初めての敗北
「さあ皆様ご注目! 前座は終わりです! いざ大本命のご登場! 『折れ枝のジーナ』!!」
盛り上がっている会場の熱を冷まさないように、商会主は手短にジーナを呼んだ。
計算通り、ジーナの姿を見て観客は一層熱狂する。
ジーナがいつもより元気がないとか、顔色が悪いとか、そんな事には誰も気付かない。
……いや、対戦相手のシングだけが、不審げに眉を上げた。
「おい、この今にも倒れそうな病人の女の子と対戦しろっていうのか?」
商会主に言ったシングの言葉は煽りと捉えられた。
「ふざけるなシングー! ジーナは強いんだぞ!」
「負けそうだからって悪口で煽るのが北部流か!」
「ジーナにキン◯マ蹴り上げられて不能になっちまえー!」
ジーナのファンから罵声が飛ぶ。
「おい誰だ、すごいこと言うな。まさか過去にそんな奴がいたのか?……いやそうじゃなくてな、お前らこの子をちゃんと見ろ……」
だがシングの言葉は罵倒の渦に呑み込まれて、もう誰にも届かない。
「すごい自信だ、『青炎』シングラード! どうぞこの哀れな娘を殺さないようお願いいたします! 殺す以外なら、何をしても構いませんので!」
ひゅー!!
さっきまでシングを罵倒していた観客は、下卑た期待にまた違う歓声を上げる。
「……こんなやせっぽちの小さな娘に……。下劣すぎて反吐が出るな」
「小娘で悪かったね」
突然、耳元に響いた声に驚いて、シングは飛び退る。
下がり際に刃物の光が閃き、シングは首筋に薄く切り傷を負った。
見れば、ジーナはもう手の届かないところまで下がっている。その手のなかに、小さな細いナイフがあった。
「……ほう。……うん、確かに、舐めてかかって失礼した」
シングは首を押さえてにやりと笑うと、剣を投げ捨て格闘の構えを取った。
「バカにしてんの?」
「いやいや。素早い敵にデカい剣は動きが鈍って不利ってだけだよ。だったら素手のほうがまだましだ」
(まあ、嘘だけどな)
シングは心の中でつぶやく。
これだけ素早い子は何かの拍子に剣に引っかけちまいそうだ。流石にこんな子供をうっかり殺しちまったら寝覚めが悪すぎる。
「さあ、行くぞ」
シングは子供と遊んでやるような気持ちで、ジーナに襲いかかった。
* * *
ぜえ、ぜえ、ぜえ。
シングは肩で息をする。
やっとのことで、ジーナを捕らえて地面に押さえ付けることに成功した。
前線の戦闘でもあるまいに、こんなに息が上がるとは。鈍っているなあ、と自嘲する。
……いや違うな、ジーナが強いのだ。踊るような変則的な動きで思いがけない方向から攻撃をしてくる。
全て間一髪で躱したが、いくつかは皮膚にかすり傷を付けていった。ナイフに毒でも塗ってあったら、自分はもう死んでいる。
ナイフはとっくに蹴り上げて、はるか遠くに転がっている。
シングの身体の下でしばらくもがいていたジーナは、すぐに諦めて抵抗をやめた。
「おおーっとぉ! ついにジーナに土がついたぁー!!」
どわぁぁぁぁぁ……っ!
場内は絶望と下卑た期待の混ざり合ったどよめきに包まれた。その気持ちの悪いどよめきに、シングは不快そうに眉をひそめる。
「さあ! ジーナはどうされてしまうのでしょうか! ああどうか、命だけはお助けくださいシングラード様!」
商会主の煽りに観客たちは口々に欲望を叫ぶ。
「脱がせーっ、剥けーっ」
「切り刻めー!」
「殺せーっ」
わあ! わああ! わあああっ!
興奮した観客の叫び声と足踏みが混じり合って轟々と鳴る地響きとなる。
シングは呆れたように客席を見渡すと、ジーナの腕を掴み、立ちたせようと引っ張った。だが、ジーナは起き上がろうとせず、だらりと力を抜いたままだ。
「なんだおい、大丈夫か? 何処か痛めたか?」
「……いいよ、好きにして」
「何!?」
「ほら、観客も期待してる。裸にひん剥いて辱めるなり、拷問するなり、殺すなり、何かしないと納得しないよ」
「はあ?」
「あー……、自分で脱ごうか? 左手、不自由でしょ」
「えっ」
シングは一瞬驚いたあと、感心したように目を細める。
「……よく気がついたな。大したことはないんだが、左手の指が何本か動きが悪い。まあ戦う分にはさほど影響しないんだが、確かにお前の服を脱がすには不自由だな」
いたずらっぽく笑ってみせたシングは、本当に服を脱ぎ始めたジーナを焦って押さえる。シングがジーナにのしかかったような形になった。
「待て待て待て! 俺にそんな趣味はねえ!」
「そんな趣味? あれ、女嫌い?」
「違え! お前みたいなガキには欲情しねえっつってんだよ!」
「ガキって……、これでももうすぐ17だよ、世間じゃ全然結婚してる年齢だよ」
「マジか!!」
ものすごく驚いたシングに、ジーナはムッとした。
観客は相変わらず熱狂している。事実とは逆に、脱がそうとしているシングにジーナが必死で抵抗しているように見えるらしい。
「……失礼だな」
ジーナがむくれてシングの腕を振りほどく。
「あっすまんすまん、そんなあの、胸がないとか尻がないとかバカにするつもりじゃなく……」
「ほんっとうに失礼!!」
ジーナは突然、グンと弓なりに反る。
苦しくないよう気を使ってまたがっていたシングは、ジーナの不意の抵抗にバランスを崩した。ジーナの上に尻もちを付きそうになって、シングは慌てて地面に手をつく。
その隙をついて、ジーナは風のようにシングの下から抜け出した。
観客の声が一段と高まる。
だがその歓声は、ジーナへの応援ではなく、ヘマをしたシングへのブーイングだ。
ジーナはよろけて膝をつきそうになり、それをシングが抱きとめた。
「おい! どうした、大丈夫か」
「あんな観客の応援でも、私、ちょっと嬉しかったんだなぁ」
「何?」
「こんなに死ね死ね言われると、やっぱちょっとしんどいもんだね」
ジーナはシングの腕のなかでフフッと笑う。
「ジーナ……」
「やっぱもう、いいよ。会いたいやつにはもう会えないし、せっかくだから最後に観客の望みを叶えてやって」
ジーナはシングの手を取り、自分の首へと誘導した。シングはされるがままにしながら、厳しい目でジーナを見る。
場内はジーナの死の瞬間を見逃すまいと、水を打ったように静かになっていた。
「……会いたいやつってのは、死んだのか?」
「えっ? わかんない……、売られちゃった奴隷仲間なんだけど……。でも死んだも同然でしょ、だって私はここから一生出られないし……」
「死んではいないんだな?」
「わ、わかんない……、売られた奴隷なんか、どんな扱いをされてるか……」
「死んでないかもしれないんだな!!」
「うっ……、うん」
「よし!」
シングはジーナの首に当てていた手を脇の下に回し、グイッとジーナを持ち上げた。
「おい! 商会主! こいつをどうしてもいいと言ったな!」
「ははははい! 煮るなと焼くなとご自由に……!」
「じゃあ、おれはこいつを貰っていく!」
「…………はあ?」
「連れて帰るからな、じゃあな!」
ヒョイとジーナを肩に担ぎ上げ、投げ捨ててあった剣とジーナのナイフを拾ってから、シングはスタスタと闘技場を出ていこうとする。
「……ままままま待ってください、シングラード様!! ジーナはうちの稼ぎ頭です、連れて行かれると困ります!」
呆けていた商会主が叫ぶと同時に、静まり返っていた観客席も不満に爆発する。
「ふざけんなぁぁ!!」
「ジーナを返せ!」
「返さねえなら殺せ!」
か・え・せ! こ・ろ・せ!!
「チッ……、うるせえなあ」
シングはジーナを下ろすと、左手で抱き寄せる。
そして、場内全域に轟く声で恫喝する。
「黙れ!!!」
キイ……ン。
耳鳴りを残してその余韻が消えたあと、観客は全員が腰を抜かしたように椅子にへたり込んでいた。
「……文句があるなら掛かってこいよ。この観客席の全員が一度に襲い掛かってきたら、さすがの俺でも負けるかもしれねえぞ?」
と言いながら、負けるとは微塵も思っていない顔でにやりと笑う。
ジーナを庇うように左の後ろへ回すと、右手でガシャリと剣を構えて客席へ向けた。
近くの観客たちが、ひっ、と声を上げながらガタガタッと後ろに下がった。
「おおおおおお待ちください、シングラード様! あの、あの、では報酬の代わりにジーナを渡すということで、よろしいですか?」
「はあ? 金は寄越さないってことか? 約束が随分違うなぁ?」
「いいいいやあの、その」
少しでも損が出ないよう、商会主は頭を回す。
「あ、あの、では、その、報酬は半額お支払いします! その代わり、ジーナにも先の予定がありますので、一ヶ月、試合に出させてください」
「一ヶ月ぅー?」
シングは商会主を睨む。
「俺にも予定があるんだが?」
「ひぃっ。で、ではせめてあと一回だけ、試合に出させてください! 引退試合ということで! 一回だけ!」
平身低頭の商会主をシングはしばらく睨みつけていたが、やがて剣を下げた。
「まあいいだろう。ただし俺は明後日には発つ。それまでには試合を終わらせておけよ」
「ははははい!」
同時に、観客も再び熱狂する。
「ジーナの引退試合だぁ!」
「見逃せねえぞ!」
「いつだ! チケットをよこせ!」
観客席は暴動一歩手前である。闘士崩れの警備員が、力任せで落ち着かせようとしているが、いつ抑えきれなくなるかわからない。
「あ、ジーナは今夜俺の部屋に泊めるからな」
騒ぎに紛れてシングは商会主に言う。
「えっ」
「はい?」
ジーナと商会主が同時に驚く。
「ジーナは驚くな! なんもしねえから!」
「あ、うん……」
「商会主を警戒してんだよ! どうせ出ていくならその前に……って、何を企むか分かんねえからな、なあ?」
じろ、とシングは商会主を睨み上げる。
「い、いやいや、そんな、ええ、ええ、どうぞお部屋にお連れください」
商会主は慌てて手振りで退場を促す。
ふん、と一声残して、シングはジーナを連れて闘技場をあとにした。
闘技場の喧騒はますます激しくなっていて、もう誰も彼らを見ていなかった。




