4話 試される
吹奏楽部に春が来る。新しい顧問、増えた仲間、手探りの練習。だけど、まだ“部活”は始まっていない。音を出すだけじゃ足りない。
何を目指し、誰と進むのか................
音楽室に戻ってきた一同は、それぞれ椅子に腰かけ、静かに先生たちの言葉を待っていた。すると音楽室の静けさを破るように、瞬崎先生は部長の久瀬部長に近づいた。
「今年は新入部員、何人入ったんですか?」
久瀬は少し驚いたように顔を上げ、答えた。
「36人です。ここ数年で一番多いかもしれません」
瞬崎は目を輝かせて微笑んだ。
「嬉しいですね。これで長らく空いていた楽器も埋まって、部の演奏の幅も広がりそうです」
瞬崎先生はすでに前に立っており、明るい表情を浮かべている。けれどその場を包む空気は、どこか硬く、緊張感が漂っていた。
吹奏楽部のこれからが、ようやく動き出そうとしていた――。
「まずは自己紹介からですね。今年、東縁高校に赴任しました瞬崎カルマと申します。担当教科は音楽と数学です。音も数字も、どちらもルールがありながら自由がある——そこに僕は魅力を感じています。音楽は昔から好きですが、吹奏楽部の顧問を務めるのはこれが初めてです。みなさんと一緒に音を作り上げていけたら、とても嬉しいです。どうぞこれからよろしくお願いします」
そういって瞬崎は深々と礼をした。音楽室中に拍手が響き渡る。顔を上げるとその口元を僅かに緩めた。
「まずは聞かせてください。皆さんは、この部活をどんなふうにしていきたいですか?」
一瞬、音楽室に静寂が訪れた。生徒たちは顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべる。誰もが言葉に詰まり、視線を落とした。
瞬崎は少し微笑みながら、言葉を続けた。
「そうですね……改めて言い直します。今年の部活の目標は、私から押し付けるのではなく、皆さん自身に決めてもらいたいんです」
音楽室は少しだけざわめいた。
瞬崎が少し間を置き、誰も話さないことを感じ取ると、ゆっくりと黒板の方へ歩き出した。チョークを取り、黒板に『全国大会金賞』と大きく書き込む。
「これが、これまでの吹奏楽部の目標でしたね。皆さんはこの目標に向かって努力してきた。でも、今の部の状況や皆さんの気持ちを考えると、改めてこの目標をどうするか決める必要があると思います」
瞬崎は振り返り、久瀬とその他幹部らの方を見ながら言った。
「今日は、幹部の皆さんにこの話し合いを進めてもらいます。全国大会金賞を目指すのか、それとも違う方向で進むのか決めてください」
久瀬はゆっくりと立ち上がった。声は震え、わずかに怯えたような響きがあった。
「わ、わかりました……」
久瀬が進行役を引き受けたものの、どう進めていいか迷いながら、周りの部員たちを見渡した。
そのとき、誰かがぽつりと呟いた。
「多数決で決めちゃわない?」
その言葉に、音楽室の空気が一瞬凍りついた。
「多数決?!」
久瀬は驚愕の声を漏らす。それで本当に決めていいのか……?そのような不安が顔に浮かんでいた。
すると、別の部員が少し苛立ったように口を開いた。
「だってさ、そうしないと決まんないだろ。こんなに部員いるんだから」
部員は、ざわつきながら瞬崎の方を見た。しかし、彼はにこやかに微笑みながら静かに結果を待っている。久瀬は少しもじもじしながらも声を震わせて答えた。
「……わかりました。じゃあ、多数決で決めましょうか」
部員はそれぞれ小さく頷く。
「えーとまず……全国大会金賞を目指さない人、手を挙げてください。」
音楽室には静寂が流れた。誰も手を挙げる者はいなかった。
「えっと……じゃあ、その……全国大会金賞を、目指したい人は……手を挙げてください」
すると、部員たちはゆっくりと手を挙げ始めた。その中で、響は迷わず、真っすぐに、力強く手を挙げていた。その姿は、揺るがぬ決意を教室中に示していた。自分でもよくわからなかった。
「……手をおろしてください。それでは今年の目標は全国大会金賞で決まりです」
そう言うと久瀬はほっとしたような顔で瞬崎の方を見る。瞬崎もより一層笑顔で部長はじめ部員たちを見渡した。
「まあ、頑張ってはいるけどね……」
一人の部員がそう呟いた。周りも釣られるように苦笑している。そんな諦めムードを瞬崎は明るい笑顔で一気に吹き飛ばした。
「ありがとうございます。一応言っておきますが、この目標を決めたのは皆さんです。私はその目標を達成するために全力を尽くします。ですから、皆さんもどうか一緒に歩んでください」
その言葉は、真剣な熱意の裏に狂気にも似た強さを感じさせ、音楽室の空気を一変させた。
放課後、部活を終えた響、陽翔、奏多は、いつもの路線バスの後方座席に腰を下ろしていた。車窓の外には、山と田んぼのあいだを染める夕焼けがゆっくりと流れていく。
すると陽翔が、腕を組んだまま少しムッとした顔で言った。
「……やっぱ納得いかねぇんだよな」
「まだ言ってるの?」
奏多が窓の外を見ながら、飄々と返す。
「だってさぁ。サックス志望だったんだぞ? なのに“はいバスクラやってたなら戻って”って。強制帰還かよ」
響は苦笑しながら、ちらっと陽翔を見た。
「でも、吹けてたじゃん。やっぱ体が覚えているんだね」
「そりゃな、小学生のときずっとやってたし……。でもよ、もうちょっと他の楽器試したかったっていうかさ……今さらバスクラ戻っても地味っていうか、主役感ゼロじゃん」
「“地味”って言い方するけどさ」
奏多がやや呆れたように笑う。
「本番で一人いないと、アンサンブルが一気に崩れるのがバスクラだよ? 責任重大だよ」
「……うっせぇな。知ってるけどさ」
陽翔はそっぽを向きながらも、どこか照れたような口ぶりだった。
「ま、いいけどさ……やるって決めたしな。まさか、本当に全国目指すんだな、俺たち。本当にやれるもんなら、だけど」
「やれるかどうかは、これからでしょ」
響の声は小さいが、芯が通っていた。
その言葉に、陽翔も奏多も特に返すことはなかった。ただ、バスの窓に映る夕焼けを見ながら、それぞれの胸の中で「これから」を思い描いていた。
3年5組の教室。窓のカーテンは半分開いたまま、夕方の光がゆるく差し込んでいる。放課後、楽器ケースを抱えたバスパートのメンバーたちが、少しずつその教室に集まってきた。
一番早く来ていたのは、響だった。ユーフォのケースを机の脇に置き、静かに椅子に腰をかけている。外の景色をぼんやりと眺めているその背中には、どこか他人を寄せつけない静けさがあった。
するとチューバケースを背負った少年が教室に入ってきた。靴の色からして恐らく同じ1学年だろう。彼は大きなチューバのケースを床に置き、少し息を切らしながら響の隣に腰を下ろした。そこに続くように、他のメンバーも次々と教室へ入ってくる。ユーフォ、チューバ、コントラバスと続けて...............
最後に、どこかのんびりとした足取りでユーフォケースを抱えた男子生徒が入ってきた。
「ん〜、全員揃ってるね。じゃあ、始めよっか」
教室の前の席に立ったその生徒は、柔らかい声で言う。
「改めまして、今日からバスパートの練習始まります。新入生もいるし、まずは軽く自己紹介していこうか」
全体の雰囲気は、まだどこか探り合っているような、そんな緊張感に包まれていた。
「僕は若田宗一郎、3年。ユーフォニアム担当。……おっとりしてるって言われがちだけど、自覚ないです。たぶん」
若田が軽く手を挙げて笑うと、後ろから小さなツッコミが飛んだ。
「いや自覚あれ」
全体が少しだけ和んだ空気になる。
「じゃあ順番にいこうか。僕から時計回りで」
少しの沈黙の後、響は立ち上がった。
「……月本響です。1年。ユーフォニアムをやっています」
それだけ言って、軽く頭を下げた。
続くメンバーたちも自己紹介をしていく。
「2年の桜咲彩花です。ユーフォニアムです。まだまだですけど、よろしくお願いします」
「3年の香久山大兎。チューバ吹いてます。困ったことがあれば気軽に声かけて」
「2年、茅野砂漣。チューバ。よろしく」
「3年、今伊亮。コントラバスです。あんまり目立たないけど……よろしく」
「1年の来島青馬です!チューバやってます!吹奏楽は初めてだけど、やる気だけはあります!」
「あ、1年の永井、營です。コントラバス……です。えと……がんばります……」
緊張しながらも一生懸命言葉を探す永井。淡々とした茅野。お調子者っぽく見えるけど、まっすぐな視線の青馬。一通り自己紹介が終わると、若田が再び口を開いた。
「今日はまだ初日だから、まずは音を出してみようか。それぞれ、自分のロングトーンを」
その言葉に、各自が自分の楽器ケースを開けはじめる。
——カチッ、カタン、と金属やプラスチックの音が教室に重なる。
響は静かにユーフォを取り出す。その手つきは滑らかで、まるでそれが自然の動作のようだった。そして楽器を持った8人は円状に並んだ。
「じゃあ、僕からいくね」
若田が先陣を切って息を吸い、深く、まっすぐなロングトーンを響かせる。その音はあたたかく、けれど控えめで、どこか彼の性格をそのまま表しているようだった。
次いで、彩花、響、香久山、茅野……と順番に音を出していく。皆、それぞれの音色を持っていて、誰もが自分の立ち位置を確認するような、そんな慎重なトーンだった。
その中で響のロングトーンの低く、深く、それでいて透明感のある音が教室中に広がっていった。ただのロングトーンなのに、空気が一瞬震えた気がした。誰かがごくりと息を呑む。まるで一人で吹いているかのように教室には響のユーフォの音色だけが残った。
けれど、響はまるで何でもないように、ユーフォをそっと置いた。
「……うん、やっぱうまいな、君」
若田がふわりと笑って言う。その一言で教室の空気がすこし柔らかくなった。
バスパートの、最初の一歩が踏み出された——そんな放課後だった。
ある日の放課後、静まり返った職員室。部長の久瀬、副部長、幹部たちが、今後の部活運営やコンクールについて顧問の瞬崎カルマと話し合っていた。瞬崎は資料に目を通しながら、やや冷静な表情で口を開いた。
「なるほど、部の方向性や練習体制についてはわかりました。ただ……」
少し間を置いて、目を上げた瞬崎が静かに言う。
「今の吹奏楽部がどのくらいの演奏レベルか、私に聴かせてほしい」
部長が驚いた表情で問い返す。
「どういう意味ですか?」
瞬崎は微かな笑みを浮かべ、机の引き出しから一冊のスコアを取り出した。
「これを見てください」
重厚な譜面を部員たちに向けて差し出す。
「『宇宙戦艦ヤマト』。これを合わせられるようになったら、呼んでください」
部長の久瀬は、驚きの色を隠せず声をあげた。
「えっ!そんな、いきなりそんなことを言われても……」
瞬崎はふっと笑みを浮かべながらも、真剣な眼差しで続ける。
「私は理論や方針を決める前に、まず“今”の実力を知りたいんです。それがなければ、いきなり練習を押し付けても意味がない。だから、この曲を合わせてみてほしい。演奏できるようになったら、すぐに声をかけてください」
その言葉と笑顔にはどこか狂気を感じさせる、鋭い輝きが宿っていた。
幹部らは言葉を失い、重たい空気が職員室を包んだ。
ご覧いただきありがとうございました。そして更新遅れてしまって申し訳ありません。できるだけ更新頻度を挙げれるように尽力していきます。
4話では、ようやく響たちが“音を出す”場面に入りました。
顧問・瞬崎カルマの意図も少しずつ見えてきて、部としての歯車が回り始めた回になったと思います。
次回、いよいよ《宇宙戦艦ヤマト》が、部員たちにとってひとつの試金石となって動き出します。
そしてよかったらぜひ評価、感想などもお願いします。
引き続きどうぞよろしくお願いします。




