41.楽しい思い出
コンラードのスケッチはとても手慣れていて、あっという間に絵が仕上がっていく。
紙の上に描かれたクロは実物と同じように愛らしく生き生きと描かれていて、ジャンは心の中で何度も感嘆のため息をついた。
何個目かのスケッチをコンラードが描き終わった時、クロは今までどっかりと降ろしていた腰を上げて背伸びをすると、まるでもう飽きたとでも言うようにぴょんとベッドから飛び降りてしまった。
「あ、待てって――」
慌ててジャンが追いかけるが、クロは追いかけっこを楽しむようにして広い部屋の中を好き勝手に走り始める。
「いいよ、好きにさせてあげてくれ。ずっと同じ体勢でいたのが疲れたんだろう。賢い子だな、僕の”じっとしていてほしい”という気持ちが分かったんだね」
コンラードが微笑む横で、シェリルが彼のノートをのぞき込んだ。
「兄様の絵、やっぱり何度見ても素敵ね」
「ありがとう。”王位を継ぐ人間がそんな真似をするな”なんて、父上にはよく叱られたけど。今になってみると、なんだか懐かしいな」
「叱るなんて、そんな!」
憤った声を上げたのは、クロを抱っこして戻ってきたジャンだった。
「僕、美術は2だったけど…じゃなくて、芸術の素養が無い僕にでも、殿下の絵が素晴らしいという事は分かります!何て言うか…線が綺麗で、ひと目でクロだってすぐに分かるくらい特徴を捉えていらっしゃるし、見ていて何だか胸がときめくような…そういう表現力って誰にでもあるわけじゃないと思うんです。とにかく、殿下にはとても特別な才能がお有りなんだと思います!」
「――ありがとう」
まくしたてるジャンを落ち着かせるようにコンラードは笑みを見せた。
「そんな風に言ってくれて嬉しいよ。…折よく私は、近々この宮殿を離れる予定だ。そこでなら、きっと誰の目も気にする事なく生き物の絵を描いて過ごせるだろう。どれだけあるか分からないが、楽しい余生を過ごす事が出来そうだ」
「宮殿を…離れる?」
思ってもみなかった告白に、ジャンは思わずコンラードに問い返した。
事情を以前から知っていたのだろう、シェリルは兄の言葉を聞くと悲しそうな顔でうつむいた。
「ああ、これは父上の配慮なんだ。王位を継げなくなった王太子にとって、王都にいつまでもいるのは肩身が狭いだろうとね。今度住む予定の宮殿は少し田舎にはなるが、長閑でいい所だ。…妹と顔を合わせにくくなるのだけは、寂しいけどね」
「…私、やっぱり反対よ!兄様が遠くにいってしまうなんて!」
シェリルが叫んだ。
「ここにいてよ、兄様!」
「大丈夫さ、二度と会えなくなるわけじゃない。たまには会いに来ておくれよ、お前の可愛い顔を見忘れたくないからね」
「…でも…」
「さ、もうお帰り。ジャンもありがとう、クロを連れて来てくれて。とても楽しい思い出が出来たよ」
「――あの、もしよろしければ…またクロを連れて来ましょうか?」
ジャンの申し出に王子は首を振った。
「気持ちは嬉しいが、もうこんな危険な真似はしないでほしい。…君の力になれるかどうかは分からないが、僕もネコ達の行く末が幸せになるように祈っている」
その表情は寂しさを漂わせつつも、彼の確かな決意を感じさせるものだった。
強い青年だ。部屋に引きこもっているという話を聞いていたから、鬱屈とした人物を想像していたジャンだったが、実際に会った王子はまるで違った。
不本意な目に遭い、身体の自由を失いながらも周囲に最大限の配慮を欠かさない。
本当はもっとスケッチを続けたいだろうに、二人に早く退室を促したのもジャンの身の上を案じての事だろう。
(やっぱり、この人は…)
カゴの中に再びクロを入れ、戻る準備が整うとジャンは王子に言った。
「殿下、今宵はお見せする事が出来ませんでしたが…ネコは、機嫌が良い時には喉を鳴らすのです」
「…喉?」
「ゴロゴロ、ゴロゴロってとても不思議な音を鳴らします。シェリル殿下は聞いた事がありますよね?」
ある!と元気よくシェリルは手を挙げた。
「あとは、こんな小さな体だけど高く跳躍する事が出来ます。そこにある棚の上なら、造作もなく飛び乗る事ができるでしょう。爪を研ぐのも好きですね。一生懸命爪を研いでいる姿って、とても可愛らしいんですよ」
立て続けにネコの特徴を説明されて、少し困惑した様子のコンラードにジャンは静かに告げた。
「僕たちは瑠璃の間にいます。殿下がお見えになれば、いつでもネコ達の元気な姿を御覧に入れましょう」
コンラードの紫の瞳が見開いた。
ジャンは一礼した後、シェリルと共に再び秘密の通路に潜った。
行きと同じように身を屈めながらなんとか進み続け、しばらくすると、シェリルが足を止めた。
「私、兄様が王様になればいいなって思うの」
「僕もそう思う」
肩を震わせて泣く少女を落ち着かせるように、ジャンは背中をそっと撫でた。
――ジャンとシェリルが去った後、部屋に一人残されたコンラードはノートを開き、自分が描き記したクロの絵を無言のまま見つめていた。




