魔王ワシ、人間の国に攻め込んだら“マオハラ”だと訴えられてしまう……
ある王国に、魔王が攻め込んできた。
街を囲う城壁を破壊し、立ち向かった兵士たちを蹴散らし、巨大な口で高笑いする。
「ハーッハッハッハッハ! 蹂躙してくれるぞ、人間ども! 泣け! 叫べ!! ひれ伏せい!!!」
魔王は頭頂部に二本の角を生やした大男で、黒ずくめの服をまとい、赤いマントを身につけている。
腕力も魔力も到底人間の及ぶところではなく、国王も、大臣も、兵士も、庶民も、ただ恐れおののくしかなかった。
しかし、そんな魔王に近づく一人の青年があった。
銀髪で眼鏡をかけ、グレーのスーツを着た、理知的な青年であった。
魔王もその青年に気づく。
「ん、なんだ? 貴様?」
「私、こういう者です」
青年は丁寧に名刺を差し出し、魔王はそれを乱暴に受け取る。
「新聞記者の……ラビス? ククク、面白い。ワシに媚びでも売りに来たか? あなたをかっこよく書くからどうか見逃して欲しい、と」
ラビスは首を横に振った。
「いえ、私はあなたに忠告しに来たんです」
「忠告?」
「このままだとあなた……“マオハラ”で訴えられますよ?」
魔王は顔をしかめる。
「マオハラ? なんだそれは?」
「知らないんですか?」
「知るわけがないだろう!」
「本当に?」
「しつこいぞ!」
「やれやれ、呆れましたね……」ラビスは指で眼鏡を持ち上げる仕草をする。「ではお教えしましょう」
レンズの奥に潜むラビスの眼光が魔王を射抜く。
「魔王によるハラスメント……これを“マオハラ”と呼ぶのです」
「なにい……!? ハラスメントだとぉ……!?」
「今世間ではセクハラ、パワハラを始め、様々なハラスメントが問題視されていますが、マオハラも当然その一つです。魔王という権力やその武力でもって、他の種族を脅かす……これは立派なハラスメントなのです」
「な、なんだとぉ……!?」愕然とする魔王。
「このままだとあなた、とんでもないことになりますよ?」
「とんでもないことだと?」
「すでに城壁を破壊し、兵を蹴散らし、人々を怯えさせるという立派なマオハラを犯している……このままいけば、莫大な慰謝料請求と数々の社会的制裁は免れないでしょうね」
「なっ!? 慰謝料!? ――社会的制裁ィ!?」
「慰謝料の額は……ざっとこのぐらいになるでしょうね」
ラビスは手帳に数字を書き、それを見せる。
その額は、魔王でも簡単に支払えるものではなかった。
「こ、こんなに……!?」
「さらには“マオハラをした魔王”というレッテルを貼られることは避けられない。これから先、あなたは皆から後ろ指をさされて生きていくことになる」
「……ッ!」
人間からも同族からも、“あいつはマオハラした”と言われ続ける人生を、魔王は想像した。
『あれがマオハラ野郎か……』
『サイテー!』
『いかにもマオハラしそうな顔してるよな……』
『魔王様、ガッカリですよ……』
『いい年してマオハラって。あんたなに考えてんだ』
『あんたにはもうついていけねえよ!』
魔王の顔に焦りの色が浮かぶ。
「……し、知らなかったんだ! マオハラなんて!」
「知らなかったでは済まされませんよ。魔王さん」
魔王はうめき声を上げつつ、なんとか打開策を見出そうとする。
「う、ぐぐ……そもそも、魔王が人間の国を攻めて何が悪い!?」
「開き直るつもりですか?」
「そうではない……。魔王とは全ての魔の存在を統べる者! 他の種族を蹂躙するのは当然のことなのだ! マオハラして何が悪い!」
「悪いですよ」
「なにっ!?」
「じゃあ聞きますが、仮にあなたより強い“超魔王”という魔王がいたとしましょう」
「ちょ、超魔王……!」
「超魔王はあなたより強く恐ろしい存在だ。彼が今のあなたの理屈で、あなたや部下を傷つけたら、あなたは『相手は超魔王なんだから超マオハラされるのは仕方ない』と納得できるんですか?」
「いや、それは……」
「できるんですか? できないんですか?」
「で、できない……!」
「あなたはそんな納得できないことを、我々に対してやろうとしていたんですよ」
「ぐ……ぐおおおおおお……!!!」
己の所業の身勝手さおぞましさを指摘され、魔王は絶叫する。
「分かりましたか? あなたがやっていることはそういうことなんです」
「し、しかし……ワシは魔王だ……!」
「まだ言いますか。これ以上マオハラを続けるなら、私はあなたについてあることないこと記事にさせてもらいますよ」
「ちょっと待て! あることはともかく、ないことはやめろ!」
「じゃあ、マオハラのことは書いていいんですね?」
「いや、それは……」
「それは?」
「そっちも……書かないで欲しい……」
「“欲しい”というのは傲慢ではありませんか? それも一種のマオハラですよ?」
「書かないで、下さい……!」
「それは今後のあなた次第ですね」
ついに敬語まで使わされるはめになる。
崖っぷちまで追い詰められた魔王。
もはや降参するしかないのか――しかし、魔王は思い返す。
自分の強さを。自分の恐ろしさを。
何がマオハラだ、下らない。そんなものワシの腕力や魔力で打ち砕いてしまえばいいではないか。
「下らぬ!!!」
魔王はラビスを睨みつける。
「訴えたければ訴えろ! だがその前に貴様を我が魔力で粉みじんにしてくれるわ!」
右手に濃い紫色のオーラを宿し、ラビスに振り下ろそうとする。
すると――
「お、暴力ですか?」
「なぬ!?」
「こっちは口で正々堂々対峙してるのに、そっちは反論する術がなくなるとすぐ暴力とは……さすがマオハラするような魔王は手を出すのも早い」
「な……!」
魔王の手が止まってしまう。
「いいですよ。殴って下さいよ。ほら、早く。その代わり、あなたはこれからの一生を“暴力マオハラ野郎”として生きていくことになりますが」
ラビスは自分の頬をペチペチと叩く。
「ほら、どうしたんです。ほら、隙だらけですよ。ほら、殴って下さいよ」
魔王の右手からオーラが消える。
「す、すまなかった……」
生まれながらにして強大な魔力を宿し、あらゆる相手を正面から打ち倒してきた魔王。そんな彼にとって、目の前にいるラビスのような暴力に屈せず、ひたすら口で責めてくるような男は初めてであり、あまりにも免疫がなかった。なさすぎた。
肉体は屈強な魔王だが、心の方が先に折れてしまった。
「教えてくれ……。ワシはどうすればいい? どうすれば訴えられずに済む?」
「ひとまずは壊した壁の弁償。それと怪我を負わせた兵たちへの賠償。そうすればあなたがマオハラで訴えられることはないでしょう」
「ほ、本当か!」
「それと、この件はすでに多くの人に知れ渡ってしまっているので、もうあなたは隠居した方がいいでしょうね。そうすれば“マオハラした魔王”ではなく“勇退した魔王”として、歴史に名を残すことができる」
「なるほど……」
「私も事を荒立てたくはないのです。あなたのことはぜひ、素晴らしい魔王として記事に書きたい。私の言ったことを守って下されば、それは約束しましょう」
あなたの名誉は私が守ると言うように、ラビスが魔王の両手を掴む。
「ありがとう……ありがとう……!」
魔王は両目から溢れんばかりの涙を流す。
自分がマオハラ野郎になることはないと、心底ホッとしたようだ。
かくして魔王は去っていき、この王国は魔王の脅威から救われたのであった。
***
後日、国王は玉座で新聞を読んでいた。
「魔界にて魔王は隠居し、後任の魔王には上級魔族のデモリオン氏、か……」
その目の前にはラビスがいた。
「デモリオンとはすでに政治的な根回しが済んでいます。今後は魔族とは友好的な関係を築けるでしょう」
「ふふ、さすがだな」
「お褒めにあずかり恐縮です」
ラビスは眼鏡を指で持ち上げる。
「それにしても驚きだ。魔王と一切戦うことなく、魔王を表舞台から下ろしてしまうとは」
「一撃ぐらいはもらうことを覚悟していたんですがね……。魔王のメンタルは想定以上に繊細だったようです」
「最強を誇る魔王にも、意外な弱点があったということか」
「そういうことです」
「いずれにせよ、よくやってくれた。感謝するぞ、“勇者”ラビスよ!」
ラビスが眼鏡を取ると、そこには青い瞳があった。
いかにも勇者の称号に相応しい、引き締まった顔立ちをしている。
ラビスは笑いながらこう言った。
「今時の勇者は魔王を倒すのに剣など使わない、ということですよ」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。