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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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20/44

20話 約束の音

仲間と過ごす時間は、何気ないようでいて――

ふとした瞬間に、心を大きく動かす。

焚き火の暖かさも、朝の冷たい空気も、

音を奏でる理由をそっと思い出させてくれる。

それぞれの願いが、同じ空へと昇っていく。

今日という一日が、また一歩、未来に近づく日になりますように。

塾の帰り道、夕暮れの空が淡く赤く染まる中、若田(わかだ)久瀬(くぜ)狩川(きりかわ)の三人はとある神社の鳥居をくぐった。静かな境内に、かすかに風が葉を揺らす音が響く。


三人は手を合わせ、心の中でそれぞれの願いごとを呟いた。


久瀬がふと口を開く。


「全国行けますように……」


その言葉に、若田は小さく鼻で笑った。


「全国行けるかどうか、神頼みでどうにかなると思ってるの?意味ないと思うけどなぁ」


狩川も苦笑を漏らす。


「……そうだけどさ」


若田は少し真剣な表情に変わる。


「でもさ、響君の演奏見てきたでしょ?口では何も言わないけど、絶対誰よりも努力してるんだ。だから、神頼みだなんて馬鹿げてるんだよ」


久瀬と狩川は、少しだけうなずき合った。言葉にしなくても、若田の言うことが真実だと感じている。


狩川が肩をすくめながら、少し笑った。


「でもさ、響君って本当にすごいよね。演奏になるともう……なんていうか、次元が違う」


久瀬が目を丸くして頷く。


「そうそう!ヤマト再合奏前の時の演奏、聴いてた?音が……なんて言えばいいか分からないけど、胸に直接響いてくる感じで……」


狩川も少し間を置いて、口を開く。


「私も聴いてたけど、あんなの見せられたら、もう応援せずにはいられないよね。努力してるっていうのも、なんとなくわかるし」


若田が少し考えるように空を見上げる。


「うん。努力っていうか、あの子は才能と努力も全部自分のものにしてるって感じ。口じゃ絶対言わないけどね」


久瀬が笑いながら小さくため息をつく。


「響君って、不思議だよね……なんか近寄りがたいのに、でも人を惹きつける力があるっていうか」


狩川も頷き、空を見上げる。


「そうだね。私たちも頑張らなきゃって気にさせられるよね。あの子見ると」


三人はしばらく沈黙し、境内の風に揺れる木々の音だけが耳に入った。


若田が再び手を合わせ、心の中で小さく呟く。


(……響君が全国で最高の演奏ができますように)


その言葉に、久瀬と狩川もそっと手を合わせる。願いは言葉にならなくても、胸の奥で確かに響いていた。



朝の光がまだ淡く差し込む中、テントの外からかすかに焚き火の匂いとパチパチという音が聞こえた。


(ひびき)は目を覚まし、眠たげなままゆっくりとテントのジッパーを開ける。外に出ると、香久山(かぐやま)が小さな焚き火を起こしていた。火の揺らめきが、朝の薄い霧をやさしく照らしている。


「おはよう、響君」


香久山は静かに手を振る。声にはまだ眠気が混じっていた。


「おはようございます。」


響は小さく返事をしながら火のそばに近づく。焚き火の熱が冷えた手先をほんのり温める。


香久山は薪を火にくべながら、少し笑みを浮かべた。


「……落ち着きますね、この音と暖かさ。」


響は火を見つめながら、自然に呟く。焚き火の揺れる炎が、不思議と心を静めてくれるようだった。


香久山は少し考え込むように火を見つめ、ぽつりと言った。


「昨日の夜はよく眠れたか?」


響は少し考えてから答える。


「……はい。みんなと一緒に過ごすと、なんだか落ち着いて眠れます」


小さな声だったが、真剣な響の表情が朝の光に照らされていた。


「そっか……まあ、安心できる環境なら眠れるよ

な」


香久山は焚き火の薪を追加しながら、少し遠くを見つめるように視線を泳がせた。


「……先輩は、どうして朝早く起きて焚き火をしているんですか?」


響が尋ねると、香久山はふっと肩をすくめた。


「ん……理由か。昔から習慣っていうか、火の音を聞くと落ち着くんだ。物事を考える時間にもなるし」


その声は淡々としていたが、どこか優しい響きを含んでいる。


「落ち着く……確かに、炎の揺れって……心が整いますね。」


響は火の光に顔を照らされながら、小さく頷く。しばらく二人は言葉少なに火を見つめ、ただ朝の静けさを共有した。焚き火の音だけが、森に静かに響き渡っている。


朝の澄んだ空気と焚き火の温もりが、今日一日の始まりを告げていた。


「ちょっとトイレ行ってくる」


香久山は立ち上がりテントを後にする。そして焚き火の前には響だけが残された。


火のパチパチという音と、朝の冷たい空気に混ざる木々のざわめきだけが周囲にある。


響はゆっくりと焚き火の炎を見つめる。火の揺れに合わせて、心も静かに波打っていくようだった。


その時、背後からかすかな物音。振り返ると、茅野がそっと顔を出していた。


「……おはよう」


茅野の声は柔らかく、朝の空気に溶けるように響いた。


「おはようございます、茅野先輩。」


響は立ち上がり、軽く頭を下げる。


「結局茅野先輩も来てたんですね」


「うん。桜咲と天奏と」


茅野は焚き火の隣に腰を下ろし、炎をじっと見つめた。


響に視線を向けることはせず、淡々と口を開く。


「響君、上手いよね。ユーフォ」


響は少し戸惑いながら、頷く。


「ありがとうございます」


「ナーガフェスのときも。……再合奏のときも」


炎がぱちりと弾け、茅野の横顔が淡く照らされる。


「いつも……一番、音が前にいる」


言い切りではなく、事実を淡々と述べる調子。だからこそ、重みがあった。


響は目線を落とす。どう返せばいいか分からない。


茅野は続けた。


「なのに、出しゃばらない。……大変だと思う」


「大変……でしょうか」


響は思わず聞き返した。


茅野はわずかに顎を引き、焚き火を見つめたまま答える。


「自覚、ないだけ」


その短い言葉に、響の胸が小さく震える。


茅野は少し間を置く。


あの日の演奏を思い出しているのか、まぶたがほんの少しだけ揺れた。


「再合奏のとき、みんな……救われた。あの音で」


淡々と言っているのに、その一言はまっすぐ心に刺さった。


響は息を吸うが、声にならない。そして茅野は自然に話題を未来へと向ける。


「夏。……きっと、もっと良くなる」


言い切るのではなく、ただそこにある真実みたいに置く。


響は小さく問い返した。


「どうして、そう言えるんですか」


短い沈黙。


茅野はようやく響へ視線を向ける。その瞳は静かで、揺らぎがなかった。


「君だから」


一拍置いて。


「理由は要らない」


それだけ告げると、すっと立ち上がり、テントへ向かって歩き出す。


「……また、あとで」


去っていく背中は軽やかではないのに、不思議と強かった。


響は焚き火を見つめる。


胸の奥に、静かで揺るぎない熱が生まれていた。まるで、炎の芯だけが残した温度のように。



茅野が去っていき、響はまだ炎の揺れを見つめていた。胸の奥の温度が、静かに深く沈んでいく。


パキッと薪が弾ける音。


その音に紛れるように、背後から足音が近づいてきた。


「……あれ、茅野いた?」


香久山が戻ってきて、響の横に腰を下ろす。いつもの落ち着いた声。


「はい。少し話をしていました」


「そっか」


香久山は焚き火に手を伸ばし、火の温度を確かめるように指先を近づけた。


「……なんか、良い顔してるな」


「え?」


響はきょとんとした表情を向ける。


香久山は特に説明もせず、淡々と続けた。


「安心した、って顔。……何があったかは聞かないけど」


短い言葉なのに、響の心の奥まで届くようだった。


「……はい」


それだけ返す。


それだけで十分だった。少しの間、二人は焚き火を眺めていた。


朝の空気が少しずつ温み始めた頃。テントの入り口がばさりと勢いよく開いた。


「っさむ!!……あ、火あんじゃん!助かった〜!」


来島(らいとう)が寝癖全開の髪を揺らしながら飛び出してきた。


手をこすり合わせながら焚き火の前にどすんと座り込む。


「響、起きんの早っ。てか、ちゃんと寝た?」


「寝たよ。おはよう」


「おはよー!」


来島は焚き火に手を突き出して、全力で暖を取る。そのすぐ後で、もう一つのテントがゆっくり開いた。


「ふぁぁ……さみぃ……」


陽翔(はると)が半分寝たまま、のろのろと出てくる。


髪は相変わらず綺麗に整っているが、目はほとんど開いていない。


「……響、来島……おはよ……」


「おはよう陽翔。あと5分寝てても良かったのに」


「……火……あったかい……」


陽翔は焚き火の前にぺたんと座り、暖かさに命を救われた顔をした。


最後に、静かな足音。


今伊が無言で近づいてきた。


「おはよう、今伊(いまい)


香久山が声をかけると、今伊は微かに頷いた。


「……ん。おはよう」


言葉少ないその声には、しっかりとした温度がある。

来島は焚き火をつつきながら言う。


「いやあ、寝袋から出るのが最大の戦いだったわ」


陽翔は毛布を肩にかけたまま、ぼそり。


「来島くん、寝袋蹴っ飛ばしながら寝てたよ……騒音で起きた……」


「は?!それはそっちの睡眠が浅いんだろ!」


「うるさい……」


今伊のぼそっとしたツッコミが刺さり、来島が一瞬黙る。


そして、みんなふっと笑った。焚き火の前で、4人が揃っている。それだけで、響の胸が少しあたたかくなる。


炎の揺れが、心の中まで強くしてくれるようだった。



夜の空気がひんやりと肌を撫でる。


茅野は戻ると、桜咲(おうさき)が焚き火のそばで小さく笑いながらマシュマロを焼いていた。


「おかえり、散歩?」


「うん。少し外の空気を」


「ふふ、やっぱり静かだね」


茅野が火に目を落としていると、テントの布がゆっくり持ち上がった。


眠そうな顔で天奏(てんそう)が顔を出す。


「……茅野、桜咲……」


声は小さく、まるで夜の風に溶けそうだった。まだ眠気が残る目で、火の揺らめきをぼんやりと見つめる。


「おはよう、天奏」


茅野は端的に声をかける。余計な言葉はない。天奏は小さく頷くと、桜咲の隣にそっと座った。


その手元にはマシュマロを持ったまま、まだ半分目を閉じている。


「……こういうの、落ち着くね」


静かに呟いた声に、桜咲は笑みを返す。


「でしょ〜? こういうときは、音楽も勉強も忘れて、ただ火と話してればいいんだよ」


茅野は二人を見守るように火を見つめ、自分は言葉少なめで、ただ微かに口角を上げた。


ゆったりとした空気。競い合いも、部活の緊張も、全部少し遠くに置ける時間だった。



朝の焚き火も落ち着き、響たちのテントの中は少しずつ動き始めていた。


来島が辺りを見回し、ふとつぶやく。


「……あれ、そういえば柊木(ひいらぎ)、いないな」


陽翔が寝ぼけまなこでちらりと見て、肩をすくめる。


「また昆虫観察でもしてるんだろ。ほっとけばいいって」


「ほっとくんかい」


香久山が少し呆れたように突っ込む。


「みんなで朝飯食べてるのに、また単独行動なんて」


来島は笑いながら手を広げる。


「まあ、ほっといてもいいけどな。昨日もそんな感じだったし」


陽翔はふぅと息をつき、椅子代わりにしていた薪に体を預ける。


「でも、あいつ見つけると、必ず何かしら面白いもの持ってくるから……まあ、今日も期待しておこうか」


香久山は火の上でアルミホイルを転がしながら、軽く首を振る。


「やれやれ……朝から自然満喫しすぎだろ」


響は黙って二人のやり取りを聞きながら、焚き火の炎をじっと見つめる。


柊木は今日も自由気ままだ。


来島が小さく笑う。


「ま、あいつがいないと少し静かすぎてつまらないってのもあるけどな」


陽翔はちらっと外を見て、ぼそりとつぶやく。


「……ま、昆虫観察でしょ。どうせ」


「そうそう。それにしても、やっぱりあいつ……独特だよな」


香久山の視線は微笑に近く、でも少し苦笑まじりだった。


すると突然、森の奥深くから、澄んだ音色が辺りに響く。


来島が眉をひそめ、耳を澄ませる。


「……今の、誰だ?」


今伊も首をかしげて小さく呟く。


「……あの距離でホルン? いや、何か違う……」


陽翔はぼそりと、でも確信を帯びて言う。


「……あの音、楽器だよな……?」


響は咄嗟に答えた。


「……柊木君だ、ホルン……」


そして音は一気に力を増す。森全体が共鳴するかのように、枝葉がざわめき、空気が震える。


『スカボロー・フェアーによる小さな幻想曲』


――旋律は穏やかな美しさをたたえながらも決して揺らがず、緊張感が極限まで張り詰めていた。


微細なニュアンス、空気の圧、ホルンの息づかい、すべてが計算されつつ自然に流れ、聴く者の理性さえ揺さぶる。


森の中の鳥も葉も、音の流れに合わせて呼吸するかのように反応する。


来島はただ息を飲む。


「……すげぇ……」


陽翔も小さく頷く。


「……ああ……」


火を前にしている香久山でさえ、無言で耳を澄ませる。その音は言葉を超え、理屈を超え、圧倒する存在そのものだった。


響の心の中でさえ、他の思考はすべてかき消される。


音の波が胸の奥に直接届き、呼吸さえもそのリズムに合わせるかのように揺らす。


――これが柊木の全力。


迷いも、ためらいも、計算もない。


ただ彼自身の意思をホルンに込めきった結果として、世界に届く音。


音が空間を満たし、頂点に達した瞬間。森の静寂が逆に濃くなり、残響が全身の骨や血管を震わせる。


来島も陽翔も、反応はそれだけ。


「すげぇ」


「ああ……」


響は息をつき、ただ耳を澄ませるのみ。


森の奥、孤独に吹かれるホルンは、決意の塊であり

才能の塊であったのだろう。



――『君の音に迷いなんてないんだろうな』



響の耳に、確かに聞こえた。響は咄嗟に耳を塞ぐ。


(今の声は?)


手を離しても来島と陽翔の会話、そして柊木のホルンだけだった。



最後の音をゆっくりと吐き出すと、森の中にしばらく余韻だけが残った。静寂が音を包み込み、枝葉のざわめきがようやく戻ってくる。


少し遠くを見つめるように立っていた。そして、低く、しかし確かな声で言った。


「君が思い出してくれるまで、僕は吹き続ける。

何があっても、絶対に……」

音は、言葉より先に心へ届く。

誰かのために吹く音は、ときに記憶さえ動かす力を持つ。

柊木のホルンに宿った決意は、

響の心にどんな波紋を残したのか。

まだ静かに。けれど確かに。

二人の距離は動き始めています。

次回、また彼らの音を聴きに来てください。

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