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読んでくださってありがとうございます。
「音楽」というテーマは、私自身が大切にしているものの一つです。
本作は、どんなに音が遠く感じても、心の中で響き続ける「音楽」の力を信じる少年たちの物語です。
彼らの成長や葛藤を、ぜひ温かく見守っていただければ幸いです。
遠くからユーフォニアムの音が聴こえる気がした。
それは、夢だったのか、幻だったのか。
目を閉じれば、銀色にきらめく管体と、指に馴染むバルブの感触だけが、確かにそこにある。
——けれど、肝心の旋律が思い出せない。
どんな音を吹いていたのか、何を想っていたのか。
あの日から、僕の中から音楽だけが消えた。
音楽は嘘をつかない。
だから——僕はもう一度、あの音を探しにいく。
それが、僕の音楽の始まりだった。
長野県東縁高校は県内で最も部活数が多い高校で有名だ。様々な部活が全国大会に出場している。運動部は陸上、バスケ、野球、バレー、テニス、サッカー、バドミントン。文化部は美術、ダンス、演劇、文芸など様々。どの部も優秀な成績を収め全国から注目されている。
——しかしそんな東縁高校の数ある部の中でも冴えない評価を受けている部活が一つ..........
「続いて校歌斉唱、一同起立!」
司会がそういうと後ろで吹奏楽部が楽器を構えた。月本響は入学してから吹奏楽部に入ろうと決めていた。ただただ興味があるという単純な理由だ。
どんな演奏なんだろう。
……その答えは、指揮棒が振られた瞬間に明らかになった。
「な、なんだ....これ」
耳に飛び込んできたのはとんでもない程の不協和音だった。バラバラなテンポ、外れたメロディ、かすかにしか聞こえない伴奏。もはや演奏と言って良いのか戸惑う程の出来だった。
「こりゃ、だめだ」
思わず声が出たが、そんな言葉も不協和音にかき消されていった。
いろいろ考えているうちに吹奏楽部の演奏が終わり、しんと静まり返った体育館に、再びアナウンスが響いた。
「新入生代表挨拶、1年6組 柊木真尋」
その一人の生徒の「はい」という声が、体育館全体に響き渡る。真っすぐ伸びた背中がステージを上っていった。演説台の前に立ち全校生徒の方を見渡した。ふとその生徒と目が合った。目を丸くし唖然の表情を浮かべながら自分を見ていた。あの目には、何かを伝えようとするような、叫びたくても叫べないような、そんな迷いが見えた気がした。
しかし何事もなかったようにその表情もすぐに真顔に戻り視線を前に向けた。
「春のやわらかな光に包まれ、私たちは本日、長野県東縁高等学校の一員として、新たな一歩を踏み出しました。
入学の喜びとともに、これから始まる三年間の高校生活に、期待と少しの不安を抱きながらも、私たちはそれぞれの夢や目標に向かって歩んでいく決意を胸にしています。
私たちは、学びの機会を大切にし、困難にも負けず努力を重ね、人としても成長できるよう努めてまいります。
また、仲間を思いやり、礼儀と感謝の心を忘れずに、学校生活を充実させていくことを、ここに誓います。
先生方をはじめ、支えてくださるすべての方々に感謝の気持ちを込めて、私たち新入生一同、これからの高校生活を力強く歩んでまいります。
平成25年 4月6日
新入生代表 柊木真尋」
一体さっきの表情は何だったのだろう。そんなことを考えているうちに入学式は進んでいった。
入学式が終わったばかりの教室には、まだ名前も知らない同級生たちの声が飛び交っていた。
「ねぇ、次のオリエンテーションって体育館だっけ?」「自己紹介、何言うか決めた?」
誰もが浮き足立っている。けれど――僕の心だけが、静まり返っていた。
目の前の机には様々な書類と大量の教科書が積んであった。
「なあ、君って何部入るん?」
ふと横を見ると一人の少年がニッと笑いこちらを見つめていた。
くしゃっとした髪に、明るい声。初対面なのに、妙に距離が近い。
「えっと..........君は?」
「あ〜ごめんごめん、まだ名前言ってなかったな。俺は西村 陽翔。小中学校はよく友達に、はるにーって呼ばれてたし、まぁテキトーに呼んでもらって構わないよ。君は?」
やけに軽い口調だ。あまりこういう性格は慣れていない。
「僕は月本響、響でいいよ。よろしく」
「おぅ、響か、いい名前だな。.......ところで響って何部入るん?」
いきなりそれを聞くのか、まぁあんな演奏を聞いたあとで吹奏楽部にだけは入ろうとは思っていなかった。
「...............」
「どしたん?決まってないなら一緒に吹奏楽部どう?俺入ろうと思ってるんだよね」
「吹奏楽部……」
その言葉を耳にした瞬間、胸の奥がふるえた。
理由はわからない。ただ、その言葉には、何か――重みがあった。
陽翔は、僕の反応に気づかず話を続ける。
「ちなみにオレはサックス!何の楽器がいいか迷ってるなら、いろいろ試せるらしいし。とりあえず見学だけでも行こうよ!」
「……うん、いいよ」
気がつけば、そう答えていた。
頭では理由が説明できない。ただ、体が勝手に動いてしまうような、不思議な感覚。
———ユーフォニアム
その言葉が、突然脳裏に浮かんだ。なぜそれを知っているのか、僕にはわからない。
だけど――それが、僕の音だった気がした。
放課後、早速陽翔と一緒に音楽室へ向かった。
「あれや!サックス。やっぱかっこええなぁ」
陽翔と一緒にドア越しで音楽室を覗いた。少しいけないことをしている気もした。
「お、君たち見学? そんなところで覗いてないで入って入って!」
思っていたより明るく迎えられた。音楽室の空気は和やかだった。数人の部員がウォーミングアップをしていて、誰かが譜面台を組み立てている。
「ゆっくり見てってね〜」
部長らしき人がそう言うと基礎合奏が始まった。
指揮者の先輩がテンポを数え、ロングトーンが始まる。
……やっぱり、何かズレている。
陽翔の目はキラキラと輝いていた。小学校までの経験だけでも、音楽の楽しさは十分に知っているのかもしれない。きっと彼にとって、上手いか下手かは大きな問題じゃないのだろう。
結局基礎合奏終わりまで聞いた。陽翔の目を見るに彼の頭の中ではほぼ入部決定なんだろう。
「また来てね〜」
そう言われると僕達は軽く会釈をして音楽室を出た。廊下を歩きながら、耳の奥に残る不協和音を、何度も何度も巻き戻しては聴き直していた。やはりなぜかその音が、心の奥に引っかかっていた。
................「っ!す、すみません」
よそ見をしていたらすれ違いの生徒とぶつかった。
「あ、君は新入生代表の!えーと、何だっけ?」
陽翔は、まるで気にしていない様子で言った。新入生代表の柊木真尋だ。僕をガン見している。何かやらかしたのだろうか。少し悲しげな表情を浮かべながら、真尋は音楽室の方へと歩いていった。
(部活の見学でもあるのだろうか、それとも……)
さっきの彼の背中が、どこか懐かしく感じた。
「見学、どうだった?」
帰り道、なぜかずっと黙っていた陽翔がそう聞いてきた。僕はもう正直に答えることにした。
「……あの演奏うまいとは思えない」
あんな目を輝かせていた陽翔の前でこんなことを言うのは勇気がいる。陽翔は少し黙り込んで笑いながら言った。
「..............やっぱそうだよね。僕も聞いててホントはそう思ってた。……でもそれでいいんだよ。ここは下手くそばっかりで、誰も完璧じゃない。 だけどさ、オレたちが、この部を変えていけるかもしれないって思うんだ。そう、救世主にさ!」
経験者とは思えない、甘すぎる答え。でもその言葉が、胸にじんわりと届いた。
「……わかった。やろう一緒に!」
「改めて、よろしく!響!」
「うん。こちらこそ、よろしく、陽翔君!」
夕焼けが二人の影を長く伸ばした。
「君たちも入部希望者かな?」
「はい、よろしくお願いします!!!!!!」
響たちの物語はまだ始まったばかりです。
音楽を通して彼らがどんな道を歩んでいくのか、これからも見守っていただければ幸いです。
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