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はじめまして、猫様。  作者: 西藤
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44.祝祭と玉座

それからコンラードは幾度となく瑠璃(ロンダイト)の間を訪れるようになった。

念願の猫が喉を鳴らす音を聞いたり、天鵞絨(ビロード)のように柔らかな額を檻ごしに指先で撫でるたびに王子は目をキラキラと輝かせ、持ち込んだスケッチにペンを大急ぎで走らせる。

その様子を居合わせた宮廷人達は微笑ましく見守り、王子に気を遣わせぬよう静かに部屋を去っていくのが慣例になった。王子があとひと月程で宮殿を離れるのは周知の事実であり、だからこそ、この限られた時間を少しでも有意義に過ごしてほしいと誰もが心から願っていた。


「兄様、やっぱりすごい!クロもハナも生きているみたいに見えるよ」

「ありがとう。シェリルもよく描けているじゃないか。さすが私の自慢の妹だ」

「うそだー。全然兄様みたいに描けてないよ」


最近はコンラードを真似てシェリルも紙に線を走らせるようになった。

とはいえ仕上がる作品はやはり年相応で、なんとも愛嬌のある猫の絵がいくつも誕生していた。

付き添いの女官が「お上手ですとも」といくら褒めそやしても、シェリルは不満げに頬を膨らます。

兄が元気を取り戻してからの彼女は笑顔の輝きが増して、年相応の表情がよく見られるようになった。

「兄様、どうやったら絵ってうまく描けるの?」

「…まぁ、まずは上手な人の真似をすること、かな?」

コンラードにそう言われ、シェリルはスケッチの内の一枚をもらってそれを真似てみることにした。

「おかしいなぁ…ちゃんとよく見て描いてるのに、顔が全然似ないよ…何で兄様と違うの?…」

小さなイスに腰かけて一生懸命スケッチに励むシェリルを眺めながら、コンラードは用意された紅茶に口を付けてふと零した。


「…あと何回、クロとハナに会えるだろうか」

「…殿下」

「こんなことなら、もっと早くから瑠璃の間を訪れるべきだったよ…私は今、とても楽しいんだ。生きている事が、とても…楽しい」

「楽しみを感じられるのは、たいへん素晴らしいことでございます。身体がいくら健康でも、何の楽しみも感じられずに生きる人間はごまんとおります」

コンラードの側に控える執事長のロータスが、落ち着いた口調で返す。

「ロータスは楽しい?」

「楽しそうにしている殿下にお仕えする事が、私の何よりの楽しみでございます」

ふふっとコンラードは微笑んだ。


「…私はずっと、この体で人前に出る事は父に迷惑を掛けると思っていた。王の威厳を落とすような真似は避けるべきだと。でも、この前久しぶりに部屋の外に出た時、…実は手が震えていたんだ」

先程までペンを握っていた己の掌をコンラードは見つめる。

「今にして思えば、父のため、国のためと言いながら、本心では周囲の同情の目に晒されるのが怖かったんだと思う。――君が来てくれて良かったよ、ジャン」

「……えっ?」

「君とクロに会えていなかったら…僕はまだあの部屋に閉じこもっていたままだったのだから」


思いがけない王子の謝辞に思わず言葉を詰まらせるジャンだったが、怪訝な表情でロータスが呟いた。

「……会えていなかったら、とは?」

――まずい!

「な…何でもない!ロータス、ご覧よ。ハナがクロの尻尾にじゃれついている。何て素敵な光景なんだろう!ねぇ、ジャン!」

「そそそ、そうでございますねっ!」

慌てて話を逸らす二人をしばらく凝視していたロータスだったが、やがて「まぁ、よいでしょう」と言ってそれ以上は追及しなかった。

長年王家に仕えてきた侍従長にとっては、コンラードの幸せが何よりも優先されるのだ。


******


無事に今日のスケッチを終えて自室に戻っていったコンラード達と入れ替わりで、セバスター邸を訪れていたカイルが瑠璃の間に戻ってきた。だが、その表情は浮かない。


「顔色が優れないみたいだけど、どうしたの?まさか…ソラに何かあった?それとも、エヴァ様に…」

「いや、そうじゃないけど。…ソラもエヴァ様も相変わらずとても元気だし、今日なんか午後のお茶に付き合えって言われて、お手製のビスケットをたくさん振舞ってもらっちゃった」

セバスター夫妻も王子が姿を現した事、猫達の人気が宮殿内でうなぎのぼりになっている事をとても喜んでいるそうだ。

そこまで話すとカイルは声を小さくして、ジャンに行った。

「実は、帰ってくる途中に偶然立ち話が聞こえて…それが、コンラード殿下の話題でさ」


――殿下も、今になって存在感を強めたがるとはね…やはり次期国王の椅子にご執心ということだ。

――例の祝祭前に少しでも売り込んで、あわよくば…ということだろう。今更どう動こうが、もう王の中では世継ぎは決まっているだろうに。何とも未練がましい…


「――未練がましい?!殿下がそんな事、思っているわけないじゃないか!」

コンラードに向けられた心無い声に、ジャンは怒りで頬を紅潮させた。

見張りの兵もいる手前、慌ててカイルはジャンをなだめる。

「僕もそれは分かっているから、悔しくて仕方なかったよ…」

「…カイル、”例の祝祭”っていうのは何の事?」

「あぁ、それは光耀祭の事だと思う。王様の誕生日を祝うお祭りだよ。」

「誕生日…」

「そう。ジャンは知らないと思うけど、毎年盛大に行われるんだよ。貴族は普段の倍以上に着飾るし、僕みたいな下っ端にもお酒が振舞われたりしてね。…噂だと、そこで次の王太子が発表されるんだって。だから光耀祭の前に、コンラード殿下をヴァルミール宮(ここ)からリヴェルノア宮へ引っ越しさせたいみたい」

「…そうなんだ」


政ごとから遠く離れた位置にいるジャンにはどうしようもない状況ではあるのだが、それでも本当にこれで良いのだろうか、と思ってしまう。

先程まで王子が遊んでいたねこじゃらしを見つめながら、ジャンは考え込んだ。


夜の帳が宮殿に静かに落ち始めていた。

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