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心はB♭で響いている  作者: World of Tukimoto
響く音響編 —始動—

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16/42

16話 舞台の前に

部員たちは今日も、音と歩幅を重ね、互いの呼吸を確かめながら練習に励む。

その先に待つのは、大きな舞台――ナーガフェス。

一歩ずつ、確かな自信を胸に、本番への準備が進む。

あれから一週間。日ごとに陽光は強くなり、夏の匂いが少しずつ混じり始めていた。


ナーガフェス本番は――もう、明日だ。


グラウンドに引かれた白線が、いくつも交差していた。その上を、東縁(とうえん)吹奏楽部の部員たちが軽やかに歩いていく。


「……よし、ストップ!」


董白(とうはく)が手を上げると、全員がぴたりと動きを止めた。汗を拭いながら、彼は小さく息を吐く。


「いい。ほんとにいいよ。――この一週間で、全員の完成度が見違えたな」


少し笑いながら、周囲を見回した。その視線の先には、永井(ながい)の姿があった。


ガード棒を構えるその立ち姿は、もはや“おどおどした一年生”ではない。芯があり、リズムの中に呼吸を感じる。回すたびに布が空を切り、軌道が正確に白線の延長線上を描いた。


「永井君。……すごく良くなったな」


「えっ……あ、ありがとうございます!」


声に少し照れが混じる。けれどその笑顔には、確かな自信が宿っていた。今伊(いまい)の言葉が、永井の中でしっかりと形になっていた。


(“誰かの軌道に乗る人生なんて、生きづらいだけ”――か)


彼は自分の足で立ち、自分の呼吸で動く。そのことが、こんなにも心地いいとは思わなかった。董白は頷きながら、隣に立つ響を見た。


(ひびき)もだ。全体の流れをよく見てる。リードしてるって自覚あるか?」


「……少し、は。」


「なら十分だ。お前の“感覚”は本物だ。あとは明日、信じるだけだな。」


どの部員も、それぞれの位置で深く呼吸をしていた。戸惑いも、苛立ちも、少しずつ音の中に溶けていった。


緊張と期待――それは、音よりも確かにそこにあった。


「よし、本番通り演奏ありでやるぞ!最初の位置につけ!」


董白の声が響き、部員たちはそれぞれの定位置についていく。


「……先生、もう……ムリ……」


低音の列で来島(らいとう)がスーザフォンを下ろし、汗を拭った。


その隣ではユーフォの桜咲(おうさき)が、日差しを避けるように日傘の影を探している。


「ちょっとだけ休憩……ダメですかぁ……」


「だーめ。フェスは明日なんだから、今が踏ん張りどきでしょ」


久瀬(くぜ)が笑いながら返し、若田(わかだ)がユーフォを担いで頷いた。


「あと一回、あと一回だけやろう。今の“形”を体に刻むんだ」


「うぅ……部長とか若田先輩のそういうとこ、嫌い……」


「ありがと、最高の褒め言葉。」


笑いがこぼれ、再び笛の音が鳴る。


テンポ110。スネアのリズムがグラウンドに響き渡る。トランペットの明るい旋律、それに重なるハーモニー。


歩調と息づかいが重なり、まるで地面そのものが鳴っているようだった。その様子を、少し離れたテントの下から見つめる二つの影があった。


顧問の瞬崎(しゅんざき)と、副顧問の瀬戸川(せとがわ)


「……変わったな、ほんとに。」


瀬戸川が腕を組みながら呟く。


「董白先生が来てから、あいつら、顔つきがまるで違う」


「そうですね」


瞬崎はグラウンドを見つめたまま頷く。


「一人ひとりが“音を鳴らす理由”を探している感じです。厳しいですが、確実に強くなっています」


風が吹き抜け、砂埃の向こうで永井がカラーガードを掲げる。


その横顔には、数週間前にはなかった自信が宿っていた。


瀬戸川は目を細める。


「特に永井。何かに導かれるように動いてるな」


「ええ。」


瞬崎が小さく笑った。


「たぶん、“月本君”ですよ。」


瀬戸川は静かに頷いた。


「なるほどな。あの子がいるだけで、空気が変わる。……ほんと、不思議なやつだ」


「ええ、その通りです」


「……私も、学生の頃、似たようなことがあったんだ」


瞬崎が、顔を向ける。


瀬戸川は遠くの部員達を見つめたまま、淡々と続けた。


「仲間の一言がきっかけで、バンドが割れた。誰も悪気はなかったのにな。……音楽ってやつは、不思議だな。うまくなればなるほど、仲間との心のズレが目立つ」


瀬戸川はその音に微笑みを浮かべ、静かに呟いた。


「でも、あの頃の音が、今でも私の中に残ってる。だからこそ、あいつらには最後まで音で向き合ってほしいんだ」


風が鳴り、再び笛の音が響いた。それは、明日という舞台へ向けた最後のリハーサルの始まりだった。



夕暮れに染まる帰り道、響たちは手にした紙を囲みながら歩いていた。陽翔(はると)奏多(かなた)、来島、永井、いつもは一緒に帰らない柊木(ひいらぎ)も、なぜか今日は加わっている。


「先生からもらった、明日のナーガフェスの出場順か」


奏多が紙を開くと、順番と演奏内容が一覧になっていた。


「うちらは、5番目か……」


来島が小さな声でつぶやく。


「俺たち、そんなに後ろじゃなくてよかったな」


陽翔が肩をすくめる。奏多は真剣な顔で紙を見つめる。


「うわ、僕らの前、豊川(とよがわ)高校じゃん」


みんな口を揃えて言った。


「豊川高校⁈」


「いやまてよ、豊川の次とか終わってんだろ」


「僕たち比べられちゃうって」


来島や陽翔は愚痴もこぼす。


柊木は紙をじっと見つめてから、小さく頷いた。


「……出場順、意外と詰まってるんだね」


「ほんとだな。前の学校の演奏聞く間もなく、すぐ俺たちだ」


陽翔が笑うと、みんなもつられて少し和んだ。響はふと紙に書かれた曲名や学校名を順に見ながら考える。


(明日、この順番で……全部うまくいくのか)


胸の奥で少し緊張が走る。しかし、同時に、これまでの練習を思い出す。皆で重ねた音、歩幅を合わせた足音、互いの呼吸――それが確かに自信となって胸を満たしていた。


「よし、出場順は把握したね。豊川の次ってのは怖いけど......とにかく明日、全力でいくしかない」


奏多が声をかけると、皆が頷き、紙を軽く握り直した。夕暮れの空の下、歩幅をそろえながら....



自室の椅子に深く腰を下ろし、響はテレビ画面をぼんやりと眺めていた。


久々に流れる吹奏楽特集――「がんばれ!ジャパンズブラス♫」だ。


画面の向こうでナレーターの声が明るく響く。


「いよいよ明日、待望のナーガフェスが幕を開けます!」


響は思わず画面に視線を集中させる。画面には、県内から集まる出場校の名前や練習風景、ステージの一部が次々と映し出されていた。指揮者の動き、息の合った奏者たちの動き、木管・金管のハーモニー。映像だけでもその迫力が伝わってくる。


ナレーターが続ける。


「各校の技術はもちろん、日々の努力やチームワークも見どころのひとつです。明日はどんなドラマが生まれるのでしょうか――」


画面が切り替わり、今回は長野市立西野(にしの)中学校の取材風景が映った。


体育館の奥で、中学生たちが一列に並び、息を合わせて吹く姿。指揮者の先生が熱心に指導し、手を高く振り上げてリズムを刻む。汗をぬぐいながら、一音一音を丁寧に確かめる生徒たちの真剣な表情。


「私たち、西野中学校は今年も全力で演奏します!」


インタビューに答える生徒たちの笑顔にはまだあどけなさが残るものの、目は真剣そのものだ。響は画面を通しても、彼らの熱意が伝わってくるのを感じた。

ふと、響は手元で指先を軽く動かす。無意識にリズムを刻んでいた。


(ああ、やっぱり明日か……)


胸の奥が小さく高鳴る。これまで重ねてきた練習、合わせた歩幅、全員で作った音の流れ――それが明日、大きな舞台で一つの形になるのだ。


ナレーターの声とともに、画面は再び会場に戻っていた。


「出場校それぞれに、独自の個性と物語があります。明日はただの演奏会ではありません――一人ひとりの努力と成長がぶつかり合う、特別な日なのです」


響は視線をテレビから逸らし、少し天井を見上げる。


(……僕たちも、明日、あそこに立つんだ)


その胸に、わずかな緊張と、確かな期待が入り混じる。


画面の中の中学生たちの真剣な瞳を見ていると、自分たちもまた、同じように輝かなければ――という思いが自然と湧き上がってきた。


響は軽く息を吸い、ゆっくりと吐いた。明日、ここで鳴る自分たちの音――それを想像しただけで、心はすでに高鳴り始めていた。



朝の光は、まだ優しくて柔らかかった。だけど僕の胸の中は、すでに熱を帯びている。今日は――待ちに待ったナーガフェスの日だ。


制服に身を通しながらも、頭の中はすでに今日の演奏でいっぱいだ。僕ら東縁高校吹奏楽部は、この日のために何週間も歩幅をそろえ、音を重ね、呼吸を合わせてきたんだ。


朝の廊下では、部員たちが次々と集まってくる。陽翔や奏多、永井に来島――いつもの顔ぶれが揃うと、なんだか少しほっとする。挨拶を交わしながらも、誰も口にしないだけで、心臓は皆同じくらい早く打っているはずだ。


「みんな楽器は全部準備できた?あと本番用の衣装も」


久瀬が確認する。


「うん、大丈夫」


「サックス、全員揃ってます」


「パーカスもOK」


「フルートも」


各パートの人員確認と楽器確認が終わると運搬用の台車にスーザフォンやユーフォニアムを乗せ、バスの前まで列を作って運ぶ。歩きながらも、ふと僕は考える。ここから会場まで、あの演奏の瞬間まで、全てがつながっているんだって。


校門を出ると、朝の空気が少しひんやりとしていて、胸の緊張をほんの少しだけ和らげてくれる。バスに乗り込むと、僕らはそれぞれの座席で最後の確認をする時間になる。紙に書かれた出場順や、今日の演奏の流れ、細かい注意点――指先で軽くたどりながら、心を落ち着ける。


窓の外には、通学路の景色が流れていく。風景はいつもと変わらないはずなのに、今日はすべてが特別に見える。今日という日は“いつも”じゃない。これまでの練習の全てが、この一日につながっている。


バスのエンジンが静かに唸ると、胸の奥の期待も少しずつ大きくなる。深呼吸をひとつ。手にした楽譜をもう一度確認する。


全て準備は整った――あとは、会場で鳴らす音だけだ。


(さあ、行こう。僕らの音を、今日、この場所で、誰よりも響かせるんだ)



会場に到着すると、色とりどりの校旗や、響き渡るリハーサルの音が視界に入った。普段の学校のグラウンドとは違う、緊張感に満ちた空気。


まず楽器のセッティングから始めた。ユーフォやスーザフォン、サックス、トランペット――それぞれの楽器を運び、自分の位置に整える。久瀬や若田の指示で、並び順や足幅、音の出し方の最終確認も入念に行った。


「よし、息は揃ってるか? 足音も確認!」


董白の声が響く。部員たちは深呼吸し、楽器を肩にかけて姿勢を整える。心臓は高鳴るが、それは悪いものではなかった。むしろ、音を鳴らすための準備の一部だ。


その最中、来島や陽翔の姿が少し離れた場所で動いているのに気づいた。かつて別の学校に行った仲間たちと再会しているようだった。久しぶりの顔ぶれに、自然と笑みがこぼれる。


「おお、久しぶり! 元気そうだな」


来島がスーザフォンを抱えながら声をかけると、相手も笑顔で応えた。


「来島か。久しぶりだな」


陽翔も少し照れたように笑う。昔一緒に演奏したリズムや掛け合いを思い出す時間だ。互いの成長や挑戦について、短い会話の中で話し合う。もちろん競技者としての意識もあるが、同時に昔の友情が自然に蘇る瞬間だった。


「今日はお互いベストを出そうぜ」


来島が少し真面目な表情で言うと、相手も頷く。短い言葉だが、背中を押してくれる力があった。


その間も他の部員たちは準備を続ける。会場のざわめき、再会の笑顔、そして各校のリハーサルの音――全てが、本番へ向けた静かな高揚感を生み出していた。



控えの広場で、部員たちは待機していた。日差しがやわらかく差し込む中、すでにプログラムは進行しており、前に出た豊川高校の演奏が会場に響いている。


その演奏は圧倒的で、緻密な音の重なりと揃った動きに、控えの部員たちは思わず息をのんだ。来島や陽翔、桜咲たちも、楽器を抱えたまま背筋を伸ばす。胸の奥に、知らず知らずのうちにプレッシャーと緊張が押し寄せてくる。


「……すごいな……」


小さく呟く来島に、奏多も無言で頷く。息を整えようと深呼吸をするが、鼓動は早まるばかりだった。他の部員もそれぞれ口を開く。


「うますぎじゃね?」


「うちら、完全に埋もれちゃう」


その中で、響だけは少し違った。肩の力を抜き、目を閉じて深く呼吸を整える。耳に届く豊川の音を体の中で受け止め、心の中でリズムを反芻する。緊張はあるものの、恐怖や焦りではなく、ただ「自分たちの音を出す準備ができている」という確かな感覚があった。


(追いついてる。僕らは、ここまで来たんだ――)


響は静かに頷き、目を開けた。その瞳には、少し落ち着いた光が宿っていた。


「長野県東縁高等学校の皆さんは準備を始めてください」


アナウンスの声が響いた。


「瞬崎先生、いよいよ出番です」


瞬崎は待っていたかのように口を開く。


「.....音を楽しむと書いて"音楽"。決して相手に力を見せつける物ではありません。しかしここにきている多くの人たちは東縁高校(みなさん)の力を軽く見ている」


瞬崎は満面の笑みで部員達の方へ顔を向けた。


「さぁ、行くのです。そして我が東縁の真の実力を見せつけてきなさい!」


部員達は笑顔で口を揃えた。


「はい!!!」

部員たちの胸には緊張と期待が入り混じり、歩幅と音が心を満たす。ここまで積み重ねてきた努力は、果たしてどんな形となって響くのか――。

次回、いよいよステージが始まる。

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