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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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6話 正直な音

誰かの音が、自分より綺麗だったとしたら──

あなたは、それを素直に認められますか?

悔しさ、嫉妬、焦り。

感情がぶつかったその先で、部の空気はバラバラになりかける。

それでも彼らは、音を手放さない。

もう一度、自分の音を信じるために。

音楽室の扉が閉まる音が、乾いた残響を残して消えた。


その瞬間、教室の空気が一気に張り詰める。誰もが息を潜め、床に落ちた静けさの破片を踏まぬように立ち尽くしていた。


張り詰めた沈黙を破ったのは、久瀬(くぜ)だった。


「……東堂(とうどう)くん」


その声には怒りも悲しみの向こうに失望が濃く滲んでいた。


「なんで、あんなことをしたの……?」


腕を組み、そっぽを向いていた。反省はなく、苛立ちがこめかみに残る。


「……あいつが偉そうに言いやがるからだろ」


「偉そう?」


久瀬の声が少し震える。そこに割って入ったのは若田(わかだ)だった。いつもは穏やかな彼の声が、珍しく鋭さを帯びていた。


「暴力が正当化される理由にはならない。(ひびき)君は間違ったことは言ってない。指摘は正確だった。それにさっきの演奏、完璧に吹けているのは響君だけだった。……むしろ、あれを聞いてムカつくってことは、自分に自信がないって証拠だろ?」


「……は?」


東堂が顔をしかめ、低く反応する。


「俺たちは、ずっとやってきたんだぞ? 何年も吹いてきて、必死で練習してきて……なのに、“初心者”のやつが、いきなり来て、冷たくダメ出ししてきて。ムカつくだろ、普通ならよ」


その言葉に、香久山がゆっくりと口を開いた。


「……それは“普通”じゃない。悔しいなら、悔しいって認めればいい。ムカつくなら、自分の未熟さに対してであるべきだろ。なんでそれを、月本君にぶつけるんだよ」


東堂は何も返さない。歯を食いしばり、唇を噛みながら視線を逸らす。


久瀬は、強く言い放った。


「東堂くん。今の行動がどういうことか、わかってる?」


「……っ」


「ただの感情的な暴力。どんな理由があっても、絶対に許されることじゃない。もしこれが外の大会中だったら——部全体が責任を問われる。最悪、出場停止になってもおかしくない。だから........」


「お前、本当はあいつの演奏に嫉妬してるんだろ?」


その東堂の言葉に、一瞬、部室は静まり返った。東堂は部員を見渡しながら言った。


「みんなもそうなんだろ?あいつの音は、他の誰よりもすごい。だから俺は……悔しいんだ。悔しくて、腹が立つんだ」


誰もが言葉を失い、音楽室に再び沈黙が降りた。しかしその沈黙は、ただ重いだけではなかった。どこかで“何かが変わり始めた”予感が確かにあった。


そんな空気の中、陽翔(はると)がポツリとつぶやく。


「……次、どうするんだろう。もう、合奏なんてできる空気じゃないよ……」


他の部員も苦い表情を浮かべる。


だが若田は続けた。


「だからこそ……今が、本当の始まりなんだと思う」



「響君、もうすぐだよ。しっかり鍵盤を見て」


「うん、わかった……ちょっと緊張するなぁ」


「大丈夫、みんなが見てるから、落ち着いて弾いて」


「はい……」


「すごい……音が透き通ってるよ」


「うん、響の音、私も好き」


「こんなにきれいな音、初めて聞いたよ」


「響君は、将来はきっと素敵な奏者になるね」


「ありがとう……もっと上手くなりたいな」


「その気持ちが大事だよ。これからもずっと音楽と一緒に歩んでいこうね」



「はっ」


大きく息を吸い込み、目を覚ました。眩しい天井が視界に入り、身体のだるさと共に意識が戻ってくる。


「ここは……どこ?」


朦朧とした頭で周りを見回すと、隣で真尋(まひろ)が心配そうにこちらを見ていた。


「響、起きた?よかった……すごく心配したんだよ」


真尋の声に安心しながらも、響は体の痛みを感じた。


「保健室だよ。急に意識がなくなったから、びっくりしたよ。無理しないで、ゆっくり休んで」


響は少し混乱しながらも、ゆっくりと頷いた。


「ありがとう、真尋君……」


意識の奥に、さっきまで見ていた夢の断片がぼんやりと浮かび上がっていた。


「東堂先輩、あんなことして本当に何考えてるんだろうね。部活を潰したいのかって思うよ。自分のプライドばっかり守って、周りのこと何にも考えてない」


保健室の静かな空間に、真尋の声だけが響いていた。響はベッドに横たわり、黙ってその言葉を受け止めている。


真尋の言葉は鋭く、時折感情があふれて止まらない。


「響の演奏が完璧だったって、素直に認められないからって暴力に訴えるなんて……先輩としても部員としても失格だよ。そんな奴が同じ部にいるなんて考えられない」


響はただ、黙って真尋を見つめるだけだった。真尋はそれでも止まらない。


「東堂先輩は悔しいんだろうね。わかるよ。自分が認められてないと思うのは辛い。でも、それを暴力で解決しようとするのは間違ってる。絶対に」


一息ついて、真尋はふと響に視線を向ける。


「響も、どう思ってるの?黙ってるけどさ……」


響はゆっくり口元を緩めて、小さく苦笑した。


「……真尋、結構怒ってるんだね」


その穏やかな笑みに、真尋も少し驚いたように笑い返した。


「そりゃ、あれ見たら怒るよ。響が黙ってるから余計にイライラするけどね」


響の表情は少し和らぎ、部の今後について考えを巡らせていた。



翌日、響は譜面台の前でユーフォを軽く置き、マウスピースを拭っていた。


そこへ、音を立てないように扉が開き、来島(らいとう)永井(ながい)が音楽室に入ってくる。


「……よう、響。もう来てたんだ」


「おはよう」


「おはよう。ふたりとも、早いね」


「いや、それは響のセリフだろ。毎朝ひとりで練習とか、真面目すぎでしょ」


来島が苦笑混じりに言いながらチューバをケースから取り出す。永井はそっと楽器を構えつつ、昨日の余韻を引きずるような小さな声でつぶやいた。


「……なんか、まだ変な感じだよね。昨日のこと」


「うん……東堂先輩のこと?」


「それもあるけど、あの合奏全体……だいぶ酷かったよね。瞬崎先生が言ってることは何も間違ってない」


「でも俺はああいうやり方、嫌いじゃないけどね」


来島はため息をつく。


「……響、お前、昨日マジで“吹けてた”よな。あれ、なんだったんだよ。なんか、別次元っていうか」


「……別に」


響は表情を変えず、少しだけ視線を伏せた。


「楽譜どおり吹いただけだよ」


「それがすげぇって言ってんの。俺なんか途中で頭真っ白になって、何小節かズレてたと思う」


永井が頷いた。


「僕も……響君の演奏と瞬崎先生の圧に、完全に飲まれてた」


「そう……だね」


響は椅子に座りなおし、無意識のうちにマウスピースを指先でなぞっていた。


「でも僕も瞬崎先生は何も間違ったことは言ってないし、僕も正しいことを言った」


来島が腕を組んで唸る。


「あ〜あ。プロってこういう感じなんだな。……東堂先輩、そりゃ焦るよな」


その名前に、空気が少しだけ重くなる。


「……でも、暴力はないよね」


永井が静かに言った。


「響、痛くなかった?」


「……平気。大したことないよ」


来島が眉をひそめた。


「でもさ……あの時、すげぇ嫌な空気だったろ。俺、何もできなかった」


「僕も怖くて動けなかった。……ごめんね、響君」


「気にしないで」


響は淡々と答える。でもその目は、どこか遠くを見ていた。すると来島が続ける。


「やっぱ東堂先輩、悔しかったんだろうな」


「だからって、殴る?」


永井が少し怒ったように言った。


「違う。もちろん違うけど……気持ちは、ちょっとわかる。自分の音が誰かに“負けた”って思ったら、きっと……すごく、苦しいと思う」


「まぁでもどのみち今度は響君に追いつけるように、ちゃんと練習しないと」


「うん、一緒に頑張ろう」


そう言って、響はまたマウスピースを口元に持っていく。その音が、昨日よりもほんの少しだけ温かく聴こえたのは——


彼の中で“何か”が確かに変わり始めているからかもしれなかった。


しばらくすると若田やその他3年が楽器を片手に教室に入ってきた。若田は優しい笑みを浮かべながら皆を見渡した。


「みんな、今日はこれからの一週間で取り組む“実力強化訓練”について話したいんだ」


声には柔らかさがあり、緊張した空気を和らげるようだった。


「この一週間は、普段の練習に加えて基礎をしっかり見直すよ。毎日音階練習とロングトーンを欠かさずやることで、みんなの音がもっと安定して、持久力もつくはずだ」


香久山が頷きながら手を挙げた。


「毎日ってけっこうハードだけど、やる価値はありそうだね。基礎が固まれば、自信もつきそうだし」


来島も楽器を構えながら言う。


「確かに、俺も最近テンポが安定しなくて迷惑かけてるから、ここでしっかりやらないと」


永井が少し照れながら続けた。


「響君の演奏みたいに、僕も音にもっと自信が持てたらいいな……」


若田はみんなの反応に微笑みながら言葉を続ける。


「そうだね。正直、けっこう大変な一週間になるかもしれない。でも、みんななら乗り越えられるよ。響君の演奏みたいに、みんなの音もきっともっと輝くから」


教室の空気が少し柔らかくなり、メンバーの目に新たな決意が灯った。


「なにか質問があったら遠慮せずに聞いてね」


優しい口調で声をかけ、若田はメンバーを見渡した。



職員室の扉が静かに閉まると、久瀬部長をはじめとする幹部数名が並び、緊迫した空気に包まれていた。


久瀬が深く息を吸い、口を開る。


「先生、昨日の東堂君の暴力事件についてですが……部としては非常に看過できない問題です。厳正な処分をお願いしたいのですが」


瞬崎先生は目を細めて、にこやかに微笑んだ。


「そうですね……昨日のことは私もよく承知しています。もちろん、軽視しているわけではありません。しっかりと対応は考えていますよ」


幹部の一人が眉をひそめて続ける。


「あともうひとつ、1週間後に再合奏というのは……あまりに急ぎすぎではないでしょうか。まだ部内の空気はとても不安定で、まともに演奏できるとは思えません」


瞬崎は爽やかな笑顔を絶やさず、しかしその目には冷たい光が宿った。


「目標を掲げたのは、他でもないあなた方ですよね?『ここで結果を出す』と。ならば、その覚悟はどこにあるのでしょうか」


部員たちの視線が瞬崎に集中し、部長たちの顔が一瞬強張る。


「私は、皆さんの本気を見せていただくまでは、練習に付き合うつもりはありませんよ」


その言葉は、穏やかな口調とは裏腹に、冷酷な宣告のように響いた。


「部を建て直すには、甘い気持ちや逃げの態度では乗り越えられません。厳しい道のりになるでしょうが、だからこそ本気で向き合ってほしいのです」


瞬崎は笑みを浮かべながら、しかしその笑顔にはどこか狂気めいた凄みがあった。


「今回のことは皆さんにとって、真の試練になるでしょう。肝心なのはあなた方自身の覚悟です」


重苦しい空気の中、幹部たちは互いに顔を見合わせ、言葉を失った。


一方で、その狂気じみた決意は、この部を次のステージへ押し上げるための冷たい覚悟の表れでもあった。



日はとっくに暮れ薄暗くなり始めた頃、東堂は誰もいない音楽室で、トロンボーンを手に取り、静かに息を吐いた。譜面には目もくれず、呟くように小さな声で言った。


「…あいつの音は、いつだって俺の手の届かないところにあった。何度も何度も悔しくて、胸が張り裂けそうだった」


東堂は涙を流しながら呟く。


「……だから、お前は楽器を置いていった。あいつのせいで、もう戻れなくなったんだ。その時、結局俺は何もできなかった。ずっと、無力だった。だけど……まだ諦めたくない。お前に認められたい」


誰かに語りかけるように顔を上げる。


「だから……いつか、絶対に越えてみせる。」


東堂は唇を噛み締め、強い決意を込めて楽器を構え直した。


「これが俺の覚悟だ........見ててくれ、海斗(かいと)......」



再合奏まであと5日.....

誰かの音に嫉妬して、悔しくて、どうしようもなくなる。

でも、音楽は嘘をつけない。

本気じゃなきゃ、響かない。

ぶつかって、傷つけて、それでもまた楽器を構える姿が、たまらなく人間らしくて、私は好きです。

ここからの彼らの物語を、どうか見届けてください。

良かったらぜひ感想、評価などもよろしくお願いします。

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