闘技場に咲いた花
「ぐう……っ」
闘技場のジャリジャリした地面に転がって、ジーナは苦痛に呻く。地面に擦った頬から血が滲み、ズキズキと痛んだ。
「油断したな」
嘲るような男の声がする。
痛む頭を押さえ、霞む目をなんとか開くと、拳を握ってニヤニヤと笑う赤毛と目が合った。
「あんたっ……、負け、たって……」
「商会主が宣言するまで勝負は決まってねえんだよ、 青臭えガキが!」
「う……っ、クソ……」
頭がくらくらする。
赤毛はノタノタと、腹に刺さった短剣を庇いながら歩いてくる。
「ちくしょ……」
ジーナは何とか立ち上がったが、足元が覚束ない。
赤毛が伸ばしてきた手を避けようとして、よろ、とよろけた。
(クソ! 転ぶな、私!)
くるり、と、ほぼ無意識にジーナは回る。
(止まるな! 動け!)
ぼんやりとする頭で、くるりくるりと舞い踊る。
足が勝手に踏むのは踊り子だった母からの直伝のステップだ。ステップに合わせて、ジーナは小さく呟くように歌い始めた。
観客たちがどっと沸いた。
「てっ、てめえ、ふざけやがってっ……」
くるくると踊るジーナを追って、赤毛は右に左に振り回される。腹の短剣が邪魔そうだ。いい加減負けを認めて治療するべきなのは誰の目にも明らかなのに、赤毛は完全に引き際を見失っている。
ジーナはだんだんはっきりとしてきた頭でその様子を観察しながら踊り続ける。
たまに、折れた方の腕を振った時に痛みが走る。がくりとリズムが崩れ、気合で持ち直して反対側にくるりと回る。
それが逆に撹乱になって、赤毛はジーナの動きを捉えきれない。
「てめえ、いい加減に……」
赤毛が叫ぼうとした時、ジーナは不意に男の懐に潜り込む。
驚いて足を止めた赤毛の顔にくっつきそうなほど顔を寄せたジーナは、
「ごめんね」
と囁くと、男の足に自分の足を引っかけ、くるりと回ってその背を突き飛ばした。
「えっ」
足を取られ、あっさりとバランスを崩した赤毛は勢いよく地面に倒れ込む。……短剣の刺さった側を下にして。
「う、ぐえええええ……」
自らの体重で押し込まれ、ずっぽりと根元まで刺さった短剣を抱えるようにして、赤毛の男はガクガクと身を震わせ、……やがて静かになった。
その頃には傷の男も色黒の男も、もう蘇生の余地もなく。
大地を揺るがす大歓声の中、商会主は、ジーナの勝利を高らかに宣言したのであった。
* * *
この闘いは評判になり、金になると思った商会主はジーナを闘士として売り出した。
生死ぎりぎりの試合が連日組まれ、日々はただ生き残ることだけに費やされる。
ジーナはすぐに闘技場に部屋を移され、アルと会うことも出来なくなってしまった。
* * *
「なあ! いつになったら奴隷市場の方の部屋に帰してくれるの?」
闘技場の廊下で、ジーナは商会主の襟元を捩じ上げる。
闘技場の花、『折れ枝のジーナ』として闘い続け、1年ほど経った。
戦闘の中で成長したジーナは、スラリとした体格のまま、より強靭により柔軟になっていた。
腕は少し曲がったまま、今でもたまに痛む。
久しぶりにジーナの様子を見に来た商会主は、彼女の力の強さに驚いたが、平静を装って睨み返した。
「離せ、こら! なんであんな汚い所に帰りたいんだ。闘技場に風呂付きの個室を用意してやったろう」
「風呂? 桶に冷たい水が薄く溜まってるだけのアレ?」
ジーナは商会主の襟から手を離し、肩をすくめて見せる。チッ、と舌打ちをして商会主はパンパンと服をはたき、襟を整え直した。
「贅沢を言うな! 大部屋に詰め込まれて水浴びすら出来ない闘士も多いんだぞ!」
「はん! ていのいい囚人扱いじゃないか、窓もない部屋で、試合以外は扉に鍵かけられて、部屋の前には見張りがいてさ」
「安全のためだ! お前、相当恨みを買っているんだぞ。いつどこでライバルの闘士に襲われるか分からないだろうが!」
「市場の方の奴隷小屋も、人の出入りは厳しく制限されてるだろ! まああっちは奴隷が逃げないようにだけどさ、警備は似たり寄ったりだろ!」
「だから! なんであんなところに帰りたいんだ!」
怒鳴りながらジーナを睨みつけたが、彼女は頑固に口をへの字に曲げている。商会主はフーッ、とため息をついた。
「……戻ってもつまらんぞ、今のあそこはお前の知らん奴らばっかりだ。お前の知り合いはだいたいみんな売れちまったからな」
「えっ……」
ジーナは目を丸くする。
「何を驚いてるんだ。うちの市場は小さい子供が多いのが売りなんだ。できるだけとっとと売り払うに決まってるだろうが」
「アッ……」
アルは、と聞こうとして、ジーナは口ごもる。
「なんだ?」
「……」
ジーナは黙って首を振る。ふむ、と商会主は頷いた。
「もう行くぞ。頑張って生き残れよ、お前が生き残るほどこっちも儲かるんだ。いずれ新しい友達も出来るだろ」
ジーナの肩をぽんぽんと叩き、商会主は機嫌良さそうに去っていく。
呆然としているうちに、ジーナは警備員に部屋に連れ戻される。がちゃん、と鍵のかかる音がした。
「……新しい友達ね」
どこでだよ。
ジーナはフッ、と鼻で笑う。そして、ヨロヨロと部屋の隅へ行き、風呂桶を覗き込む。
水面に、傷だらけの顔が映った。
「…………アル」
ジーナは呟く。へたり、と床に座り込んで、両手で顔を覆う。
「ねえ、もう会えないの……、アル……」
必死に闘ってきたのは、何が何でも生き残ってきたのは、アルに再び会うためだ。なのに、胸の奥に大事に抱えていたその小さな希望は、砂のようにサラサラと崩れ落ち、消えた。
どんなに傷だらけになっても泣かなかったジーナは、今、小さい声ですすり泣き始めた。
* * *
時を同じくして。
闘技場に、ひとりの男が訪ねてきた。
薄汚れた服、雑に剃られたヒゲ。
冴えない雰囲気のその男は、商会主と会い、数言言葉を交わす。
男は部屋を与えられ、翌日の試合に出ることになった。
* * *
「さあ、本日のメインイベント! なんと今日は、遠く前線の地から英雄が特別出演です!!」
「……俺は英雄じゃない、生き残っただけだ」
……本当の英雄は、隊長だ。
男のつぶやきは誰にも届かない。
「激戦で有名な北部最前線の英雄、『青炎』シングラード様です!」
わあああああ!!
闘技場の観客席は歓喜と期待の歓声を上げた。
「大仰だな。シングでいいよ」
シングは薄汚れた青いマントをなびかせて、無造作に闘技場の真ん中まで歩いていく。
「さっさと始めろ。俺は金がいるだけなんだ」
ひゅー! かーっこいーい!
そんなつっけんどんな態度がまた観客にうける。
シングー! やっちまえー!
ぶっ殺せー!
シーンーグ! シーンーグ!
「こんな前線落ちしてきたオッサンの何がいいんだか……。いや、ありゃバカにしてんのか」
観客席を見てぼやくシングの前に、ゾロゾロと大勢の闘士たちが現れた。
「……おい?」
後ろを振り向くと、目が合った商会主がニヤリと笑った。
「お金がいるのでしょう? これはサービスです。賞金はひとり頭で計算しますよ、頑張ってたくさん倒してください」
「……チッ」
シングは軽く舌打ちをすると、苛立たしげに抜き身の剣を振り、重心を確かめる。
「ダラダラ楽に稼ごうと思ったのに、そううまくはいかないか」
シングは一度大きく息を吸い、剣を軽く握り直す。
目に青い光が宿る。
商会主が観客席に上がり、扉が閉められたところで「始め!」の合図が響く。
シングはグッと身を低くして闘士の群れへ突っ込んで行った。
* * *
ものすごい歓声がジーナのいる控室にまで響いてきた。
ジーナは物憂げに目を上げ、また伏せる。
そこへ商会主がドタバタと駆け込んできた。
「おい、ジーナ! 今日の予定は変更だ! あの流れ者の戦士、強すぎる。あっという間に試合が終わっちまいそうだ! あれじゃ観客から文句が出るぞ。お前、ちっと行って、少しでも長引かせて来い!」
「え……うん」
ジーナはぼんやりと答え、ゆらりと立ち上がる。
「なんだなんだ、元気がないな! この闘技場の稼ぎはお前にかかってるんだぞ、ほら、元気を出して行ってこい! 戦士をぶっ殺せたら、風呂に温かい湯を入れてやるぞ!」
温かい湯か。
小さい頃はたまに母ちゃんと一緒に大きい風呂に入ったな。
お客からチップがたくさんもらえたとか、父ちゃんが帰ってくる日だからとか。
垢すりの人が母ちゃんをこすって、母ちゃんが気持ちよさそうで、私も! って言ってこする真似をしてもらったっけ。
いいな、温かい湯。
頑張ってこようかな。
ジーナはフラフラと闘技場の入口へ向かった。
「なんだありゃ。大丈夫か?」
商会主は不審げにジーナの後ろ姿を見送る。
「……まあ、負けたら負けたで客受けするし、ぶっ殺されたら賠償金をあの戦士の報酬から引けばいいか」
さて、忙しい忙しい、と商会主はドスドス足音を立てながら控室をあとにした。




