40.王子のノート
「…では、ご覧ください」
王子の招きに応じたジャンは、籐で出来たカゴの扉をおもむろに開けた。
真っ黒な毛並みの生き物が待ってましたと言わんばかりにぴょこんと頭を覗かせる。
「……!」
コンラードが息を呑む。
美しい紫の瞳はまん丸に見開かれていた。
「おいで、クロ」
ジャンはカゴの中からクロを抱き寄せ、しばらく辛抱してくれていたクロの体をポンポンと労わるように撫でた。ゴロゴロと喉を鳴らしてクロがジャンに甘えるように鼻先を擦り付ける。
「――これが”猫”でございます、殿下」
「…確かに、そっくりだ。でも、思っていたよりずっと小さい」
少しだけ引きつった表情のコンラードは、それでも冷静さを保ったまま言葉を紡ぎ出す。
「そうでしょ?兄様!私も最初見た時はびっくりしたけど、触っても怒らないし、おとなしいし、とってもいい子なんだよ!」
そうだな、と、コンラードはシェリルの頭を撫でた。
「君、もう少し近くで見せてくれないか?」
「あ、はい――」
ジャンが王子の横たわるベッドに歩み寄った時。
クロがジャンの腕を逃れ、ぴょんっ、とベッドの上に飛び降りてしまった。
「あっ!クロ、そこに降りたらダメだって――」
急いでジャンがクロを抱き抱えようとするが、その腕を回避したクロはぽてぽてと王子の元へ向かう。
そして毛布に覆われた王子の太腿の上に座り込んでしまった。
「すっ、す、すみません!…こらっ、クロ!」
「…いいから」
慌てふためくジャンを、コンラードは手で制した。
「すごく温かいな、この子。冬になったら重宝しそうだ」
くすりとコンラードは笑みをもらした後、まじまじとクロを見つめる。
クロもその視線に応えるように顔を上げ、王子の瞳を見つめ返した。
「…ジャンと言ったっけ。この子以外にも何匹かネコがいるんだろう?みんなこういう色をしているんだろうか」
「いえ、クロはたまたま真っ黒な色をしているんですけど。他には白とか茶色とか、縞模様とか、お腹だけ白かったりとか…とにかくたくさん種類があります」
ジャンの返答に合わせるように、クロがにゃーと鳴いた。
「ずいぶん高い声で鳴くんだな。あ、牙が見えた。エサは何を食べてるのかな。やっぱり肉?」
コンラードは興味深げに、次から次へジャンに質問を投げかけた。シェリルが言った通り、「動物が好き」というのは本当のようだ。
すっかり腰を落ち着けてしまったクロに、コンラードはそっと手を伸ばすと毛並みの柔らかさを確かめるように何度も撫でた後、急にため息を吐いた。
「――参ったな。己の性分には逆らえないものだ。シェリル、僕のノートとペンを持ってきてくれないか」
「はい!」
はちきれんばかりの笑顔でシェリルが部屋の奥へ駆け出す。
何事か、と呆気にとられるジャンにコンラードが小さな声で呟く。
「こんな体になっても、好奇心というものは変わらず僕の中に存在しているらしい」
「好奇心…」
「全く、どうして未知の生き物というのは、これほど魅力的なのだろうね」
走って戻ってきたシェリルの手には、厚くて古びた表紙のノートが握られていた。
コンラードはそれを受け取ると、何ページかペラペラとめくってみせた。
ジャンは息を呑む。
そこには、美麗な筆致で描かれた、たくさんの動物のスケッチが並んでいた。
「少しだけおとなしくしておいてくれよ、クロ」
にこりとクロに微笑みかけると、コンラードは、シェリルが用意したペンにインクを浸し、さらさらとノートに線を走らせ始めた。
部屋の中には、ペンが紙を滑る音だけが静かに響き、ジャンとシェリルは目を輝かせてスケッチを続けるコンラードの様子をじっと見守っていた。




