#第9話 未曾有の混乱
「...先週土曜日に東京国立スタジアムなど複数箇所で発生した大規模な爆発での死傷者は2万人を超え、今も増え続けています。警察庁はこの事件を、東京同時多発テロ事件と命名し、真相の救命を急いでいます。大阪・中之島では臨時国会が昨日から開かれており、東京同時多発テロ事件被害者救済法案が明日にも審議入りする予定です。国会記者会館から中継です...」
テロから5日。東京は未曾有の混乱の中にあった。多くの死傷者を出しただけでなく、サッカー世界選手権東西共同代表という東西宥和の象徴ともいえる出来事に傷をつけ、さらにこの国のスポーツの聖地でもある東京国立スタジアムの破壊。史上最悪のテロ事件と言っても過言ではなかった。
先ほど、美春を通じて庁内の公開情報分析担当によるSNSのアナリティクスの結果が回ってきた。早速タブレットで見てみると、SNSのユーザーの大半は「恐怖」「怒り」「悲しみ」という感情で覆われていた。「早く家に帰りたい」とか...「第三次世界大戦」とか...「政府は事実を隠匿している」とか...確かに事実は隠匿している...死者は2万人どころではないが報道には流していない...。「家族を亡くしました」...「戦争の時代の再来」...「政府の対応がおかしい」...「テロを阻止できなかった東京警視庁の責任」...「警視総監は辞任しろ」...「戦略情報庁は無用の長物」...。責任論も高まっているようだ。野党の政治家が喧しく責任を追及しようとする姿勢...。「東京市内で放射性物質が検出」...そんなバカな。放射線モニタリングに市内で異常値は確認されていない...偽情報の拡散。外国勢力の介入も想定しないと...。
私は、今は<部室>でソファに座ってテレビを見ていた。もちろん、ただただダラダラ見ていたわけではなく、これも仕事の一環である。メディアには私たち以外が収集した情報が含まれる。こうした公開的な情報を集めるのも大事なのだ。
「...政府はテロの主犯である東京テロリストセンターについて、極めて短時間の間に形成された、テロリストの巨大連合組織であるとしています。東京警視庁は昨日、東京テロリストセンターの拠点の1つとされる場所を捜索しました...」
アナウンサーの声とともに映ったのは、内閣官房長官だった。政府の枢要を担う人物にして、我らが戦略情報庁の直属の上司にあたる人物。そしてONIWABANの存在を政府の中で唯一知っているのもこの菅田広晴内閣官房長官であった。
東京テロリストセンター。政府がでっち上げた架空のテロ組織。私たちの捜査で既にこのテロに関与していたのが東のテロリストグループであることは明白だった。菅田官房長官は政府の沽券を守り、東に怒りの矛先が向いて戦争が怒ることのないよう、巧妙な手段を用いていた。発案は菅田官房長官ではなく、東風谷先生だったが。
「結局、<東京テロリストセンター>の関係者とやらは誰が捕まったの?」
私は誰にともなく尋ねると夏紀から返事があった。夏紀は莫大な量の書類を机に積み上げて読んでいるところだった。
「大体はよぉわからんゴロツキの人らやったな」
「中には当たりもいるんじゃないの?」
「さあね。それを精査するのも僕たちの仕事だ」
「どういうこと?」私は首を傾げた。
「身内を疑えってことさ」
そう言って夏紀は頬の傷跡をなぞった。
あの日。あの夕方。あの爆発の後。
「璃梨佳、とりあえず、学校に戻るわよ」
「...うん、そうだね」
璃梨佳は顔をめちゃくちゃに拭って立ち上がった。バイクは道路に転がったままで、無事だった。
どうやらここは比較的被害が軽微だったようだ。赤坂庭園の広大な土地が爆風から守ってくれたのだろうか。それでもビルのガラスは割れ、地面には瓦礫が散乱していた。空からも風に乗って運ばれてきた瓦礫が降ってくる。ヘルメットを被っていたおかげで多少は頭が守られることだろう。
私たちは元来た方向、東京国立スタジアムのある北側を見た。東京国立スタジアムのあったであろう場所からは火柱が高々と上がっていた。逃げ遅れた人は即死、生き残った人も火災に巻き込まれてしまっていることだろう。風向きによってはここ赤坂にも火の手がすぐ迫ってくるくらい、火の勢いは強かった。段々何が起きても平然としていられるくらいには感覚が麻痺してきた。
私たちの学校は幸い、爆発のあった東京国立スタジアムとはここからほとんど真逆の方面にある。璃梨佳は何も言わずに前に座り、私は璃梨佳の肩に掴まった。璃梨佳の細い肩は強張っていた。バイクは南に向かって発進した。
私たちの間に言葉はなかった。淡々と前に進むだけだった。幹線道路は既に大渋滞が始まっていたので、裏道を進んでいく。坂道を上り、二車線の道路を進んでいく。路地をくぐり抜け、道を進むこと1時間、どうにか高校に着いた。瓦礫や大渋滞のせいでスピードは出なかったものの、この状況下ではまだ早く着いた方だ。
バイクは高校の最寄り駅から300mほど手前の植え込みの所に停めておいた。今は下校時間も近い。私たちがバイクに乗っているのを見れば、不審がる生徒や教職員も多いことだろう。ここから私たちは何食わぬ顔をして学校の中に入っていかなければならない。スパイとはいえ、私たちは高校生。同級生や先生にバイクを乗り回し、傷だらけになっている姿を見せるわけにはいかない。
「大丈夫?どこか怪我してない?」私は璃梨佳に声をかけた。帰還途中もどこからともなく空から瓦礫やらなんやらが降ってきていたのだ。怪我をしていてもおかしくない。
「別に」璃梨佳はゾッとするほど冷淡に答えた。いつもの璃梨佳からは考えられないほどの冷たさだった。私は目を瞬いた。
「...ごめん。張り詰めすぎてたかも」璃梨佳は顔にかかった髪をそっとよけた。それ以上の言葉はなく、璃梨佳はスタスタと学校の方へと歩き始めた。
私と璃梨佳の間には相変わらず言葉が交わされることはなかった。学校生活での私たちを知る人たちから見たら不自然なまでに。璃梨佳は唇をキュッと結んで前を向いていた。
それにしても、璃梨佳の自然なバイク捌きには驚かされた。訓練期間中に免許を取得したとは上、悪路を走行した経験はそこまでないはずだ。
下校時間とはいえ、この状況。私や璃梨佳も含め生徒の多くが通学で通るであろう渋谷も被害を受けている。電車が動いているかも分からない状況だ。実際、学校に着くまで生徒とすれ違うことはなかった。不気味なまでに、通りからは人が消えていた。
「外出自粛の要請が出てるんでしょうね。帰宅難民も発生することでしょうし」璃梨佳が私の心を見透かしたように言った。言葉は相変わらず冷たい。本当は所構わず当たり散らしたいのにグッと堪えている気持ちが漏れてきているかのようだった。
「生徒全員の安否確認を学校側がしているんじゃないかな」私は重い口を開いた。「正門から堂々と生徒として中に入っていくのはマズいわね。裏口の鍵持ってきてるし裏口から入りましょう」
裏口とは図書館裏にある小さな出入り口のことだ。<部室>との出入りには実に都合がいい。私が扉を開けると、私と璃梨佳は音一つ立てず学校の中に滑り込んだ。
「無事だったのねっ」
扉を開けた瞬間、飛びついてきたのは美春だった。璃梨佳は一直線にソファに向かっていって、そのままソファに倒れ込んだ。
「そんなねえ、簡単にやられるわけないでしょ」私は美春をいなしながら言った。
「美春と藤沢くんはどこにいたの?新宿公園でも爆発があったんじゃないの?」
「僕らは幸い地下のシェルターに避難してたから大丈夫やった。東京警視庁の疑惑の目をかわしながら脱出してくる方が大変やったわ」
「顔、怪我してるよね」
夏紀の頬には見るも痛ましい切り傷があった。夏紀はただでさえ肌が白いので赤い傷は余計に目立った。
「すぐ手当てするわよ。他に怪我した子は?夏紀は他に怪我してない?」
「僕は他は大丈夫や。美春が1回走って転けて手とか足とかにいろんなところに打ち身とか擦り傷できてるから。先に美春のこと診て」
「了解」
私は皆のデスクの後ろにある棚を開けた。消毒液に包帯、ハサミ。奥から軟膏、絆創膏、ガーゼも引っ張り出した。
「美春、傷口は洗った?」
「洗ってない。しみるもん」美春は嫌そうに口を尖らせた。
「傷口から黴菌が入るリスクもあるんだから洗ってきなさいな。ついでにシャワーも浴びてきたら?」
美春は素直に頷いて部屋を出ていった。シャワールームはこの部屋の隣にあるのだ。
手を動かしながら口も動かす。今はとにかく治療も情報収集も両方しないといけない。
「東が混乱に乗じてすぐに軍事行動を起こしてくる可能性は?空爆は?」
「いや、今のところ東で軍用機がいつもより活発に動いてる報告は上がってへん。ミサイルとかにも動きはない。たぶん東としては別のところに目的があるんかも。爆撃とか使わんとわざわざこんな時限爆弾とかいう手段使うということは別のところに意図があるはずや」
「東の御庭番たちとは連絡取れたの?」言いながら私は椅子に座っている夏紀の前にしゃがんだ。誰かさんとは違って、傷口はきちんと洗ってあった。
「取れたけど何も分かってへんみたいやったわ。そもそも起こった事自体把握してへん人らもおるみたいや。さすがに東京におった人らは何かあったようやって調べ始めてたけど」
「お互いに内通者――よくこんなことが何十年も続いてきたわね。あ、ちょっと目を瞑っておいて」私は消毒液の蓋を開けた。消毒液特有のツンとする匂いが漂った。夏紀は目を瞑った。
「御庭番には絶対に御公儀に仇をなすようなことはせぇへんっていう数百年の重みがあるからな」
私は消毒液をガーゼに垂らし、傷口が開かないように傷口の周りをガーゼで拭き始めた。
「そういうものなのね。私の家系なんかは比較的偉い人たちというか、そういう感じの人たちとはあまりご縁がなかったような時代が長かったからそういう歴史の重みみたいなのは夏紀ほどには分かんないけど、夏紀のお家は長いこと関西にあったでしょ?あ、まだ目を瞑っておいてね。軟膏塗るから」
「長いこと言うてもたかだか数十年のことや。先の大戦が終わって東京が首都やなくなった。首都が関西に移ったときに藤沢家もあっちに行ったみたいやな」
「それで何でまた東京に?」
「それがよぉ分からへんねん。誰も話してくれへんねん」
「訊いても教えてくれないってこと?」
「いや一応話してくれたけどたぶん嘘やと思う」
「何で?」
夏紀の唇がつり上がった。
「夏紀が良い学校行けるようにという理由で誰が納得いくと思う?そら首都やねんから関西の方がええ学校あるに決まってるやん。多分理由は御庭番やったんやろうなって。ごめん、話逸れた。東の話よな」
「別にいいけど。包帯貼っとくね」
「ありがとう」
てきぱきと夏紀の治療を終えると私は立ち上がった。「ご飯食べたら報告をまとめないと。今日は夜遅くなるだろうし、買い出しに行かないと」
「あ、市川ちゃん...スーパーは...」
「ん?スーパーがどうかしたの...?あっ」
私は思わず口に手を当てた。こんな状況でスーパーなどやっているわけがない。やっていてもパニックで品薄だろう。しかし、ミッション終わりはいつも私が手料理を振る舞うのが定番となっている。出来合いのものではなく、人の温もりがあるものを食べれば少しでもリラックスできるのではないかという私なりの皆のサポートだ。
「今日は土曜やったから部活のあった子ら以外は学校に生徒もそこまで残ってへんかった。幸か不幸かはわからへんけど。僕の友達も大勢巻き込まれたようやし」
「そうだね。学校も月曜から元通りというわけにはいかないだろうしね」
「せやね」
「東風谷先生も来るのかしら」
「さすがにこの状況だと本庁で動いてるんじゃないかな」
「そういえば、秋山と錠太郎は?」
「秋山は床で寝てるわ。体に悪いのにな。錠太郎は...わからん。いつもいるのかいないのかさっぱりだし。さっきまでその辺にいたはずやねんけどな」
「いるよ、ここに」
錠太郎が柱の陰からヌッと現れた。片手にはノートパソコンを抱えていた。
「ごめん結衣、ハッキングは失敗した。僕のせいだ」
錠太郎は深々と頭を下げた。
「顔を上げて。そんな落ち込まなくてもいいの。何があったの?」
「爆弾自体の管理権限を奪取すること自体には成功した。でも、爆弾自体に仕掛けられていたプログラムのせいで、管理権限が変更された場合爆発するようになってた。気付いたときには手遅れだった」
「でも即時爆発ではなく、時限爆弾だったよね」
「そう、それが謎だ」
「謎も何も」突然璃梨佳が身を起こした。「すぐ爆発させるよりも少し時間を置くことになにがしかのメリットがあったからやったんでしょ」
「メリット...?そんなのすぐに爆発させた方が避難する余裕がないから確実なんじゃないの?」
「うーん、そうなんだけど。うっかりミスで時限爆弾にするわけないし...」璃梨佳も考え込み始めた。
扉を開ける音がした。皆一斉にドアの方向を見た。
「皆大丈夫か?無事?」
入ってきたのは月谷さんだった。東風谷先生の協力者であるこの学校の司書。今日の出動前も東風谷先生に代わって伝言を伝えに来ていた。
「東風谷先生から伝言だ。皆よく生きて戻ってきた。今日はしっかり休め。家には帰らないように。危険なので<部室>から一歩も外に出ないように。決して学校関係者に顔を見られることのないように。...とのことだ」月谷さんは一人ひとりの顔を見ながら言った。「あとこれ」
そう言って月谷さんは手にしていた紙袋をドサドサとソファの上に置いた。璃梨佳が慌てて場所を作った。
「食料を買い込んできた。3日はもつだろう。当分はここで籠城戦になりそうだからな」
「そんなに外の状況はひどいですか?」夏紀が訊いた。
「かなりひどいね。僕はこの食料をここからちょっと離れたところにある高級スーパーで買ってきたんだが、元は近所のスーパーで調達してくるつもりだったんだ。ところがもう既に買い溜めのお客があらかた買っていった後でね。比較的客層が落ち着いている遠くのスーパーまで買いに行く羽目になったんだ」そう言って月谷さんは頷いた。
「とりあえず冷蔵庫に片付けましょ。悪くならないうちにね」
私はいそいそと片付け始めた。月谷さんも紙袋を持って冷蔵庫の前に陣取った。
「町の様子はどうでしたか?ここに戻ってくるまであまり周り見てる余裕がなかったのでよくわからないんですよ」
「ひどいね。新宿の方面はかなりひどそうだ。遺体も判別がつく形で残るかどうか...。激しく燃えているからね。消防も駆けつけているが、火を食い止めるのがやっとという感じで、とても救出活動が行える状況じゃないようだ。あ、これはスーパーのパートのおばさんが教えてくれたことなんだけどね。でも新宿の方が真っ赤になっているのはこの目で見たし、あの状況では確かにおばさんの言う通りなんだろうね」
「惨いですね」
「今、東風谷先生は戦争が起こるのを食い止めるべく政府の中で立ち回っているそうだ。伝言でそれだけは聞いている。あとはさっき言ったこと以外は何も教えてくれなかったけどね」
「東風谷先生がよくわからないのはいつものことですから」
月谷さんは一つ息を吐いて言った。「それじゃあ、教えてもらおうか。今日、君たちの身に何が起こったか」
(第9話 完)
お読みいただきありがとうございました!
「東京国立スタジアム篇」はもうちょっと続きます。最近かなり調子がいいのでバリバリ書けます。嬉しい。
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