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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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34/42

34話 選抜

東縁高校吹奏楽部は、県大会へ向けたオーディションの日を迎える。地区大会を越えたからこそ、立場も実績も関係ない。求められるのは、ただひとつ。

——この舞台で鳴らせる「本当の音」。

それぞれの想いと緊張が交錯する中、選抜の時間が始まる。

音楽室には、いつもとは違う静けさがあった。

音がないのではない。

音を出す前の緊張が、空気として張り詰めている。


譜面台は整然と並び、椅子も揃えられている。部員たちはそれぞれの位置で楽器を構えながら、ほとんど口を開かない。


扉が開く音がして、瞬崎(しゅんざき)瀬戸川(せとがわ)董白(とうはく)が入室した。


その一歩だけで、空気が引き締まる。


瞬崎は教壇の前に立ち、部員全員をゆっくりと見渡した。誰とも目を合わせないようでいて、全員を見ている。


 「——お待たせしました」


短く区切ってから、言う。


「これより、県大会オーディションを開始します」


ごくり、と誰かが唾を飲み込む音がした。


瞬崎は続ける。


「ここまで、全員がよく努力してきたことは分かっています。地区大会を越えたことも、決して偶然ではありません」


一瞬、空気がわずかに緩む。だが、次の言葉が、それを許さなかった。


「ただし」


瞬崎の声は、低く、淡々としている。


「オーディションです。結果はフラットに見ます」


視線が動く。


「地区大会で出場した人が、今回外れる可能性もあります」


ざわ、と胸の奥が揺れる。


「逆に、地区大会で出られなかった人が、県大会メンバーに入ることもあります」


誰も否定できない。

それが、オーディションだ。


「だからこそ」


瞬崎は、間を置いた。


「皆さんの“本当の音”を聞かせてください。練習の成果でも、評価でもなく——今この瞬間の音です」


音楽室が、さらに静かになる。


そのとき。


「ちなみに」


少しだけ軽い声が割り込んだ。


董白が、腕を組んだまま笑う。


「今回は僕も、オーディションを聞かせてもらうからね〜」


一瞬、緊張の糸が揺れた。


だが、笑いは起きない。


冗談に聞こえるその言葉が、本気だと全員が分かっていたからだ。


瞬崎は何も言わず、軽くうなずいた。


音楽室は再び『試される場所』へと変わる。


最後に、ひとりが手を挙げた。


東堂(とうどう)だった。


音楽室の空気が、わずかに揺れる。


「……質問、いいですか?」


瞬崎はすぐに視線を向けた。


「どうぞ。東堂くん」


東堂は一度、喉を鳴らしてから言う。


「オーディションって……本当に、技術だけで決めるんですよね?」


一瞬、静寂。


誰もが、その答えを待っていた。


瞬崎は、間を置かずに答える。


「もちろんです」


短い返事だった。


「音程、リズム、音色、安定性。県大会の舞台で再現できるかどうか――それだけを見ます」


東堂は、少しだけ眉を下げる。


「じゃあ……今までの大会の実績とか、先輩後輩とか、そういうのは」


「関係ありません」


瞬崎は、きっぱりと言った。


「今日ここで出た音が、全てです」


その言葉に、逃げ道はなかった。


東堂は、ゆっくりとうなずく。


「……分かりました」


手を下ろし、前を向く。


瞬崎は全体を見渡し、最後に言った。


「改めて言います。これは、選抜です。遠慮も配慮もありません」


そして――


「では、始めましょう。オーディションの時間です」



バスパート教室。


普段よりも狭く感じる部屋に、重たい空気が溜まっていた。楽器ケースが床に並び、誰もが落ち着かない様子で座っている。


「……あー」


来島(らいとう)が椅子に深くもたれ、天井を見上げた。


「早く終わってくれー。マジで吐きそう」


弱音とも冗談ともつかない声。


永井(ながい)が苦笑しながら言う。


「そんなこと言ってても始まらないでしょ。今回こそ、レギュラー目指して頑張ろうよ」


自分に言い聞かせるような言葉だった。


「いや、気持ちは分かるんだけどさ」


桜咲(おうさき)が肩をすくめる。


「瞬崎先生、ほんと容赦ないからね。私なんて地区のオーディションは項目に書いてないとこまで突っ込まれて、ズタボロだったし」


思い出したのか、苦笑が混じる。


「うわ……それ聞くだけで胃が痛い」


来島が腹を押さえる。


「今回はさ」


香久山(かぐやま)はチューバにオイルを差しながら言う。


「董白先生もいるだろ。あの人、何言い出すか分かんないぞ」


その言葉に、全員が一瞬黙った。軽口の裏に、本気の不安がある。


そのとき、遠くから音が聞こえた。


若田(わかだ)が顔を上げる。


「……トロンボーンだ」


全員が耳を澄ます。


「上手いな。東堂?それとも狩川(きりかわ)?」


その名前が出た瞬間、来島の表情が歪む。


「……あの先輩、ほんと意味わかんねぇよ」


吐き捨てるように続けた。


(ひびき)殴るし」


「ヤマト再合奏のあれ、まだ引きずってるの?」


響が軽くツッコむ。


「当たり前だろ!」


来島が顔を上げる。


「あの先輩はおかしい!!!!」


「落ち着け」


香久山が即座に制する。


「今はオーディションに集中だ」


「あ、すみません」


その言葉に、教室の空気が再び引き締まった。


しばらくして、廊下の方から足音が近づいてきた。


扉が軽くノックされ、係の生徒が顔を出す。


「次、バスパートです。ユーフォからお願いします」


その一言で、空気が一段、重くなる。


「来たな……」


香久山が小さく息を吐いた。


若田がゆっくりと立ち上がる。

続いて桜咲、そして響も椅子から腰を上げた。


三人は視線を交わすことなく、黙ったまま教室を後にした。背中に残る視線と、これから鳴らす音の重さを背負いながら。



廊下に出ると、音楽室の方から人影が近づいてきた。


すれ違いざまに、その顔を見て、若田が息を止める。


東堂だった。


すでにオーディションを終えたらしく、トロンボーン片手に無言でこちらに向かってくる。


距離が縮まる。


そして――


東堂は、響の隣を通る瞬間。


わざとらしく、大きな舌打ちをした。


「……っ」


若田が反射的に声を上げる。


「おい、何やってるんだよ」


だが、東堂は足を止めない。


視線すら向けず、そのまま廊下の奥へと歩き去っていった。


残された空気だけが、冷えていく。


響は、何も言わなかった。


胸の奥で、嫌な感覚が蘇る。


――あの時。


低い声で告げられた言葉。


『お前が目障りなんだよ』


思い出したくもないはずの記憶が、音もなく浮かび上がる。


響は、無意識に視線を落とした。


床の線を見つめながら、何度か、静かに息を整える。


「……もうすぐです。行きましょう」



椅子に座る三人――若田、桜咲、そして響。音楽室前の廊下は、緊張で張りつめている。


「……最初は若田さんからですね」


係の生徒が呼び、若田がゆっくりと立ち上がり、音楽室に入っていく。


残された響と桜咲は、沈黙の中で互いを見つめる。


「……私、絶対響くんの方が上手いって思ってる」


桜咲が小さく、でも真剣な声で言った。


「瞬崎先生が上の学年だからって、選んでるかもしれないし」


響は、ただ静かに返す。


「……じゃあ、なんで桜咲先輩は選ばれてないんですか?」


桜咲は少し苦笑し、肩をすくめる。


「私は、その……下手だからさ」


その答えに、響は何も言わなかった。ただ、静かに息を整える。


廊下の空気は、さらに重くなっていく。


若田のオーディションは順調に進んでいった。指定された項目をひとつひとつ確実に吹きこなし、その音は迷いがなかった。やがて、若田が音楽室から出てきて、一言だけ残す。


「じゃ、お先に失礼」


その声とともに、次は桜咲が教室の中へ入っていく。


音楽室前に残された響は、ただ一人、椅子に腰掛けて座っている。


桜咲の演奏は、一見順調に思えた。だが、耳を澄ませば、ところどころ小さなミスが混じる音も聞こえる。

響は静かにその演奏を聴いていた。



やがて、音楽室の扉が開いた。


桜咲が、ゆっくりと外に出てくる。表情は穏やかだったが、どこか力が抜けているようにも見えた。


「……頑張って」


すれ違いざま、短くそう言って、桜咲は廊下の奥へと歩いていく。


それと同時に響は、静かに立ち上がる。


椅子がわずかに軋む音がして、廊下の空気が張り詰める。


一歩、また一歩。


音楽室の扉の前に立ち、深く息を吸う。


そして――


響は、その扉を開け、音楽室へと入室した。


いよいよ、オーディション本番だった。


音楽室の中央には、ぽつんと椅子が一つだけ置かれていた。壁際には瞬崎たち審査役が並び、室内は張り詰めた空気に包まれている。


響は一歩前に出て、軽く頭を下げた。


「一年、ユーフォニアムの月本響です。よろしくお願いします」


短く名乗ると、静かに椅子へと腰を下ろす。瞬崎が口を開いた。


「チューニングは大丈夫ですか?」


短く確認する視線が、響に向けられる。


「では、始めましょうか。まずは課題曲、CからDまで。お願いします」


董白は、瞬崎の隣で腕を組みながら、その音を聴いていた。表情は読めない。だが、視線だけは一音も逃さないように、響に向けられていた。



オーディションが終わった帰り道。


夕方の空は、いつの間にか茜色に染まっていた。校門を出て、自然と集まった六人が並んで歩く。


響、柊木(ひいらぎ)陽翔(はると)奏多(かなた)、来島、永井。


気がつけば、久しぶりの顔ぶれだった。


「……はぁ」


来島が大きく息を吐く。


「終わった……マジで終わった……」


「それ、さっきから三回目だけど」


奏多が苦笑しながらツッコむ。


「だってさ、吐きそうだったんだもん」


「分かるけど」


永井も肩を落とす。


「結果出るまで、落ち着かないよね」


この場にいる全員が、同じ気持ちだった。


「……響はどうだった?」


不意に、柊木が問いかける。全員の視線が、自然と響に集まった。


「……普通」


響は、短くそう答えた。


「普通って何だよ」


来島が眉をひそめる。


「いや、ほんとに」


響は苦笑する。


「良くも悪くも、いつも通り」


その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


沈黙の中で、靴音だけが続く。夕暮れの道を歩きながら、誰もがそれぞれの演奏を思い返していた。


柊木は、ホルンケースを胸に抱えたまま歩いていた。いつもより、ほんの少しだけ足取りが早い。


「柊木君、今日このあとレッスンあるんだっけ?」


永井が聞くと、柊木は軽くうなずいた。


「うん。夜から。間に合うように行かないと」


「相変わらずだなぁ」


来島が感心したように言う。


「当然だよ」


その声は、軽いけれど迷いがない。


「僕らは、全国を目指してるんだから」


当たり前のことを言うように、さらりと言った。


その言葉に、誰も茶化さなかった。

それだけ、この場にいる全員が分かっていたからだ。


響は、少しだけ視線を落としながら歩く。


(……こういう人がいるから、成り立つんだろうな)


誰かが突出しているだけじゃない。誰かが本気で積み上げているから、全体が前に進める。


そんな当たり前のことを、今さらのように実感する。


夕暮れから夜へと変わりかけた空の下、六人の足音は、同じ方向へと伸びていった。



オーディションの結果は、翌日の部活動で明らかになった。


音楽室には、前日と同じような、いや、それ以上に張り詰めた空気が漂っている。誰もが無言のまま、自分の楽器ケースを足元に置き、前を向いていた。


やがて、扉が開く。


瞬崎と、瀬戸川が入室した。瞬崎は全体を一度見渡すと、静かに口を開く。


「皆さん。昨日はオーディションお疲れ様でした。まず総評について」


それだけで、空気が一段、重くなる。


「全体として、地区大会のときよりも、確実にレベルは上がっています。基礎、表現、集中力――どれも、よく仕上げてきました」


肯定から始まる言葉に、誰も安堵はしない。

その先に続く“選別”を、全員が理解しているからだ。


「ですが」


瞬崎は一拍置いて、続ける。


「県大会は、人数も、音も、責任も、すべてが違います。それを理解しておいてください」


瞬崎が一歩下がる。


「では、結果を発表する。呼ばれたものは返事を」


前に出たのは、瀬戸川だった。そうして、名前が呼ばれていく。


地区大会から変わらず選ばれた者もいれば、呼ばれなくなった者もいる。逆に、新しく名前が読み上げられる者もいた。


瀬戸川は、感情を挟むことなく、まるで作業を進めるかのように、淡々と名前を読み上げていく。


「続いてバスクラリネット。三年、鷹野拾(たかのひろい)


「はい」


「三年、振原美結(ふりはらみゆ)


「はい」


「バスクラリネットは以上二名」


陽翔の名前は、呼ばれなかった。


静かに、空気が沈む。


しばらくして、ファゴットの番。


「……続いてファゴット。二年、守田 木乃香(もりたののか)


「はい」


「一年、如月奏多」


「はい」


二人とも、合格だった。


「……続いてトロンボーン。三年、東堂成昭」


「はい!」


トロンボーンでは、真っ先に呼ばれたのは、東堂の名前だった。


ホルンも同じように名前が呼ばれていく。


「……一年、柊木真尋」


「はい!」


「ホルンは以上四名」


柊木は、地区大会と同様、問題なく選ばれた。


「……続いてユーフォニアム。三年、若田宗一郎」


「はい!」


「......二年、桜咲彩花」


「.........え?」


「ん?どうした、返事は!」


「は、はい!」


一拍置いて、


「一年、月本響」


「はい」

 

ユーフォは、三人全員が選出された。


そして――


「自由曲ソロは、三年、若田宗一郎だ」


わずかに、空気がざわめく。今回もソロは若田だった。瀬戸川は気にせず続ける。


「続いて、チューバ。三年、香久山大兎」


「はい!」


「二年、茅野砂漣(かやのされん)


名前は二つで止まった。


来島の名は、今回も呼ばれなかった。誰にも聞こえないぐらいの小さなため息を吐く。



そうして結果発表が終わり、音楽室には、言葉にならないざわめきだけが残っていた。喜びも、悔しさも、安堵も、不安も——誰もがそれを胸の内にしまい込んだまま、前を向いている。


瞬崎が、一歩前に出る。


「……以上が、今回の県大会メンバーです」


そう言ってから、少しだけ間を置いた。


「皆さんも分かっていると思いますが」


静かな声だった。


「県大会は、今週の土曜日です」


その一言で、現実がはっきりと突きつけられる。

残された時間は、もう多くない。


「選ばれた人も、選ばれなかった人も」


瞬崎の視線が、音楽室全体をなぞる。


「ここからどうするかは、皆さん次第です」


誰かを責めるでも、慰めるでもない。

ただ、事実だけを置く言葉。


「県大会に向けて、自分は何をすべきか。この部にいて、どんな音を出したいのか」


一拍。


そして、瞬崎は少しだけ声を強めた。


「今まで以上に考えて、行動してください」


最後に。


その場の空気をまとめるように、はっきりと言い切る。


「——みなさん、行きましょう」


視線が前を向く。


「県へ。東海へ」


そして。


「全国へ——」

結果が出たからといって、何かが終わったわけじゃない。ただ、立つ場所が少しだけ、はっきりしただけだ。選ばれた音も、選ばれなかった音も、どれも間違いじゃない。

でも——

鳴らす音には、責任がある。逃げられないし、ごまかせない。大会なら尚更。それでも。ここまで来た以上、前を向いて吹くしかない。

次は、県。

この音で、どこまで行けるのか。

自分自身に、確かめにいく。

感想、評価是非お願いします。

次回もお楽しみに!

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