40話 祭り色のひととき
この長野県では、毎年八月の上旬になると、街全体が一晩だけ別世界になる。
人々の笑い声、屋台の香り、浴衣の色彩が入り混じり、夜空に花火が咲くその瞬間まで、町は止まることなく鼓動している。
Summer Night in Nagano——
一年に一度のこの祭りは、県内の小中高生が主体となり、ステージや出し物で街を彩る特別な夜だ。
街中に響く太鼓の音、笛の音、屋台の喧騒。
これこそ、本当の意味での”夏”なのかもしれない。
教室の窓から、夏の日差しが差し込む。
休み時間のざわめきの中で、響は机に肘をつき、ぼんやり外を眺めていた。
「おい、サマナガ行くか?」
陽翔が隣に立ち、唐突に話しかけてきた。
「……サマナガ?」
響は眉をひそめる。
「Summer Night in Naganoの略だろ。毎年恒例の祭り、行くかどうか聞いてんだよ」
陽翔は笑いながら肩をすくめる。
そこへ奏多も加わった。
「なんの話してるの?」
二人の会話に首をかしげながら混ざってくる。
響は迷っていた。
正直、めんどくさい。
行くのも別に嫌ではない。だが、特別楽しみにしているわけでもない。夏祭りか……まあ、ちょっとは涼むかもしれないな、と頭の片隅で思う程度だった。
「響君も行く?」
奏多が響に問いかける。
響は少し迷った顔で答える。
「うーん……他のみんなが行くなら、考えようかな」
陽翔はすぐにニヤリと笑った。
「そっか、じゃあ一緒に行くってことでいいな」
すると奏多も肩をすくめながら頷く。
「じゃあ、他のみんなも誘ってみようか」
陽翔は教室の外を見渡すと、別クラスの来島や永井にも声を掛ける。
「おい、来島、永井、今夜のサマナガ、どうだ?」
二人は顔を見合わせ、少し笑ったあとに答える。
「あー、いいかもな」
「うん、僕らも行こうよ」
こうして、東縁高校のいつもの顔ぶれが自然と集まる。響も、少しだけ重かった気持ちが軽くなるのを感じた。
その日は、サマナガもあってか、全部活が休みだった。もちろん吹部も。
県大会後に瞬崎からそう告げられてはいたが、いつもより早めに帰るというのは、どこかモヤモヤした気分だった。
練習しなくていいんだろうか……そんな感じ。
「じゃ、五時ごろ集合な!」
陽翔たちと約束をして、響は帰路につく。陽翔は直接向かうらしく、いつもとは別方向へ歩いていった。
バス停で待っていると、いつの間にか隣に柊木が立っていた。
響は思わず声を上げる。
「……うわ!柊木君?」
「そんな驚かなくても」
柊木は少し不機嫌そうに眉を寄せる。
響は察しながら言った。
「……ああ、そうか。吹部も全部休みだったし、練習したかったよね」
「……違う。なんで、僕には声をかけてくれなかったの?」
響は一瞬、戸惑う。
「え?」
「何?その反応」
柊木は目を細め、少しツンとした声で続ける。
「もしかして、夏祭りのこと?」
「そうだよ」
即答だった。
「へぇ、あんまりそういうの好きじゃないと思ってたから……」
「それはどういう意味?」
柊木はちらりと横目で響を見て、口元だけ少し笑う。
「ただいま」
「あら、おかえり。今日は早かったわね」
「うん、夏祭りあるし、全部活OFFだった」
母にそう言い、着替える。
「うーん、そんなガチな雰囲気にする必要ないし。これでいっか」
夏祭りだから、浴衣にするほどではないし、かといって普段着のままでもなんとなく浮く。
結局、ちょっとそれっぽく、夏らしいシャツに短パン、それにスニーカーで十分だろうと決める。
鏡の前で髪を整えながら、響は心の中で小さくため息をついた。
「まあ……所詮祭りだしな、そんなに深く考えなくてもいいや」
こうして、準備はあっさりと終わった。
午後四時頃、南豊川河川敷公園に到着した。すでに大量の屋台が並び、視認できるだけでも百台はゆうに超えていた。
響はしばらくその景色を眺めていた。
色とりどりの提灯、香ばしい匂い、楽しそうな声……
普段の部活の緊張感とはまるで違う、夏の熱気に満ちていた。
その時、隣に柊木が到着する。お互いほぼ同じような格好で、思わず顔を見合わせた。
「おまたせって……被った?」
「偶然でしょ」
二人で少し笑いながら、河川敷に向かって降りていく。
遠くの方で、陽翔たちが手を振っているのが見えた。すでに手にはいろいろと屋台の品が載っていて、どう見ても買いすぎだった。
(……買いすぎだろ)
二人の視線が交わる。
笑いをこらえながら、同じ方向へ歩き出す。
河川敷に広がる夏の光と音、屋台の匂いと人々の笑い声。
その熱気に包まれながら、二人は肩を並べて歩き出した。
こうして、僕らのサマナガは、静かに、そして確かに始まった――夏の匂いと笑い声に包まれながら。
陽翔たちの近くまで歩くと、陽翔が早速口を開いた。
「……なんだその格好」
「え?」
「いや、悪くはないんだけどさ、なんかもうちょっと、こう」
「普通じゃない?これが」
響と柊木は顔を見合わせる。
「陽翔君、そういいながら君は制服だけどね」
「いいじゃん、むしろ制服の方がちゃんとしてる感出てるし」
「君の場合は直接ここに来たから必然的にそうなってるだけでしょ?」
すると来島が腕を組みながら言い止める。
「まぁいいじゃん。制服だろうが私服だろうが。この二人の服装も似合ってるぞ」
陽翔は少し苦笑し、肩をすくめる。
「まあ……そうかもしれないけどな」
柊木はちらりと響を見て、口元だけ少し笑った。
「……偶然、服装が被っただけなんだからね」
響は小さく笑い返す。
「偶然でも、まあ悪くないかな」
「……てか、買いすぎじゃない?陽翔君」
柊木が手に乗せた屋台の品をちらりと見ながら呟く。
「まあ、夏祭りだしな」
「そんなことよりお腹すいた。見てあれ、最近話題のやつだ。ストリートパフェの生クリームDX」
奏多は目を輝かせながらある屋台を指差している。
「なんだそれ」
「長いなおい!」
「デカすぎだろ」
「体に悪そう」
「いいから行きましょうよ!!!!」
奏多に手を引かれ、笑い声と屋台の匂いに包まれながら、僕たちは祭りの中へ足を踏み入れた。
奏多はまるで無邪気な子供のように、一口ごとに目を輝かせて頬張る。生クリームが唇や頬に少しついても気にする様子はなく、口の周りを手で拭きながらもさらにスプーンを口に運ぶ。
「わぁ、これめっちゃ美味しい!やばい、止まらない!」
その声に陽翔は眉をひそめ、少しだけ顔をしかめた。
「ちょ、ちょっと甘すぎないか?俺、もう……」
来島も同じように、パフェを口に運ぶたびに表情が歪む。甘さに耐えながら、かろうじて咀嚼して飲み込む様子だ。
僕も頑張って口に運ぶ。舌が甘さで痺れそうになるけど、奏多の楽しそうな姿を見ると、つい微笑みながら一口一口頬張ってしまう。
柊木はというと、すでに自分の分を平らげ終わり、余裕の表情で僕たちを見ていた。生クリームが少し唇に残っている奏多を見て、にやりと口元を緩める。
「……甘すぎて泣きそう」
陽翔が小さくため息をつくと、奏多はそれを気にも留めず、またスプーンを口に運ぶ。
「もう最高!口の中に入れた瞬間、ふわっと溶ける感じ……うーん、幸せすぎる!」
そんなやり取りをしていると、少し遠くのステージが光を放ち始めた。LEDライトやスポットライトが一斉に灯り、夏の夕暮れに鮮やかな光の柱が立つ。
「……なんだあれ?」
アナウンスが響き渡る。
「お待たせしました!ただいまより、サマナガスペシャルステージをお送りします。トップバッターは都畿川高校です!」
都畿川高校――東縁と同じく県大会を突破し、東海大会に挑む学校。
「皆さんこんにちは!都畿川高校吹奏楽部です。私達は先週行われた長野県大会にて見事代表に選ばれ、東海大会に進むことができました」
大きな拍手が起こる。
「これも皆さんのおかげです。ありがとうございます。そして、東海大会でも皆さんにいい報告ができるようにさらに練習に励んでいこうと思います。これからも都畿川高校吹奏楽部をよろしくお願いします!!」
「「よろしくお願いします!!!」」
「それでは、お聞きください。どうぞ!!」
部長の呼びかけで、県大会の結果や応援への感謝を伝え、演奏が始まった。
第一音が鳴ると、奏多は口の中にまだクリームが残っているのも構わず叫んだ。
「わぁ!『おジャ魔女カーニバル』だぁぁ!」
目を輝かせて頬張る奏多の姿に、響もつい笑ってしまう。
陽翔や来島は慌てて口を押さえ、声をかける。
「……口の中の物、ちゃんと飲み込め」
奏多口の中のクリームを飲み込みながらも、次の一口をスプーンに取る。
ステージの音がここまで届く。都畿川吹奏楽が、夕暮れの河川敷を包み込む。奏者たちは、息を合わせ、楽しそうに、そして真剣に演奏している。
奏多は夢中になってパフェを食べつつも、手拍子をしたり、体を揺らしたりして演奏に合わせる。
「見て!このソロ、最高だよ!」
「え、どこ?」
陽翔や来島が視線をステージに移すと、そこにはソロを吹く部員が光を浴びながら演奏していた。
「すごい……さすが東海常連」
柊木は目を細め、冷静に演奏を見つめながらも、手の中のパフェを片手で持ったまま余裕そうに頷く。
僕も奏多と同じように、少しずつ甘さに耐えながら、演奏の熱気と屋台の匂い、そして夕暮れの光景を同時に味わう。
夕暮れの風が頬を撫で、河川敷のざわめきと、屋台の賑わい、そして音楽の高揚が絶妙に重なり、僕たちはまるで祭りそのものの一部になったかのような気分になる。
奏多の無邪気な笑顔、陽翔や来島の必死な甘さ耐性、柊木の余裕の表情……それぞれの個性が、夕暮れの河川敷に色鮮やかに混ざり合う。
僕たちはステージに耳を傾け、甘いパフェと音楽と祭りの熱気に包まれた、特別な午後を過ごしていた。
「もう少し、息の入りを滑らかにしてみて」
「...はい」
天奏若葉は文化ホール《言の葉》のBOXを借りて練習していた。天奏が座る席の前には一人の女性が座っていた。
「天奏さん」
「はい」
「課題曲マズルカのここのオーボエソロ、あなたはどういう風に吹きたいの?」
「......わかりません」
「分からないまま闇雲に吹いても意味は無いわ。そこは分かってる?」
「すみません」
「謝る必要は無いわよ。あなたは十分すぎるくらい技術がある。あとはどう表現したいかそれだけなの」
「はい」
「あら、もう二時間経ったのね。少し休憩にしましょうか?」
「はい」
そう言って女性は一旦部屋を出ていった。
天奏は楽器を置き、水筒を取り出そうとする。その時に、バッグからファイルが溢れ落ちた。中の紙が散乱する。
天奏は急いでファイルを取り、散らばった紙を集めた。全部集め終わるとファイルをぎゅっと抱きしめる。
しかしふとファイルの中に視線を送ると、
「......ない」
「......ない」
「......ない」
「......ない」
「......ない」
――ない
――ない
――ない
――ない
――ない
――ない
――ない
《吹部やらない?》
《ずるいよ、そんな音》
《また失う》
《もっと聞きたいなぁ》
《私、バカだね》
《いや、いや!!!もうやめて!!!》
《もっと聞いていたかったよ》
《天奏まで見捨てるんだ》
《私にやる資格なんてない》
《疲れた》
《音楽、好き?》
《...ふふ、私も......大っ嫌いだよ》
「ない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
甘すぎるパフェを食べて笑った午後のこと、まだ口の中がクリームだらけなのに、ステージの音が耳に残っている。
夕暮れの風が少し涼しく感じられて、でも祭りの熱気はまだ消えていなくて、なんだか心地いい。奏多は無邪気に笑って、陽翔や来島は必死に甘さに耐えて、柊木は余裕そうに見ている。
それぞれの時間が重なって、この一瞬だけは、全部が特別に感じられた――そんな午後だった。
感想、評価是非お願いします。
次回もお楽しみに!!




