37.奇跡の力
「お…王女!?本当に!?」
「本当だって!王様の一族は、みんな紫色の目を持ってるんだ。この王宮に住んでいる人なら、誰だって知ってる話だよ!」
二人が慌てふためいていると、廊下から兵士の二人が戻ってきた。
「た、大変です!あ、あの、ここに――」
「待って!」
声を上げて兵士達に呼びかけようとしたジャンの服の裾を少女が引っ張った。
「誰にも私の事を言わないで。ちょっとだけでいいから、話を聞いて」
小さな声だが、有無を言わせないといった態度で少女はジャンの目をのぞき込む。
「…わ、分かった、分かりましたから。…少しここでお待ち下さい」
ジャンは困惑しながらも、兵士達に入口の警備を強化するように頼み、ひとまず瑠璃の間から退室してもらった。
「――それで、お話というのは?」
控室に置いてある貧相なソファにちょこんと小さな体を乗せた王女は、ジャンに問いかけられるとやや視線を伏せて言った。
「コンラード兄様を助けてほしいの」
――兄様。
それはジャンが以前にエレンから聞いた、5年前のハンプールとの戦争で半身不随になる大怪我を負ってしまったという第一王子のことだろう。
「兄様、前は私と一緒にお外でたくさん遊んでくれた。でもお怪我をされてからは、ずっとお部屋の中にこもったままなの。あんなに大好きだったお馬にも乗ろうとしないの…私、兄様と一緒にお馬に乗るのが大好きだったのに…」
シェリルは声を震わせた。
「最近、女官たちが噂をしてたわ。魔物にそっくりの生き物が現れたんだって。不思議な力があるんだって、嬉しそうに話すのよ。みんな魔物《デモ―ヌ》の形をしたかわいいブローチとか、ネックレスとかたくさん着けていたわ。それを身に着けていると良いことが起こるんですって。だから、だから、私――」
「魔物に、兄様の体を治してもらいたいの」
王女の願いを突き付けられ、ジャンとカイルは何も言葉を発せなかった。
彼女の言う通り、魔物が――猫が――神のような万能の力を持っていたとしたら、どれだけ幸せな事だっただろう。
「お願い、魔物を私にちょうだい。兄様を治してくれたら、すぐに返すから」
希望で瞳を輝かせたシェリルに詰め寄られ、ジャンは言葉に詰まった。
カイルが何とも言えない顔つきでジャンを伺う。どうしたら良いのか分からないのは彼も同じなのだろう。
少しの間ジャンは沈黙してから、シェリルに言った。
「……殿下、魔物をご覧になりますか?」
「見たい!」
力強く頷いた彼女をジャンは瑠璃の間に案内する。
瑠璃色の壁に囲まれた部屋の隅にぽつんと置かれた檻の中。
そこに、少女の求める“奇跡の生き物”がいた。
真っ黒な毛並みが特徴のクロと、白黒の模様が愛らしいハナ。二匹はその体をくっつけ合ってすやすやと眠っている最中だった。
「これが…魔物」
シェリルはジャンの背に体を隠しながら、恐る恐るといった様子で二匹を見つめた。
「見た目はやはり怖いですか、殿下?」
「…怖くない。思っていたより、小さいし」
そういうシェリルの両手はしっかりとジャンの服の裾を握りしめている。
苦笑しながらジャンは落ち着かせるように王女の肩に手を置いた。
「こちらは魔物ではなく、猫と申します。外見こそ魔物にそっくりですが、一日の大半を寝て過ごし、人に攻撃を与えられるほどの力もありません。反対に人に懐く子も多く、宰相様のお屋敷ではもう一匹の猫がご夫妻に可愛がられながら大切に飼育されております」
「宰相様のおうちに?じゃあ、宰相様にも何か良いことが起こったの?」
「……起こりました。とても、素敵な奇跡が」
「じゃあ、兄様のところに連れていけば、きっと…!」
ぱっと花が咲いたように表情を綻ばせたシェリルに、ジャンは優しい口調で静かに言った。
「殿下。奇跡を起こしたのは、猫ではございません。奇跡とは、人が困難に立ち向かった時にこそ、生まれるものでございます」
淡い紫の瞳は不思議そうにジャンを見つめ返す。
「僕がこの子に出会った時は、本当に何もできない落ちこぼれの一兵士でした。猫と関わった人達は、困難に立ち向かう勇気をほんの少しもらえるんです。
僕はクロに出会うまではただの落ちこぼれの一兵士でした。そんな僕が今こうして殿下の目の間にいる事自体が、とてつもない奇跡ですけど…それは、この猫が僕にほんの少しだけ勇気を与えてくれたからなのです。
僕はこれまで、たくさん奇跡を見てきました。でもそれはいつだって、クロからほんの少し勇気をもらった誰かが一歩踏み出して頑張った、その結果なんです。
…殿下。お兄様の御身体が治るのか、それは僕にはわかりません。
ただ、お兄様の”心”が、ほんの少しでも前を向けるようになる、そのお手伝いならもしかしたら出来るかもしれません」
シェリルは下を向いた。
「…がっかりされてしまいましたか?」
「兄様、お怪我をしてからずっとお部屋で一人でいるの。…私の前では明るい兄様でいてくれるけど、本当は…とてもつらそうで…。好きだった趣味も全然出来なくなっちゃって、なんだか本当に兄様が消えていってしまいそうなの。……私、元の兄様みたいに元気になってほしい」
涙が零れそうな少女の両手を取ると、ジャンは笑顔で言った。
「分かりました。必ず、お兄様の元へ猫をお連れしましょう」
王女の小さく白い掌は、祈りを込めるように――ぎゅっとジャンの手を握り返した。




