは似ても似つかず、彼の嫌いそうな行動だった。それを見て、演技ではなく本当にアルフォンスはエリザベスと一緒にお菓子を食べるのが嬉しいのだと思った。しかしどうして?
「あの……。アルフォンス様は、嫌ではないのですか」
「嫌? 何が? あ、もしかして外で飲み食いするの嫌だった? ごめんね気が付かなくて……」
「そうではなく」
自分で自分の顔のことを口に出すのは抵抗があった。自分には見えるとはいえ、他者にとって自分が顔なしの化け物であることは事実。それを自分で口にするのは、心を削る。しかし、言わなくてはいけなかった。
「アルフォンス様は、顔のない女が婚約者で嫌ではないのですか?」
エリザベスのその言葉を聞いて、アルフォンスのほころんだ口角がすっと下がった。エリザベスは人の表情のその変化には嫌というほど覚えがある。豊かな髪に惹かれて声をかけた令息たちが、振り向いたエリザベスののっぺりした顔を見て失望するときの顔。やっぱりアルフォンスも親から言われたから仕方なくエリザベスを迎えるだけで、顔のない女など嫌にきまってる……。
「嫌なんかじゃない。僕はエリザベスを嫌だなんて思わない」
「……顔のない女なんて人前に出せない、連れ歩けないってクラウス様はおっしゃったわ。お父様もわたしに興味を失った! アルフォンス様だってそうよね? 顔のない女なんて誰にも必要とされなくて……」
そんな誰にも必要のない女を受け入れて歓待してくれている人相手に何を言っているのだと理性では思う。しかし口から出ていく言葉をエリザベスは止められなかった。それは泣き言を聞いてくれそうな人が初めて現れたことに対するエリザベスの甘えであり、この心情の吐露によってその相手を呆れさせてしまう失礼な行いだった。そんなこと、わかっているのに。
「ごめ、なさい。止まらないっ……、ひっく、涙……でちゃ……ごめんなさい……」
「エリザベス」
ぽろぽろとこぼれる涙に、アルフォンスは清潔なハンカチを当てた。
「兄上が本当にごめんね。女の人の顔のことで婚約を破棄するなんて絶対にやっちゃいけないことなんだよ。そんなこともあの人はわからないんだ。だけどね、今君の涙を拭えるのが兄上じゃなくて僕でよかった。僕、兄上がなんて言ったって絶対君のこと返さない」
「……どうして……? どうしてわたしなんか……」
「君は綺麗だ」
「え……」
アルフォンスの言葉にエリザベスは耳を疑った。綺麗だ? そんなこと、顔を失って以来言われたことがない。何をもって綺麗だなどというのか。
「私が綺麗?」
「そうとも」
「どうして? だって私、顔がないのよ? それなのにどこが綺麗って? 髪? 手? そんなの気休め……」
「エリザベス」
口先だけの気休めならいらない、と取り乱すエリザベスの顔をアルフォンスが覗き込む。長い前髪の隙間から、夕から夜へ移り変わる空のような深い青い色の瞳がじっと彼女を見つめていた。
「僕には、君の顔が見える。見えるんだ。君は綺麗だよ」
「嘘……」
「嘘じゃない」
「嘘よ、じゃあわたしの目の色は何色? わからないでしょう?」
「君の目の色は……」
アルフォンスの唇が言葉を紡ぐさまからエリザベスは目が離せない。彼が自分の目の色を当てられるわけがない。しかし、エリザベスのその諦念を彼は裏切った。
「君の目の色は夜明けの空の色。見ていると不思議な気分になる、とても美しい色だ」
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