引退試合
「商会主にハメられたね」
ジーナが炙った干し肉にかぶりつきながらシングに言う。
「ん?」
「契約上はたぶん報酬全額と一緒に私を連れてっても問題なかったはずだよ。それを報酬半額にされて、試合も一回許可するなんてさ」
「ん? あれ? そうか?」
「そうだよ、わざわざ『こいつは俺がどうしてもいいんだな』なんて言質まで取っといて、なのにズルズル妥協してさ」
「え、え? あれ? ……そうか!」
くっそ、あの野郎……! とシングは腰を浮かすが、
「了承しちゃったから今さら無理だね」
のジーナの言葉で、ドン、と椅子に座り直す。
ここはシングの滞在用に割り当てられた部屋だ。
テーブルには食事が並べられ、ジーナはガツガツとそれを口に詰め込んでいた。
「落ち着いて食えってば」
「だって、旨い」
「大したメシじゃないが……」
シングは食卓を見る。
炙ったあと放置されて固くなった干し肉、ボソボソしたパンにチーズ、冷めた野菜スープと水。
「もしかして、ろくにメシ食わせてもらってないのか?」
「そりゃそうでしょ、私、奴隷だよ? パンがカビてなければラッキーで、水みたいなスープに肉がひとかけでも入ってたら大歓喜ってなもんだよ」
まあ肉は腐った匂いがするけどね、とジーナは当たり前のようにさらっと言う。シングは眉間にしわを寄せた。
「あんなに走り回って闘ってんのに、まともなメシが無いのはキツイだろ。だからヒョロヒョロなんじゃないのか」
「ん、ヒョロヒョロなのが売りなんだってさ。弱くて死にそうなのがなかなか死なないからウケるんだって」
「……ちっ、クソみたいな場所だな」
「そうだよ、今さら何」
ジーナはケラケラと笑う。
「私にも都合が良かったんだよ。背が伸びたり体重が増えたりしたら今ほど動けなくなるから、こんなに生き延びられなかったと思うよ」
そしてグッとコップの水を飲み干すと、
「はーお腹いっぱい!」
と床にゴロンと寝転がった。
「おいおい待て待て、そのまま寝る気か? お前がベッドを使え」
「ん? いいよ別に、いつもこうだし」
「そうはいくか! ガキはちゃんと寝ないと育たねえぞ!」
「もうガキじゃないよ、ガキじゃないからお貴族様の慰み者として売られそうになったんだし」
「……なんだと?」
ジーナは、自分がどんな事情で闘士になったのかをざっと語った。
ひどく久しぶりの満腹感に浸りながら、ジーナは緩んだ気持ちでダラダラと話す。
他に話すことがなかったのもある。
久しぶりに人と雑談ができる喜びを、もうしばらく続けていたかった。
「……あんの商会主……!!」
「いや、今思うといきなり殺されなかっただけ優しいよ、私はあの時点で反逆奴隷なんだから」
「……で、お前が会いたいのはそのアルってやつか」
「……うん」
「よし! じゃあさっさと最後の試合を済ませて、一緒に探しに行こうな」
「……」
ジーナは答えない。
代わりにガバッと起き上がって、シングに笑いかける。
「オッサンは? オッサンはどこに行こうとしてるの?」
「オッサン言うな!」
「なんか予定あるって言ってたじゃん」
「ああ。うん、俺も人探しだ」
「ホントに? どんな女? 胸と尻大きい?」
「なんで女限定なんだ! 言わん! 言わんぞ!」
「ちぇー」
ジーナは再びゴロンと横になる。
「……温かいお風呂、入りたかったなあ。オッサンをぶっ殺したら温かいお湯くれるって言ってたんだー」
「そんな約束で命かけたのかよ。風呂くらい何回でも連れてってやるよ」
「ホント? 大きいお風呂?」
「そうだな、公衆浴場ってやつだな。行く先々で色んな風呂に入ろう」
「スゲーッ!」
ジーナは地面に寝転んだまま足をバタバタさせて喜んでいる。
「他にしたいことはないのか?」
「他に? ええと、じゃあさ、ちゃんと味がする温かいスープ食べたい!」
「いいな。温かいもん食べに行こうな」
「あとさ、えーっとえーっと……」
言いながら、ジーナはウトウトし始める。
「うん、楽しいことたくさんしような」
シングはすっかり寝入ってしまったジーナを毛布で包み、ベッドまでそっと運んだ。
* * *
観客たちの喧騒が控室まで聞こえてくる。
いつになく緊張して、ジーナは手元でナイフをもて遊ぶ。
「危ないぞ、ジーナ」
シングが言う。
ご心配でしょうから、とか何とか言って、商会主はシングをジーナの控室まで同行させた。
ジーナは昨日と打って変わって口数少なく、シングの言葉に小さく相槌を打つだけだ。
集中を乱しても良くないか。とシングも口をつぐむ。
そうこうするうち、ジーナの出場時間になった。
「……オッサン。行ってくるね」
「おう、気をつけて行ってこい」
「すぐ戻ってくるから」
「おう!」
ジーナは振り向きもせず、闘技場への扉を潜る。
妙に小さく見えるその背が喧騒の中に消え、鉄格子付きの扉が閉められた時、シングは何とも言えない不安を覚えた。
(いや、いざとなったら俺が乱入して守れば良いだけだ)
シングは観客席へ回ろうと、控室を出ようとした。
「……ん?」
ガシャン、と音を立てるばかりで扉が開かない。
「なんだこりゃ。おい! ここを開けろ!」
「なんだ? 誰か騒いでるな」
「新人かな。死ぬのが怖くなったんだろ。今さら逃げ出そうったって無理なのにな」
他の控室からだろうか、嘲りの声が掛けられる。
「闘うまではその扉は開けてもらえないからよ、諦めな!」
「闘技場側の扉が開いたらさっさと出ていくんだな、そうすりゃさっさとおさらばできるぜ。行き先はあの世だがな!」
ゲラゲラと笑い声が響く。
一応試してみたが、闘技場側の扉も開かない。
「……どういうつもりだ」
言いしれぬ不安に、シングは扉をドンと叩いた。
* * *
「本日のメインイベントは『枯れ枝のジーナ』の引退試合です! この闘技場定番の、引退デスマッチ!! 生き延びなければ引退出来ません!」
(そうだよね)
ジーナは諦めたように観客席を眺める。
(オッサン、居ないなぁ。ま、そのほうがいっか)
オッサン辛くなっちゃうだろうからさ。
夢のある話、たくさんしてくれて、ありがとね。
「……さて、何人と戦えばいいの? どうせ死ぬまで次々出てくんでしょ」
「おお、ジーナ、私がそんなに非情に見えるかい? 可愛いジーナのために用意したのはひとりだけだよ!」
「……は?」
「だけどねえ、やっぱりあんまり簡単だとみんなが納得しないからね、すまないが……」
闘技場の真ん中に、布がかかったデカい何かがある。
その布が、さっと取り除かれた。
「なに、これ……」
動物の檻のような、大きな鉄柵。
「ジーナは足が早いからねえ、みんなが見失っちゃうだろ? みんなにジーナの闘いをじっくり見てもらいたいからね、行動範囲を狭めさせてもらったよ」
「な……」
足が封じられたら、ジーナに勝ち目はない。
「っ……こんなの、逆にみんなから中が見えにくいんじゃん? 無いほうがいいんじゃないの?」
ささやかに抵抗してみた。だが商会主はニコニコと答える。
「大丈夫、ジーナが捕まったら檻を取り除くからね、最期の姿はみんなによーく見てもらおうね」
「……っっクッソが!!」
ジーナの罵倒をむしろ愉快そうに受け流した商会主は、ぱっと手を広げて合図を送る。
屈強な男たちがゾロゾロと現れ、ジーナを取り囲んだ。
「無駄な体力は使わないほうがいいぞ、ジーナ」
商会主のその一言で、ジーナは抵抗を諦め素直に檻の中に入る。
「さて、対戦相手だ!」
全身ガッチリと甲冑で固め、大きな剣を持った男が入場し、観客席の前を横切って檻の中に入って来た。
甲冑とはいえ、騎士のような立派なフルアーマーではない。安っぽい鉄板でそれらしく作られただけのハリボテである。
だが、頭から足先まで、顔も首も、全身を覆う鉄板は、ナイフしか持っていない非力なジーナではとても貫けそうにない。
観客は大いに沸いた。
「せっかくの引退試合だ、ジーナの雄姿をなるべく長く見せてやってくれよ!」
商会主がニヤニヤと言う。
始め!
ジーナの死刑執行への合図が響いた。
* * *
熱狂する観客たちの声が、控室に響いてくる。
扉は、何度叩いても開かない。
シングは、ギリ、と歯を食いしばった。
「……仕方ねえな」
腰に差した剣をスラリと抜く。
「剣が傷むんだけどなぁ」
シングの目に青く鈍い光が宿った。
「剣技、『青炎』」
ぐ、と気合を入れて、シングは扉に向かって鋭く剣を振る。
扉は幾筋かの切り口に青い炎を纏い、シングに蹴られてガラリと崩れ落ちた。
* * *
ジーナは善戦していた。
狭いなりに跳ね回り、檻の鉄柵をつかんで急な方向転換をする。
甲冑の男は大剣を扱い慣れていないようで、ジーナをなかなか捉えきれない。ジーナも甲冑相手にダメージを与えられるほどの力はなく、戦闘は膠着していた。
「はあっ、はあ」
ジーナはもう息が上がってきている。
ひたすら劣勢で延々と逃げ続けることに、ジーナはいつも以上に体力も精神力も削られていた。
「……あっ!」
たまたま、ジーナが飛んだ方向と、甲冑の男の剣の軌跡が交差した。
ジーナは鉄柵を掴んで体を捩り、ギリギリで剣を躱す。
が、そのままバランスを崩してドタンと背中から地面に落ちた。
そのジーナの腹を、甲冑の男が踏んだ。
「うっ、ぐぅ……」
ジーナが苦しげに顔を歪める。
甲冑の男は黙って剣を振り上げる。
「……なぁんてね」
ジーナは手の中でナイフをくるりと回して逆手に握り、男の甲冑の足首の継ぎ目に力いっぱい差し込んだ。
ジーナの細いナイフは、滑らかに鉄板の隙間に潜り込み、男のアキレス腱を傷つけた。
* * *
どおっ!
闘技場が歓声に揺れ、控室まで振動が伝わる。
部屋を飛び出してきたシングは、今度は鉄格子に行く手を阻まれていた。
闘士には、奴隷や罪人が多くいる。そのような者たちが逃げ出さないように、闘技場には通路のあちこちに鉄格子が備え付けられていた。
普段は開いているその鉄格子が、今はシングの行く手を阻むようにあちこち閉められている。
「何を企んでいるんだ、あの商会主」
ガシャン! と鉄格子を蹴り、シングは抜け道を探して来た通路を走り戻った。
* * *
「……急所に入ったかな? そこやられると立てなくなるよね」
ゲホッ……、と咽せながら起き上がったジーナは、うめき声を上げて転がっている男に言う。
「悪いけどさ、出来ることなら私も死にたくないんだ。デスマッチだから恨みっこなしね。……殺させてもらうよ」
甲冑の男は片膝立ちになって大剣を横振りに振り回す。
だがもうジーナの脅威ではない。
くるりと刃の下にはいりこんで、手首の継ぎ目にナイフを差し込む。
うが、と掠れた声を上げ、男は大剣を取り落とした。ジーナはその剣を鉄格子の隙間から檻の外へ蹴り飛ばす。
剣は檻の中からでは手の届かないところまで飛んでいった。
* * *
「ふうむ、これは勝敗がついたかな」
商会主が合図を送ると、場内にいた大勢の男たちがわらわらと檻に駆け寄って四隅の金具を外す。同時に鉄柵に付いた鎖を引っ張ると、花が開くように鉄柵が外へと倒れた。
* * *
鉄柵が、大きな音を立てて地面に倒れる。
乾いた闘技場の土を巻き上げて、白っ茶けた土煙で闘技場を覆う。
「わ、何?」
ジーナは一瞬動揺したものの、そんな事に気を取られてはいられない。男にとどめを刺さない限り、この闘いは終わらない。
男は今歩けないから、土煙の中でも位置は分かる。
トンと一息に男の懐へ飛び込んで、ジーナは
「ごめんね」
と囁くと同時に、至近距離で男の首元の甲冑の隙間を確認した。
男は驚いた様子で僅かに身を引き、慌てて身を守るように手を上げる。
その手の下を掻い潜るようにくるりと背中に回ったジーナは、後ろから抱きつくようにしてナイフを繰り出す。
……と、次の瞬間なぜか男はその手を下げて、無抵抗にジーナのナイフを受け入れる。
「えっ?」
男の首にスッと入ったナイフに逆に驚くジーナの耳に、男のうめき声が届く。
いや、うめき声ではない、言葉だ。
「……ィー……ぁ……」
ジーナ? って言った?
ジーナが背からぴょんと飛び降りると、男はぐらりと横倒しに倒れ、ダン、と地面に打ち付けられて、一回跳ね上がる。その衝撃で兜が外れて転がった。
「……アル!!!!」
ジーナは、闘技場に響き渡る声で絶叫した。




