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はじめまして、猫様。  作者: 西藤
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06.過去

食事が終わる頃には最初の警戒は嘘のように消え、猫はハリー曹長と僕にだいぶ気を許してくれるようになった。警戒が消えたのは曹長の方も同じで、もう目の前の小動物の一挙手一投足が可愛くて可愛くて仕方がないという様子だ。


僕は前世で溜めた猫知識を余すところなく彼に伝えた。

細かく動く物に興味を示す事。

細長い棒や草などを揺らすと猫がじゃれて遊ぶ事。

ゴロゴロと喉を鳴らすのは機嫌が良い証という事。

尻尾は触ると嫌がる事…


庭に生えていた背丈のやや長い雑草を使って、曹長はもう小一時間ほど猫の相手をしている。

わたわたと前足を一生懸命動かしながら葉っぱを捕まえようとするその姿の可愛らしさは、僕だけでなく曹長のハートを完全に鷲掴みにしてしまったようで、あの威厳のあるコワモテの顔とは別人のように頬が緩みっぱなしになっている。

他の兵士がこの姿を見たらどれだけ驚くだろうなぁ…


「曹長、この猫に名前を付けませんか?」

「名前か。そうだな、良い提案だ。何と付ければ良い?」

「それは曹長にお任せ致します。良い名を付けてあげて下さい」

「うーーーん…」

曹長は猫をじっと見つめて少しだけ悩んだ後、クロという、結構普通の名前を付けた。

異世界でも名前の付け方なんてそんなに変わらないものだと思った。

「クロ。お前の名前は、クロだ。分かったか?クロ」

名前をもらった猫、クロは、床にぼてっと転がるとお腹を見せた。

撫でろのポーズ。通称へそ天だ。

「これは最大限に気を許している姿勢です。お腹を撫でてあげるととても喜びますよ」

「そうかそうか、お前もこの名前が気に入ったんだな?よしよし、いい子だ」

ふわふわのお腹を何度も撫でられ、クロはご満悦というように目を細めて喜んでいた。


やがて遊び疲れたクロは、再び暖炉の前ですやすやと眠り始めた。

「見ろ、この寝顔。可愛いなぁ、まるで人間の子どもみたいじゃないか」

「そうですね…」

起こさないようにそっと額を撫でながら話しかける曹長。


ところが、ここで事態は急転する。

曹長が急に泣き始めたのだ。


「…そ…曹長、どうされたんですか?」

「いや、…すまんな」

曹長の涙は止まらない。

鼻をすすってから曹長は答えた。

「…息子を、思い出した」


ぽつりぽつりと曹長は話した。


彼には6歳になる息子がいた。

とても可愛い男の子で、父親が休暇で帰ってくるといつもはしゃいで喜んでいたという。

だが、いざ父親が再び家を離れる日が来ると、甘えたがりの筈なのに、その子は一度も駄々をこねずに笑顔で見送ってくれたのだそうだ。


「本当はもっと一緒に遊んでほしかっただろうに、俺を困らせないように我慢して息子が手を振っていたのだと思うと、心の底から申し訳なくなったよ」


彼は必ず出世すると誓い、ほとんど休暇の取れない厳しい任務に進んで着き、猛烈に働いた。

だが息子は、その後、あっけなく流行り病で死んでしまった。


「連絡を受けて家に帰った時には、息子はとっくに墓の下だった。

俺はこの仕事に就いた事を後悔していない。

してはいないが…、クロを見ていたら、本当は息子も俺にもっとたくさん遊んで欲しかっただろうと思ってな…」


曹長の嗚咽は止まらなかった。

僕は何も掛ける言葉が無くて、ただただその場で俯く事しか出来なかった。



―空が白み始めた。

僕はあの後、涙が止まらない彼の姿が見るに忍びなくて、用事があるフリをして外に出た。

そしてそのまま、小屋の外でほとんど眠らずに朝を迎えてしまった。

せめて毛布を持ってくれば良かった。

外気に一晩中晒された僕の体はさすがに冷え切っている。


(…そろそろ、戻らないと)

若干の不安と共に部屋に入ると、既に曹長は起床していた。

…というよりは、寝ていないのかもしれない。

こちらに背を向けて、毛布の上に胡坐をかいて座っている。

その背中にはいつもの威厳のようなものを感じた。

「気を遣わせて済まなかった」

「…こちらこそ、何もお力になれず申し訳ありません」

「力にはなってもらったよ。ジョン二等兵」

「…!…いえ、僕は何も…」

初めて曹長に名前で呼ばれた事に驚きながら、まだ閉まったままの部屋のカーテンを開けた。

すると——


早朝の白い光の中、曹長の胡坐の上でへそ天ポーズをしているクロが見えた。

その、のんきな恰好を愛おしそうに見つめる小隊長。

「あの後、一晩中俺にくっついて寝てくれたんだよ。

言葉は通じなくても、俺が悲しんでいるのが分かって慰めようとしてくれたんだ。

そうだろう?クロ」

喉元を撫でられて、クロは幸せそうに「にゃー」と鳴いた。

「”ネコ”というのは、もしかしたら天使というやつなのかもしれないな」

「…そうですね」

ごつごつした指に撫でられるクロの細くて柔らかい毛並みが、光の中できらきらと輝いていた。

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