38.秘密の冒険
「で…でも、一体どうやって猫をコンラード殿下のところまで連れていけばいいんでしょう」
不安そうな顔でカイルが言った。
「王族のお部屋の前には必ず警備の兵が常駐していますし、侍従も使用人も昼夜問わず大勢控えているはずですよ。僕らが箱や袋に隠して猫を運んだとしても、必ず中身を改められます。正直言って、内緒で持ち込むのはかなりハードルが高いかと…」
確かに、王族となると宰相の邸宅よりもはるかに警備が厳しくなるという事はジャンにも想像できた。
「…シェリル殿下に自ら運んでいただくというのは?」
「どうだろう、一匹だけにしてもけっこうな重さだよ?王族の居住区まではだいぶ距離があるし、ちょっと無理があると思う」
「なら、僕らがシェリル殿下に付き添うという形で入室すればどう?コンラード殿下にお見舞いの品を持ってきた、みたいな理由を付ければ…」
「ジャン、分かってる?僕ら、この宮廷ではそこそこ有名人なんだよ。魔物の世話役が王室の部屋にのこのこやって来て、警備の兵が怪しまないわけがないだろう?」
「大丈夫」
ジャンとカイルのやり取りで若干重くなりかけた空気を振り払うように、シェリルはきっぱりと言い切った。そして、シェリルはおもむろに自らが隠れていた大きな絵画の元へ向かった。
絢爛豪華な額縁にその絵には、勇ましく戦場で活躍する兵士達の姿が描かれている。自分の身長よりもずっと大きなその絵を指して、シェリルは二人に言った。
「これ、退かしてみて」
王女の命令通りに二人がその絵を壁から離してみると――
「な、何だ、これ!?」
そこには、ぽっかりと大きな穴が口を開けていた。
「秘密の通路。何か危ないことがあった時は、この道を使って逃げるように言われてる。兄様の部屋にも母様や父様の部屋にも通じているよ」
万が一の時の為に備えられていた、王族しか知らない隠し通路。
まさかそんなものが存在していたとは思いもよらず、ジャンとカイルは息を呑んだ。
「では、殿下はこの道を通って…」
「そう。兄様の部屋には昔よく遊びに行ってたけど、こっちの方の道は通った事がなかったから道に迷ったりして大変だったの」
「…もしかして…殿下、この道を通ってきた時に何かを叩いたりしました?」
「ええ、とても古い通路だから、道が塞がれて進めないところもいくつかあったわ。ここまでたどり着くのに何日もかかっちゃった。…でも、どうして?」
「…いえ、何でもないです」
ジャンとカイルは目配せで頷き合った。
これまでの怪奇現象はどうやらこの王女が犯人だったらしい。
「――とにかく、この道をたどっていけば…誰にも見つからずにコンラード殿下の部屋まで行けるという事ですね!」
ジャンの言葉にシェリルは大きく頷く。
「…水を差す様で申し訳ないですが、いきなり猫を連れていって…殿下は驚かれないでしょうか?万が一、機嫌を損ねてしまうような事があったら…」
カイルが申し訳なさそうな顔でシェリルに尋ねるが、シェリルは首を振った。
「兄様は絶対怒らないから大丈夫」
「そう…ですか。お優しい方なんですね」
カイルの問いに、シェリルは頬を緩めて答えた。
「優しいっていうのもあるけど。兄様は、生き物が大好きなんだ」
**********
後日、王宮に夜の帳が落ちた頃、暗くて細い秘密の通路の中を進むジャンとシェリルの姿があった。
ランプを持って先導してくれるシェリルはスイスイと進めるが、成人男性のジャンは身を屈めて進まねばならず、おまけにクロを入れたカゴを運んでいるせいで、想像以上の過酷な道のりとなってしまっていた。
カゴの中に入れたクロがにゃーにゃーと声を上げている。
「…ごめんなクロ、あとほんのちょっとだけ辛抱してくれよ」
はぁはぁと息を切らしながらジャンはクロに謝った。
結局、連れて行くのはクロ一匹にした。瑠璃の間を見張る兵にはシェリルから直接説明してもらい、少しの間だけクロを連れ出す事に目をつぶってもらう事にした。
――今まで数々の危機を乗り越えてきた、奇跡の黒猫。
あとほんの少し力を貸してくれ、とジャンはクロをカゴごと抱きしめた。
「ジャン、大丈夫?あともう少しで着くよ」
「…はぁ、はぁ、何とか大丈夫です…それより、本当に人払いの件は大丈夫でしょうか?これだけ苦労して辿り着いて、もしコンラード殿下のお部屋に、誰かいたら…」
「兄様に連絡してある。大丈夫」
シェリルはランプの灯りを揺らしながら言った。
「前はよく、この道を使って兄様の部屋に遊びに行ってたから。昼のあいだに兄様にお願いしておくの。そうすると、その夜の兄様は部屋から人払いして待っててくれるんだ。今日はお手紙を出しておいたから、きっと大丈夫だよ」
「…お手紙?」
「前はお食事の時にお願いしてたんだけど、兄様が怪我をしてからは部屋から出て来なくなっちゃって…でも、お手紙だったらちゃんと伝わると思うの。”見せたいものがある”って書いておいたから、きっと楽しみに待っててくれてるはずだよ」
シェリルは自信たっぷりというように笑顔を見せたが、ジャンは不安が募った。
負傷して半身不随になったという王子が、心まで深く傷ついている――それは、これまでのシェリルの話から十分に察することができた。
その彼が、自分とクロを一体どう受け止めるのか。ジャンには全く想像がつかなかった。
「――ジャン、着いたよ」
シェリルはそう囁き、通路の壁の一角を指さした。
そこだけは周囲の石造りの壁とは違い、赤茶色の木の板でふさがれている。
「ちょっとここで待っててね」
小声でそう告げると、シェリルは、板に向かってコンコンと二度ノックした。
するとすぐに、壁の向こうから――
「お入りなさい」と、柔らかく落ち着いた声が返ってきたのだった。




