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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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17/42

17話 次の一歩

ステージドリルやマーチング。それらは歩く音楽と呼ばれる。楽器の音だけでなく動きや形で音楽を、感情を表現するものだ。とても簡単なことではない。今までの東縁では到底できるものではなかっただろう。

そして東縁の真の実力を知るものはここには誰もいないんだ。

静寂が支配するステージ。


中央にはスーザフォンやバリサク、その他低音楽器が半円を描いて整然と待機していた。カラーガードもその輪に加わり、布を握った手にわずかに力を込める。


息を整え、心を研ぎ澄ませる――会場全体のざわめきも、この瞬間だけは届かない。


「プログラム5番、長野県東縁(とうえん)高等学校吹奏楽部。ステージドリル、バックドラフト!」


アナウンスが静寂を切り裂く。


その声が終わるや否やスーザフォンの重々しい音色が静寂を切り裂いた。そして上手、下手それぞれから順に楽器隊がステージに入場し始めた。足音と呼吸が次第に重なっていく。


ついに演奏が始まった。


歩幅、タイミング、角度――すべてが、これまで積み上げてきた練習の成果である。演奏の第一音が鳴った瞬間、空気が変わる。


豊かな低音が会場の床を震わせ、トロンボーン、ユーフォが重なる。


カラーガードの布が舞い、光を受けて煌めく。その動きは音に呼応するかのように正確で、息をのむほど美しかった。


ステージ中央に立つ(ひびき)は、一歩踏み出すごとに全体の流れを確認する。


左右に広がる仲間たちの動き、互いの息遣い、重なり合う音――


すべてが一つの生命のように脈打っていた。


会場の静寂を裂くように、スネアの鋭い連打が鳴り始める。


パーカッション隊の手首が震え、スティックが跳ねるたびに床がわずかに振動する。その振動が低音管やホルンに伝わり、ステージ全体がまるでひとつの巨大な生き物のように息を吹き返す。


スーザフォンが重低音を叩きつけ、床を揺らす。来島(らいとう)の背筋はまっすぐに伸び、肩にかけた楽器と体の動きが完全に同期する。低音の一打ごとに空気が振動し、会場の後方にまでその衝撃が伝わる。


トランペットの明るく突き抜ける旋律が、それを上書きするように鋭く跳ね、ホルンがその旋律を厚く包む。


フルートの高音が鋭角的に飛び、音の洪水に火花を散らすように舞う。


永井はカラーガードの布を空中に振り上げ、弧を描くたびに光が乱反射する。布は音楽と同期し、旋律の起伏に合わせて複雑な軌道を描く。


一瞬たりともブレることなく、布は空気を切り裂き、ステージに視覚的な躍動感を加える。


一歩踏み出すたびに床を打つ振動が、低音の響きと交錯して、観客席にまで力強く届く。



曲中盤。パーカッション隊は無駄のない連打でリズムを刻み、全員が息を揃える。


ホルン、トランペット、フルートが旋律を交錯させ、音の壁を築き上げる。


ユーフォとスーザフォンは重厚な低音で支え、ステージ全体を震わせる。


カラーガードの布は旋回し、上昇し、旋律の波に合わせて竜巻のように舞う。光と影が交錯し、視覚的にも圧倒的な力を生む。


突如、曲は一瞬の静寂を迎える。しかしその静寂は緊張の合図であり、次の爆発を待つ空気が会場を包む。

スネアが再び連打を始めると、低音が一斉に爆発し、旋律が跳ね上がる。


ホルンとトランペットの旋律が火花のように散り、フルートの高音が光の粒のように飛び交う。


カラーガードの布は竜巻の中心のように回転し、音楽の暴力的なエネルギーを可視化する。



後半。ステージ全体が音と動きの渦に飲み込まれる。

トランペットが跳ね上がる旋律を連続で放ち、ユーフォとスーザフォンがそれを受け止める。


パーカッションは途切れることなく連打を続け、スネア、バスドラム、シンバルが圧力の波を次々に作る。

一人ひとりの動きが完全に同期し、ステージはまるでひとつの巨大なオーケストラの心臓のように脈打つ。


カラーガードの布が空中で渦巻き、床を滑るように走る。布と光が交錯し、音楽のエネルギーが視覚化される。


永井(ながい)の布の動きは正確無比で、旋律の強弱に合わせて空気を切り裂き、音の洪水にさらに躍動感を与える。



クライマックス。すべてのパートが力を最大限に発揮する。スネアが連打を続け、バスドラムが重く響く。

ユーフォとスーザフォンは低音の壁を構築し、トランペットとフルートが旋律の火花を散らす。ホルンが厚みを加え、旋律はまるで雷鳴のように会場を揺るがす。


足音のひとつひとつが雷鳴のように響き、カラーガードの布は炎のように舞い上がる。


最後の一打が炸裂すると、全員の体から力が抜け、ステージは静寂に包まれる。しかしその静寂は音の余韻で震え、観客の心まで届く。観客席からは、自然と大きな拍手と歓声が湧き上がった。


部員たちは息を整えながらも、その迫力と達成感に全身が震えていた。ステージを降りる直前、永井の布が最後の弧を描く。低音管の余韻が消えるまで、会場は静かに揺れ、そして一斉に喝采が響く。


スネアが最後の振動を地面に残し、トランペットとフルートの旋律が余韻として伸びる。


全員が肩で呼吸をしながら、互いに目を合わせる。音の渦が作り上げた時間と空間――それがステージ全体に刻まれていく。


ステージ全体に刻まれた音の余韻を、部員全員で噛みしめた。



愛美(みなみ)は大学の寮へ帰る途中、スマホでナーガフェスのライブ映像を眺めていた。

演奏が終わる瞬間、画面の中の響の姿に目を止める。


「へぇ……かっこいいじゃん、響」



ステージの余韻がまだ残る会場。部員たちは汗を拭きながら、楽器を一つずつ片付けていく。スーザフォンやユーフォ、バリサクを運ぶ手にはまだ力強さが残り、カラーガードの布も丁寧にたたまれていく。


「いやぁ、やっぱり緊張したな……」


小さな声でつぶやいた来島に、陽翔(はると)が軽く笑って返す。


「でも、最高だった。歩幅も息も、ピッタリだったし」


奏多(かなた)も頷く。周囲からも自然と笑みが溢れた。


「本当だよね」


「音の重なりが気持ちよかった」


その間も董白(とうはく)は、全員を前に集めていた。手に持った譜面を軽く揺らしながら、彼はゆっくりと声を上げる。


「皆、よくやったな。今日の演奏、文句なしに素晴らしかった」


その言葉に、部員たちは思わず肩の力を抜く。普段厳しい董白がここまで満面の笑みで褒めることは滅多にない。


「歩幅、タイミング、そして音の流れ――全てが、俺の想像以上だった。君たち一人ひとりの成長が、今日の演奏を作り上げたんだ」


響も自然と背筋が伸び、周囲の仲間たちと視線を交わす。目にはまだ興奮が残っていた。


瞬崎(しゅんざき)もステージ脇から微笑みながら部員たちに声をかける。


「皆さん、お疲れ様でした。とても素晴らしい演奏でしたよ」


「やった〜!」


永井が嬉しそうに小声で言うと、周囲からも笑いが漏れる。


「皆、今日の演奏で何かを掴めたと思う」


董白の言葉は静かだが力強く、会場全体の空気がその重みを感じていた。


「緊張もあっただろう。けれど、その緊張が音に変わっていた。君たちは今日、自分たちの力でステージを支配したんだ」


部員たちは互いに顔を見合わせ、小さな拍手や頷きで応えた。嬉しさと安堵の入り混じった空気が、自然と周囲に広がる。


「今日の演奏で、皆それぞれの存在がステージに必要不可欠だということが証明できましたね」


瞬崎の言葉に、部員たちは一斉に笑顔を浮かべる。普段厳しい指導者たちが揃って笑顔で褒める光景は、今この瞬間しかない特別なものだった。


「全員が主役だ。それを実感できたのが今日の演奏の最大の収穫だと思う」


董白の言葉が落ち着いたトーンで響き渡り、部員たちは深く息をつく。汗をかいた体も、心も少しずつ落ち着き始めた。


「さぁ、いよいよ次は.......コンクール、ですね」


その言葉に再び部員達の背筋が伸びる。狂気のような笑顔を浮かべ続けた。


「今年の東縁は一味も二味も違うという事を......全国に轟かせるのです!」


「は、はい!」


部員達は口を揃えて返事した。


「はぁ、全く相変わらずだな、瞬崎君は」


「何か言いましたか?董白先生?」


「ひえ〜、瞬崎先生……相変わらずおっかないね〜」


その時だった。


――遠くから、トランペットの音が聞こえた。


「……あれ?」


永井が顔を上げる。


音の方向に目を向けると、照明に包まれたステージで、次の出演校が演奏を始めていた。


プログラムの最後を飾る、長野市立西野(にしの)中学校。


ステージ上の中学生たちは、まだ少し背の低い制服姿で、それでも堂々と立っていた。


曲は――サザンオールスターズ『東京VICTORY』。


トランペットの軽快なリズムが会場に広がり、さっきまで張り詰めていた空気を明るく弾けさせた。


ホルン、サックス、クラリネットが次々に旋律を重ねる。それは、音を楽しむことだけに真っすぐな、まるで光そのもののような音だった。


「……うまっ」


陽翔が思わず漏らす。


「中学生とは思えない音のまとまりだね」


奏多が驚いたように呟く。会場のあちこちで、観客のざわめきが広がっていった。


「え、ここどこ?」


「西野中? うそ、こんな上手かったっけ?」


「そういや去年、全国行ったって言ってたな……」


ざわめきが波紋のように広がり、次第に拍手さえも演奏の間に混ざり始める。誰もがその若さと勢いに圧倒されていた。


響はただトランペットを吹く少女を見つめていた。なぜかはわからない。音の純粋さに、胸がざわつく。なぜだか、既視感のようなものが残った


「あの人.........」


あの音には、“何かを信じて吹く力”があった。


西野中の最後の和音がホールに響き渡り、静寂のあと、歓声が弾けた。


その光景を見ながら、響はそっと拳を握る。

心の奥で、熱い何かが再び燃え始めていた。


(まだ、僕たちの音は――ここからだ)


東縁のフェスの幕が閉じ、


次の舞台――吹奏楽コンクールへの道が、静かに開かれようとしていた。



朝の光が校舎の窓を透かして、吹奏楽棟の廊下に淡く反射していた。


響は柊木(ひいらぎ)と並んで歩いていた。


「へぇ、バス通になったんだ、柊木君」


「うん。前の自転車、坂で壊れてさ。まぁこれで響と一緒に帰れるし」


軽く笑う柊木の声に、響もつられて小さく笑った。ナーガフェスの熱気から一週間。少しずつ、いつもの日々が戻ってきていた。


音楽室のドアを開ける。朝の空気が静かに流れ込む――その中に、見慣れない背中があった。


窓際で譜面を眺めている少女。東縁高校の制服に、靴のラインの色からして二年生。肩まで伸びた薄い翡翠色の髪を高めに結び、光に透けてきらめく。


その姿に、響の足が止まった。


少女の手には、細身の黒い楽器ケース。開かれた中には、木管の中でもひときわ繊細なフォルム――オーボエ。


そしてその隣には、もうひとつ少し大きめのケースが置かれていた。


響は息を呑んだ。


「……イングリッシュホルン?」


見たことがないはずなのに、なぜかすぐに分かった。


「……おはようございます」


響は挨拶する。それに反応したのか、その少女は顔を向ける。右の瞳は澄んだ青、左は淡い紫――不思議な静けさを宿したオッドアイ。その少女は一言。


「.....おはよう」


短く、そして暗い声。それだけ言うと、少女はまた譜面へ視線を戻した。


「ねぇ、柊木君。あの人誰?」


響が質問する前に柊木は口を開いた。


天奏(てんそう)先輩。何してるんですか?」


「え?てんそう?へ?」


響の頭の中は真っ白だった。二人は面識があるのだろうか?


少女は視線はそのまま答えた。


「.....練習」


ただその一言だけ。


「えっと、その、二人は面識が?」


気づいた時には柊木は楽器庫で練習の準備をしていた。天奏というその少女も響の横を通り過ぎていき音楽室を後にした。


「誰なんだ、一体........天奏?」



天奏というあの少女の姿は、響の頭の中にずっと残ったままだった。


放課後、教室や廊下を歩くたび、ふとした音や光に彼

女のことを思い出す。


「……あの人、誰なんだろう」


問いは頭の中で繰り返されるだけで、答えはまだ見つからなかった。


夕方、部室に集合した吹奏楽部。それぞれ楽器を準備部員たちの表情には、先週の達成感がまだ残っていた。


そのとき、瞬崎先生が黒板の前に立ち、部員たちに向けて声を上げる。


「皆さん、改めて先週のナーガフェスお疲れ様でした。さて、ここからはコンクールに向けての練習メニューを再編成します。先週掴んだ感覚を、次の大会でさらに磨き上げるのです」


部員たちは真剣な面持ちで瞬崎の言葉を聞き、書き留める者もいた。テンポ、呼吸、音の重なり――細かい指示が飛び、部室には集中した空気が流れた。


「パート練習も個人練習も、全て一から計画を立て直す。全員、各自の課題を明確にしましょう」


瞬崎は厳しさと期待を滲ませた目で、部員一人ひとりを見渡す。


指示が終わり、部員たちがそれぞれ準備を始めたそのとき、音楽室のドアが静かに開いた。


響の視線が自然とそちらに向く。


あの朝と同じ少女――天奏が、ゆっくりと部室に入ってきた。


瞬崎先生が微笑みながら紹介する。


「あ!すみません。皆さんに報告し忘れていました。こちらは今日から復帰する二年生、天奏若葉(てんそうわかば)さんです」


若葉は小さく頭を下げ、挨拶する。


「二年、天奏若葉です。よろしくお願いします」


その声に続く静寂の中、響の視線は自然と若葉に釘付けになる。


そして周囲――特に二年生たち、桜咲(おうさき)やその仲間たちの目が大きく見開かれる。


「え……?」


「天奏!」


「うそ!戻ってきたの?!」


驚きと困惑、そして少しの羨望が混ざった声が小さく漏れる。休学していた彼女が突然現れた衝撃に、言葉を失う者もいた。


二年生たちは目を見合わせ、誰もが無言のまま小さなざわめきを立てた。


響もまた、心の奥で何かがざわつくのを感じていた。

昨日のナーガフェスでの興奮がまだ残る中、さらに新しい刺激が訪れたのだ。


その場にいる全員の意識が、自然と若葉に集中する。

彼女の復帰は、部活の日常に大きな変化の兆しを告げていた。


休学していた期間が長かったこともあり、彼女の存在は部室に自然と特別な空気を生んでいた。


瞬崎先生がゆっくりと腕を上げ、鋭い視線を全員に向ける。


「さぁ皆さん、時間は与えられるものではない。自分で作るものです。今からはじめますよ」


その声に、部員たちは自然と背筋を伸ばす。


「練習の時間です!」

日常の中に少しずつ戻る部活の時間。だが、今日見たもの、聞いた音の余韻は、まだ部員たちの心を揺さぶっている。次の一歩は、確かにここから始まる。

感想、評価などよろしくお願いします。

次回もお楽しみに!

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