48.遺物
シェリルがプレゼントしてくれた絵の整理をしたいと言って、コンラードはジャンとシェリルを伴って部屋を移動した。
辿り着いたその一室は、侍従達が資料の準備などに使う作業部屋ということで、簡素な机と大量の書類が詰め込まれた棚がズラリと並んでいた。北向きで小さい窓がぽつんと開いているだけなので、部屋の中は昼間なのにやや薄暗い。
誰も着いてきていないことを確認して、コンラードは腕に抱えたたくさんの絵の中から、問題の一枚をゆっくりと机の上に置いた。
「……で、殿下……これは……一体、どういう事でしょうか……?どうして、猫の絵が……」
震える声でジャンが訊ねる。
「私も、何と言っていいか分からない……どうやら我々は、とんでもないものを見つけてしまったようだ」
コンラードはそう言うと、黙り込んでしまった。
事態が分かっていないシェリルは、頭を抱える二人を不思議そうにぽかんと見つめる。
少し力を込めれば簡単に崩れてしまいそうな古紙に描かれた猫は、ごろんと体を投げ出して寝転びながら、こちらを見つめている。ジャンが今までに目にしてきた、口から炎を吐いていたり建物を踏みつぶしたりするような魔物の絵とはまるで違う。やわらかな毛並みやふっくらとした指先、背中からおしりにかけての優美な曲線、光を宿した大きな愛らしい瞳…
――それは空想ではなく、描き手の目の前に存在している生き物を観察しながら描かれたものに他ならない。
「……この世界には、猫が存在していた……!?」
「……どうやらそういう事になるな…少なくともこの絵が描かれた時代には、画家の題材になるほどに身近な生き物だったようだ」
「殿下、これは一体どのくらい前に描かれたものでしょうか?」
ジャンの問いに、コンラードは顎に手を当てて考えこむ。
「…瑠璃の間にある骨董品や絵画は、数代前の王が蒐集したものだから、最低でも100年以上は前のものだと思う。でも、状態から見るとそれ以上に古い時代かもしれない……。とりあえず、他にもネコが描かれた絵がないか調べてみよう。――シェリル、ジャン、手伝ってくれ」
3人は手分けして木箱の中の絵を一枚一枚、丁寧に確認していった。
古い紙が傷つかないようにそっと動かさなければならないので、思ったよりも時間がかかる作業になってしまった。
「ネコさんの絵、なかなか出てこないね…」
「紙の裏側もよく見てくれ、シェリル。小さくても何かヒントになるものが描いてあるかも……」
「あーーーーっ!!!」
突然ジャンが叫び声を上げた。
「これ!見てください!」
コンラードとシェリルの前に、ジャンが慌てた様子で一枚の紙を差し出す。
そこには絵らしきものは描いていなかった。その代わりに、紙を横断するように点々と走る、小さな黒い痕跡。
「――これ、猫の足跡ですよ!!」
ジャンは急いで瑠璃の間へ走り、クロの肉球にインクを付けて紙に押し付け、その痕を二人に見せた。
「ほんとだ、同じ模様!」
見比べて、シェリルが驚きの声を上げる。
「これって、クロみたいなネコが昔にいたって事だよね、兄様!……あれ、兄様?」
「…あ、すまない。少しぼうっとしてしまった」
コンラードは考え事をしていたのか、妹から何度か呼びかけられてようやく我に返った様子だった。
「殿下、大丈夫ですか?ひょっとして、お疲れなのでは…」
「いや、大丈夫だ。とにかく、全部調べ終わるまで確認していこう」
――三人は辛抱強く調べたが、結局、猫の絵は他には見つからなかった。
「くそっ、足跡以外は無しか…」
「そう気落ちするな、ジャン。ネコは見つからなかったが、分かった事もある」
コンラードはジャンに幾つかの絵を示しながら言った。
「例えばこの絵。これはヴァルミール宮殿の正門を描いているようだが、一番上にあるはずの二頭の鷲の像が描かれていない。あれは200年ほど前、内乱を治めた当時の王が国に睨みを利かすという意味を込めて置いたそうだ」
「じゃあ…」
「そう、少なくともこの絵は200年以上前の作品という事になる。それからこっちの絵。貴族の女性達を描いているが、どの女性も髪を布で覆っているだろう?これは西方の国々の女性の伝統的な装束だ。西方から嫁いだ王妃はただ一人、古の王朝時代にいたとされている。その時代になると明確な記録がほとんどないから断定はできないが、およそ――今から400年前だ」
「400年…!」
「断定はできないが、同じ木箱の中で保管されていた事を考えるとこのネコの絵も同時代の可能性がある。ひとまず、私に分かるのはそのくらいかな。──惜しいな、こういう時にあの男がいてくれれば……」
「あの男?」
「……私の教師のひとりでね。君が宮殿に来た頃と入れ替わるように休暇に出てしまったんだけど、とても博識で、文化や風俗の知識に関しては彼の右に出る者はいない。彼が戻ってきたら、もっと多くのことが分かるはずなんだが…」
コンラードは残念そうにため息を吐いた。
「その人は…今、どこに?」
「どこだろうな……かなりの変わり者で、好奇心の赴くままに“調査”と称して旅に出てしまうんだ。そろそろ帰ってきてくれると良いんだけど…」
「…そうでしたか」
コンラードが信頼を寄せている知識人の不在は、確かにジャンにとっても悔しい。
それでも、とジャンの目は希望で輝いていた。
「今日見つかったこの猫の絵と足跡と—―この二つだけでも、猫が人と共に暮らしていた重要な証拠になるはずです。これを皆さんにお見せすれば、猫達が警戒しなければいけない生き物ではないことを分かっていただけるのでは…」
明るい表情のジャンとは対照的に、コンラードは少しの間考えこんだ。
そして、渋い表情でジャンに告げた。
「残念だが、――今は難しいと思う」
「…何故ですか?」
「この絵が本物だという証明ができない」
思わぬ言葉にジャンは戸惑う。
「え……いや、でも…王族の方々が集められたものなんですよね?」
「君と私が懇意にしているのは宮廷の人間であれば誰でも知るところだ。父上や、未だにネコに懐疑的な人達にこれを見せて説得したところで、君が私と結託して贋作を作ったのだと主張されれば反論できる術がない」
「まさか…!僕はともかく、殿下が疑われるなんて…!」
「長く引きこもっていた王子を良く思わない者がいるのは当然のことだろう。――ジャン、すまないがこの件を公にするのは少し待ってくれ。……私に関わったせいで有力な証拠を活かす事ができなくなって、本当にすまない」
王子に頭を下げられてジャンは「やめてください」と止めるのが精一杯だった。
だが、ずっと二人の会話を聞いていたシェリルは兄を見上げ、不思議そうな顔をして言った。
「父様にお話ししたら?」
「……え?」
「父様に直接、兄様がお話してみたら?」
「……いや、それは……」
意表を突いた妹の提案に、コンラードは少し狼狽する。
「父様にちゃんと説明したら、分かってくれると思うけど」
「…シェリル、父上は、私の事を信用していないんだ。だから…」
宝石のように美しい王女の瞳が揺れる。
「兄様は父様と話してないのに、どうして父様の気持ちが兄様に分かるの?」
「…………」
幼い妹の問いに、コンラードは答える事ができなかった。
傾き始めた陽は影を長く引き、部屋には沈黙だけが重く積もっていった。




