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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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30/42

30話 数字が示す道

勝ったはずなのに、胸の奥には微かに重さが残っていた。数字は正直で、歓声も拍手もすでに過去のものになっている。

それでも、次の音はもう鳴り始めていた。静かな家、整った教室、何も変わらない日常。けれど、何かが確かにずれている

ホールの自動扉を抜けた瞬間、外の空気がやけに冷たく感じられた。


さっきまで、音に包まれていた身体が、現実に引き戻される。


夕方の空は、まだ明るい。けれど、太陽はもう低く、長い影が駐車場に伸びていた。


東縁(とうえん)高校吹奏楽部、一行はホール前に集まっていた。


ケースを地面に置く音。

水筒の蓋を開ける音。

誰かが深く息を吐く音。


「……終わったんだな」


誰かの小さな呟きに、誰も否定しなかった。


地区大会は、確かに終わった。


瞬崎(しゅんざき)が、一歩前に出る。いつもの柔らかい表情だったが、目だけは、はっきりと部員全員を捉えていた。


「皆さん、地区大会お疲れ様でした。そしておめでとうございます。結果も含めてよくやったと思います」


一瞬、部員たちの表情が緩む。だが、瞬崎はそこで言葉を切らなかった。


「……ただし」


空気が、わずかに引き締まる。


「県大会は、今日みたいにはいきません」


誰も、驚かない。むしろ、全員がどこかで分かっていたことだった。


「今日の演奏は、“揃っていた”。それは強い。でも――」


瞬崎は、少しだけ間を置く。


「それだけじゃ、足りない場所です」


視線が、一人ひとりに向けられる。


「これからは、揃えるだけじゃ勝てません。音楽そのものを、もっと前に出さなければいけません」


(ひびき)は、その言葉を胸の奥で受け止めた。


揃っていた。確かに、それは自分たちの武器だった。けれど、それ以上を求められている。


「ですが」


瞬崎は、ふっと笑った。


「だからこそ、行く意味があると私は考えています」


その一言で、空気が少しだけ軽くなる。そこへ、董白が一歩前に出た。腕を組み、いつもより低い声で口を開く。


「……創部以来初の地区突破。これは事実だ」


淡々とした口調だが、その目は誇らしげだった。


「本当におめでとう。でも」


一瞬、沈黙。


瞬崎と同じ言葉を使い、董白は続ける。


「県では、“通用した”なんて言葉は通じない。勝ちたいなら、今日の演奏から学ぶんだ」


厳しい言葉だった。けれど、誰一人として反発しない。むしろ、その言葉が自然に胸に落ちてくる。


「……ってなわけで皆んな今日はお疲れ様!地区代表として、練習怠るなよ〜」


董白はそれだけ言うと、一歩下がった。再び笑いが起こる。


全員の目は、確実に同じ方向を向いている。それだけでは、もう足りない場所へ向かうことになるとも。



玄関の扉を開けると、すぐに声がした。


「おかえり、おめでとう!」


その一言に、響は一瞬だけ立ち止まった。キッチンの方から、母が顔を出す。


「……ありがとう」


それだけで、胸の奥が少し緩む。ホールでは張りつめていた何かが、ようやくほどけた気がした。


靴を脱ぎ、リビングに入る。テレビはついているが、音は小さい。食卓には、すでに夕食の準備が整っていた。


「県大会行くんだって?」


箸を並べながら、母が聞く。


「……まあ、うん」


響は、いつも通り短く答える。


「すごいじゃない。よく頑張ったね」


派手なリアクションはない。けれど、その声は温かかった。


しばらくして、父も席につく。


「地区、突破したんだってな。おめでとう」


父はそれだけ言って、味噌汁に口をつけた。


「ありがとう」


「まぁでもここからだ。お前が本気で上の大会に行きたいなら努力しろ。きっと応えてくれるはずだ」


それ以上、詳しい話はしなかった。演奏の内容や、順位の重みを説明する必要はない気がした。


食卓には、いつもの時間が流れる。母が思い出したように言う。


「そういえば、また来週、愛美が帰ってくるって」


「……また?」


響は、箸を止めた。


「大学の方、少し落ち着いたみたいでね。短いけど、帰省するって」


愛美。姉の名前が出ると、空気が少し変わる。


「大会の話、聞きたいって言ってたよ」


「……別に、大したことじゃないけど」


そう言いながら、胸の奥がわずかにざわついた。


練習。

県大会。

次のステージ。


響は、湯気の立つ茶碗を見つめていた。


勝ったはずなのに。家に帰って、ようやく落ち着いたはずなのに。


なぜか、心の奥では、次の音がもう鳴り始めている気がしていた。



自室の扉を閉めると、家の音が少し遠くなった。机の上には、ユーフォのマウスピースと、譜面の束。いつもの光景だ。


ベッドに腰を下ろした瞬間、スマホが震えた。


通知音。


〈東縁吹部グループ〉


久瀬(くぜ)が、写真を送っている。開くと、画面いっぱいに紙が映った。大会でもらった、審査員講評用紙だ。


「来た……」


思わず、小さく呟く。続けて、もう一枚。全体の得点表。


各校の点数が、縦に並んでいる。


合計点。


そして、代表校のライン。東縁高校の点数は――その線を、確かに越えていた。


「……金か」


結果はもう知っている。けれど、数字で見ると、また違う重みがあった。


一つひとつ、講評を拡大して読む。


《全体のアンサンブルが非常に整っています》


《音程感が安定しており、基礎力の高さが感じられました》


《各パートの役割理解が明確です》


どれも、悪くない。むしろ、評価は高い。指先で、次の行へスクロールする。


《一方で、音楽的な起伏や、表現の幅に課題が残ります》


《もう一段階、踏み込んだ表現が欲しいです》


《より個性の明確化が鍵になるでしょう》


「……やっぱり」


小さく息を吐く。瞬崎が言っていたことと、同じだ。

揃っている。


安定している。でも、それだけでは足りない。


点数を、もう一度見る。代表校の中で、東縁は――ぎりぎりだ。


代表校7校中、下から5番目。大きく差をつけているわけではない。ほんの数点の世界。


「県じゃ……」


思わず、言葉が漏れる。写真の下に、メッセージが並んでいた。


久瀬(くぜ)

「思ったよりギリギリじゃない?」


狩川(きりかわ)

「でもとりあえず通ったからね」


香久山(かぐやま)

「県はもっとヤバそうだな」


短い言葉のやり取り。冗談っぽく見せているが、全員が同じ現実を見ている。


響は、スマホを伏せた。


部屋が、静かになる。


勝った。

次に進んだ。


それなのに、胸の奥が、少しだけ重い。


数字は正直だ。


拍手も、歓声も、すべてが終わったあとに残るのは――これだ。


「……前に出ろ、か」


瞬崎の言葉が、脳裏によみがえる。


揃えること。

支えること。


それは、自分が一番得意な役割だった。


けれど――


それだけで、県大会(つぎ)を越えられるのか。


スマホの画面は、もう暗い。


それでも、頭の中では、まだ音が鳴っていた。


次は、どんな音を出せばいい。


それを、考え始めてしまった自分に、響は気づいていた。



週明けの朝。


校門をくぐった瞬間、視界に赤と白が飛び込んできた。

校舎の壁に、いくつもの横断幕が掲げられている。


『祝・男子陸上、新体操インターハイ出場』


「……すご」


思わず、そんな声が漏れた。


インターハイ。


その言葉の重さは、さすがに分かる。ふと、別の考えが浮かぶ。


吹奏楽部も――もし、東海大会に出場が決まれば。

きっと、同じように横断幕が出るんだろう。


……東海大会。


その言葉が、やけに自然に頭に浮かんだ。


(あれ?)


立ち止まりそうになるのを、なんとかこらえる。


いつ東海大会の話なんて聞いた?

誰かに説明された覚えもない。

自分で調べた記憶もない。


それなのに――


「県の次は、東海」


そんな知識が、最初からそこにあったみたいに。響は、無意識に校舎を見上げていた。



放課後の教室は、静まり返っていた。


窓から差し込む西日の中、机が整然と並んでいる。教室に残っているのは、二人だけだった。


響と、担任の瀬戸川(せとがわ)


「じゃあ月本、学校生活について聞くぞ」


瀬戸川は、ファイルを手にしながら言った。


「勉強の方はどうだ? 困ってることはあるか」


「……特には」


「数学と歴史は、問題ないな」


紙をめくる音。


「国語は……もう少しだ」


「はい」


それだけで、響は視線を落とす。


「授業態度は真面目だし、提出物も遅れない」


瀬戸川は淡々と続ける。


「生活面も、今のところ問題はない」


一度、ペンが止まった。


「部活の方は……言うまでもないな」


「……はい」


「地区大会突破だ。おめでとう」


事実確認のような口調だった。


「副顧問として見ていても、よくやってる」


そこで、瀬戸川は一瞬だけ言葉を探す。


「ただ」


響は、無意識に背筋を伸ばした。


「自分の立ち位置を、まだ完全には掴みきれてない」


「……」


「悪い意味じゃない。むしろ、伸びる余地があるってことだ」


瀬戸川は、そう付け加えた。


「焦るな。勉強も、部活も」


「...はい」


それ以上、踏み込むことはなかった。けれど、響は分かっていた。


瀬戸川は、何かに気づいている。それを、今はまだ言葉にしないだけだ。



面談を終え、響はファイルを抱えて廊下に出た。いつもの、低音パート練習教室へ戻るだけだ。


放課後の校舎は、少しだけざわついている。


角を曲がった、その瞬間だった。


「あっ」


肩がぶつかり、足元がもつれる。次の瞬間、床に尻もちをついていた。


「すみません、大丈夫ですか?」


顔を上げると、見覚えのある顔があった。


天奏(てんそう)だった。


その隣に、もう一人。見知らぬ女性。


年上に見える。先生なのだろうか?


「あ、はい……大丈夫です」


響が立ち上がると、女性は軽く頭を下げた。


「よかった。すみません」


それだけ言って、二人は並んで歩き去っていく。


ふと、足元に視線を落とした。


楽譜だった。

見たことのない譜面。


「……落としたのかな」


さっきの二人を思い浮かべ、顔を上げる。けれど、廊下の向こうに、もう姿はなかった。


届けに行こうとして――


「おーい!」


奥の方から、声が飛んできた。


「あ、いたいた。もう練習始まるよ!」


来島だった。


「ごめん!今行く」


響は答え、無意識のまま楽譜を拾い上げる。そして、手に持っていたファイルに挟んだ。


深く考えることもなく。

そのまま、歩き出す。


その存在を――すぐに、意識の外へ追いやるように。

地区大会は終わりました。けれど、物語としては、ここからが本番です。

日常に戻ったようで、少しずつ、歯車は別の方向へ動き始めています。

次は県大会。

そして、その先へ。

感想、評価是非お願いします。


※前話で告知した通りここで番外編を一旦挟もうと思います。本編連載再開は年明けになると思います。ご理解ください。

これからも「心はB♭で響いている」をよろしくお願いします。

番外編お楽しみに!

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