表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/42

22話 目障りな才能

夏は、遊んでばかりじゃいられない。

楽しかった日々のすぐ隣には、勝負の季節が待っている。

仲間と笑った声も、キャンプの夜空に響いた音も、

全部ぜんぶ、ここへ繋がっていた。

さあ、いよいよ――

本気の夏が始まる。

──キャンプ最終日の朝。


吐く息はうっすら白く、焚き火の灰が風に揺れる。


「おはよー……さむっ」


陽翔(はると)が肩をすくめながらテントから出てくる。


すでに(ひびき)は起きていて、持ってきたクッカーで湯を沸かしていた。


湯気が静かに立ち上り、空気に混ざっていく。


「響、早いな」


「目が覚めちゃって」


言葉は短いけれど、その声はどこか柔らかい。


「昨日あんだけ騒いでたのに、元気だな~」


香久山(かぐやま)が苦笑すると、


「魚は逃さないのが、俺の信条なのさ」


来島(らいとう)の冗談めいた返しに、思わず小さな笑いが起きた。


最終日でも、空気は変わらずあたたかい。


片付けの指示は今伊がまとめて出している。焚き火跡、テント、ゴミの分別……


手を動かしながら、同時に心の整理も進んでいくようだった。


(──もうすぐ帰るんだ)


コンクールに向けての練習が待っている。それは不安で、でも少し楽しみで。


響は、片付け途中でふと空を見上げた。濃い青が、日の光に少しずつ薄まっていく。


キャンプ場で見た夜の星空は、跡形もなく飲み込まれた。


(音も、空と同じなのかな)


奏でた瞬間に消えていく。でも──消えたように見えても、


心のどこかで、ずっと響いてる。そんな気がして、響は小さく息を吐いた。


周りでは賑やかな声。鍋を洗う水の音、テントが畳まれる布の音。その全部が、音楽の一部のように感じられる。


「よし、帰るか!」


しばらくして掛け声がかかる。


鳴らせなかった音も、まだ伝えられていない想いも、それぞれの場所へ帰っていく。


たった数日。それでも、確かに未来へ繋がる時間だった。



電車の揺れが、一定のリズムで足元を叩く。窓の外では、郊外の景色が夏の色を濃くしていく。


奏多(かなた)は、イヤホンのコードを軽く指で押さえた。


スマホから流れているのは──今年の課題曲。


金管の力強さと、木管の細やかなラインがまるでせめぎ合うように絡み合っていく。


(……やっぱり難しい)


テンポの細かな揺れ、一瞬で空気を変えるハーモニー。


合格ラインに立つだけでも、きっと苦戦する。


車内アナウンスが流れる。


祖父母の家からの帰り、部活再開までの一人時間。


(絶対に負けられない)


視線を落とし、膝に置いたファイルに触れる。


その感触は、期待と焦りを同時に握りしめてくる。


月本響。


奏多の中でずっとどこか引っかかっている存在。才能でも、努力でもなく──音そのものが。


「追いつくんじゃない。追い越すんだ」


小さく呟いた声は、電車の騒音に紛れて消えた。


窓に映る自分の目が、ほんの少し鋭さを帯びていることに気づく。


(帰ったらすぐ練習だ)


イヤホンの音量をひとつ上げた。曲のクライマックスが迫る。


金管が咆哮するように鳴り響き、


夏が、動き出す。



「ただいま」


玄関の扉を閉めると、日常の空気がすっと身体を包んだ。


「おかえり、響」


キッチンから母の声。テーブルには夕食の支度。


「キャンプ、楽しかった?」


「うん。いい時間になった」


父は新聞を畳みながら、


「明日から本番モードだな」ただそれだけ。だけど、それで十分。


響はバックを置き、ソファに腰を下ろす。テレビをつけると、画面いっぱいに合奏風景。


『頑張れ!ジャパンズブラス♫』


「全国を目指して!長野県豊川(とよがわ)高校」


真剣な眼差しで楽器を構える部員たち。響は背筋を伸ばし、画面を静かに見据えた。


「夏は一度きり。音で勝ち取れ、夢の舞台を」


ナレーションが熱を添える。


しかし響の表情は揺れない。


(この学校も、コンクールへ向かっている)


そこには畏れも焦りもない。


ただ、同じ目標へ向かう者としての視線だけ。


顧問の声が響く。


「仲間を支える音を出せ。その一音が、未来を変える」


響はそっと視線を落とした。


(支える音。……自分なら出せる)


静かに、確信だけが胸に置かれていく。


(音で勝つ)


画面の中の強敵たちを、まっすぐに捉えながら。


揺るがない瞳で。



開校記念週間の休みが明け、音楽室には部員たちの声が戻ってきた。


譜面台の高さを調整する金属音、リードの湿る小さな音──


どれも久しぶりで、ちょっとだけ懐かしい。


「いよいよだね……」


若田(わかだ)の呟きに、空気がすっと張りつめる。


その静寂を破るように、扉が開いた。


瞬崎(しゅんざき)が、ゆっくりと前へ歩み出る。


眼鏡の奥の視線が、一人ひとりを確かめるように走った。


「この一週間、しっかり休めましたか?」


優しい言葉。だけど、それが嵐の前触れだと部員たちは知っている。


「今日から、コンクールに向けた練習を本格的に始めます」


部屋の空気は、瞬時に変わった。


瞬崎はホワイトボードにマーカーを走らせた。その音さえ、全員の鼓動に重なって聞こえる。


「まず、今年の──コンクール曲を発表します」


ざわつきかけた空気が、再び静まる。黒い文字が、順に並べられていく。


課題曲 I 勇者のマズルカ

自由曲 黎明(れいめい)〜到来の夜明け〜


音楽室がすっと静かになった。


「え、マズルカって……なんだっけ?」


小さな声が前方から漏れる。


「ダンスの種類? マーチじゃないのか……?」


みんな、少し首を傾げている。詳しい人なんてほとんどいない。


自由曲のタイトルを見ても──


「黎明……よみ……え? なんかカッコいいけど……」


「夜明け、って意味らしいよ」


「ふーん……全然イメージ湧かないな」


まだ曲の難しさも背景も、何も知らない。


瞬崎はみんなの顔を見渡し、穏やかに頷いた。


「詳しいことは、これから知っていけばいいです。大切なのは──この曲を“自分たちの音”にしていくこと」


「……はい!」


少しバラついた返事。だけど、確かに前を向いていた。


「そして……もう一つ」


譜面台を軽く叩く音が、やけに大きく響いた。


「今年は──オーディションを行います」


一瞬、誰かが息を呑む音。


「私、そして瀬戸川(せとがわ)先生が一人ずつ演奏を聞いて、選抜します」


クラスターのようにざわめきが広がる。


「まじかよ……」


「初心者組、やば……」


「ソロどうなるの……?」


今伊は表情を変えず、桜咲はそっと唇を噛んだ。

瞬崎の視線が全員を横切る。


「コンクールは“選ばれた者”がステージに立つ場所です。どうか、その覚悟で臨んでください」


その言葉は、教師としての優しさを捨てた宣戦布告だった。


瞬崎の口元が、ゆっくりと笑みに歪む。けれどその笑顔は、誰も安心させない。


「もちろん──三年生が一番上手だとは思っています」


柔らかいはずの声に、薄氷のような冷たさが潜む。


「まさか大した努力もせずに、コンクールに出たいなんて思ってる……

そんな愚か者はいませんよね?」


音楽室の空気が、ぞくりと震えた。冗談のように聞こえる。だけど、笑える者は誰一人いない。


「三年生だろうと、一年生だろうと──音で証明してください」


その笑顔は、挑発にも宣告にも見えた。視線がぶつかるたびに、「逃げるな」と突きつけてくるようだった。


重く沈む空気。


でもどこか、燃え上がる音がまだ小さく灯っていた。

響だけが、ゆっくりと息を吐きながら思う。


(なら──勝てばいい。それだけだ)


その瞳は揺れず、迷わず、一点を見据えていた。



旧い机が並ぶ教室の中央に、バスパートのメンバーが集まっていた。


CDプレイヤーに差し込まれた一枚のディスク。スイッチが押されると、静寂がすっと音に溶けていく。


「これが……今年の自由曲、黎明だっけ?」


若田が呟いた声に、誰も応じず耳を澄ませていた。


最初は低く、地面を這うような音。やがて遠くで夜がほどけていくように、息を潜めた金管が重なっていく。


奏多は腕を組み、音の変化を追いながら語り始めた。


「1989年、能世林(のぜはやし)作曲の作品。幕末、坂本龍馬(さかもとりょうま)の一生をテーマにしています」


歴史の幕が開くみたいに、木管が一筋の光を描く。


「この序盤は“混迷”。幕末の不安定な時代ってとこですね重い低音は……きっと、この国の行き先の見えなさを表してるんだと思います」


来島が小さく頷いた。


「そこから、“黎明”。龍馬が立ち上がって、新しい国を夢見る……そんな光が差してくる」


打楽器が鋭く割り込み、音が一気に走り出す。


「ここ、多分『海援隊』の場面だな。荒波を越えて未来を掴もうとする、あの推進力だ」


「すご……めっちゃカッコよくない?」


桜咲(おうさき)が無邪気に息を漏らす。香久山は腕組みをしながら、眉間に皺を寄せた。


「でもさ……難しいな」


「はい、普通にヤバいです」


奏多の即答に、少し笑いが漏れる。


しかし響だけは、表情ひとつ動かさず音を浴びていた。


低音が鼓動のように響き続ける。その中でふっと訪れる静けさ——龍馬の静かなる決意の場面なのか?


やがて曲は後半へ。


高らかに夜明けが訪れるように、金管が舞い上がる。


「最後は“到来の夜明け”。


新時代の光……龍馬の願いが、みんなに受け継がれていく感じ」


曲が結びに差し掛かると、教室の空気がふっと緩む。


再生ボタンが止まり、静寂が戻った。


「——瞬崎先生容赦ないな」


来島のひと言が、現実を改めて突きつける。


誰も軽口を叩かなかった。


ただ、小さな興奮と重たい緊張が、確かに胸に残った。


響は、そっと呼吸を整える。


(この曲——まだ、鳴らせていない音がある)


遠く向こう側にあるはずの夜明けを、その瞳はすでに見据えていた。


香久山が紙を一枚取り出す。


「あと、これがパートごとのオーディション課題だ」


その紙にはバスパートオーディションの課題や小節番号が細かく記されている。


ユーフォニアム

・課題曲 I「勇者のマズルカ」:18〜42小節

・自由曲「黎明〜到来の夜明け〜」:中間部ソロ前〜ソロ終わり


チューバ

・課題曲 I:基礎支えパート 25〜60小節

・自由曲「黎明」:冒頭〜32小節


コントラバス

・課題曲 I:低音リズム部 12〜36小節

・自由曲「黎明」:後半転調部〜フィナーレ


「……両方かよ」


来島が、思わず小さくぼやく。


「簡単になんか勝ち上がらせてくれないってことだね」


若田が肩をすくめながらも、どこか引き締まった目。


香久山は、全員をゆっくり見渡した。


「今回の選抜は、本気だ。三年だから、経験があるから——なんて言い訳は通らない。実力だけがすべてだ」


茅野(かやの)は唇を噛み、彩花は控えめに拳を握る。


一年たちも、緊張と闘志の入り交じった表情で譜面を見つめていた。


すると響は迷いなくユーフォケースに手を伸ばした。


「……今、吹くの?」


今伊が驚いたように目を丸くする。


「確認は大事なので」


響は淡々と答え、素早くマウスピースをセットする。


息を吸う。


それだけで、空気が変わった。


次の瞬間——


課題曲「勇者のマズルカ」の指定区間が、まるで音源のように正確に、しかも強弱のニュアンスまで添えられて鳴り響く。


テンポのわずかな揺れも、アクセントの芯の角度も、

全部“わかっている”音。


桜咲は固まる。


若田は、腕を組んだまま眉を上げる。


(譜面、今見ただけなのに……?)


「……反則だろ、マジで」


来島が呟くと、香久山が静かに言った。


「反則じゃない。実力だ」


吹き終えた響は、ほんの少し首を傾げる。


「ここ、アクセント強めのほうがいいですか?」


当たり前のように周囲へ問いかける。その自然体に、背筋が寒くなるほどの差を感じた。



バスパート練習室から少し離れた廊下。


東堂(とうどう)は、壁にもたれながら静かに耳を澄ませていた。


(……また完璧かよ)


響の演奏が終わると同時に、胸の奥に渦巻くざらついた感情が、ぐっと盛り上がる。


——焦り。

——悔しさ。

——嫉妬


そして、どうしようもない苛立ち。譜面台の脚が、かすかに音を立てて揺れる。東堂の靴が、ほんの少し触れただけ。


誰にも気づかれないような小さな仕草。でも、その目は笑っていなかった。


「……やめてくれよ」


掠れた声が漏れる。


「響。お前は——いるだけで不快だ」


唇が苦く歪む。


「それ以上、上に行こうとするな。……本当に、目障りなんだよ」


視線の奥底には、嫉妬と劣等感が絡み合った黒い炎のようなものが揺れていた。


次の瞬間、東堂は顔を伏せたまま静かに背を向ける。


響がまだ知らない“もう一つの夏”が、ゆっくりと幕を開けようとしていた。

キャンプで深まった絆。でも、その絆だけじゃ勝てない。オーディションが始まる。実力で、未来を掴まなくちゃいけない。少しずつ見えてくる、メンバーそれぞれの想いと温度差。

そして、響が立つ場所は……?

次回、コンクールへの道が加速していきます。

どうぞお楽しみに!

感想、評価もぜひ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ