36.紫の瞳
侍従長に一日の報告を済ませ、瑠璃の間に戻ってきたジャンとカイルを待っていたのは香ばしく甘い香りだった。
その正体はテーブルに並べられた、大量の果物のタルト。
見張りの兵の二人によると、ネーサン男爵の令嬢から届けられたのだという。
「ネーサン男爵の…あぁ、僕が編みぐるみを渡した方だ!そのお礼に?!…すごい、こんなプレゼントを頂けるなんて…」
「うわ、美味しそう!カイル、これ、一つ頂いていいかな」
「一つだなんて、とんでもない!こんなに僕一人じゃ食べきれないんだからたくさん食べて。あ、兵士さん達も一緒に食べましょう?」
思いがけない差し入れに四人は顔をほころばせながら舌鼓を打った。
そんな和やかな空気が瑠璃の間に漂っていた、その時。
――ドンドンドン!
「…またか!」
以前も起こった、どこからとも知れない衝撃音。
「お二人は危険ですからここで待機していて下さい!」
兵士達は武器を取ると、急いで廊下に飛び出して行った。
「何なんだよ、もう!嫌がらせ?それともほんとに…」
「怪談はいいって!」
泣き言を吐くカイルをたしなめたジャンは部屋をぐるっと見渡した。特に変わった様子は見当たらない。
ふと、ジャンは瑠璃の間に隣接している控室へ向かった。
使われなくなってしばらく経つという瑠璃の間。その控室にはソファとローテーブル、他にはいくつもの大きな絵画や埃をかぶった茶器などが雑然と置かれている。
薄暗い控室の中を注意深く凝視していると、ジャンは違和感に気が付いた。
壁に立てかけられた額縁付きの大きな絵画が、今、ほんの少しだけ動いたような――
――幽霊?
背筋に冷たいものが走る。
…いや、そんなバカな。
いくらここが異世界だからって、超常現象まで起こってたまるか。
「…誰か、そこにいるのか?」
ジャンは勇気を振り絞って声を掛けた。
すると、ガタガタッと音を立てて大きな絵画が揺れて――
…現れたのは、眩いばかりの純白のドレスを見にまとった小さな女の子だった。
年は10歳にも満たないくらいだろうか。
プラチナブロンドの髪は薄暗い部屋の中でもほのかに輝きを放っていて、淡い紫色の特徴的な瞳は宝石のように美しい。まるで絵本の中から飛び出してきた妖精のように愛らしい容貌をした彼女は、平然とした様子でドレスに付いた埃を払った。
「…君、こんな所で何してるの?」
少女はまっすぐにジャンを見つめる。
その淡い紫の光を湛えた瞳に、子どもとは思えない崇高な気品を感じ、ジャンは思わず息を呑んだ。
「もらいにきたの」
「何を?」
「魔物がここにいるって聞いたから。もらいにきたの」
「もらうって…ええと、どういうことかな?近くで見ることは出来るんだけど」
少女は首を振る。必要ない、と言わんばかりに。
ジャンが困惑していると、話し声を聞きつけてカイルがやってきた。
「え、だ、誰?……どうしたの、この子?」
「いや、それがこっちが聞きたいくらいで……どうもこの子、ここに忍び込んでずっと隠れてたみたいなんだ」
「隠れてた!?嘘だろ、参ったな……全然気づかなかった。いつの間に入り込んだんだろう?」
ジャンは少女になるべく優しく話しかけた。
「…ねえ、君はどこのおうちのお嬢さん?お父さんやお母さんが心配してないかな?」
少女は小さな声で答えた。
「パパはいるけど、ママはいない」
「―あ…ごめん」
気まずくなって謝罪したジャンだが、ふと横を見ると、隣にいるカイルが引きつった表情で小刻みに震えていた。
「カイル?…どうした?」
ジャンの問いには答えず、カイルは目の前にいる少女を凝視する。
「……その、紫の瞳………ま……まさか……シェリル殿下で、ございますか…?」
「シェリル?」
きょとんとするジャンに顔を真っ赤にしたカイルが慌ててまくしたてる。
「知らないの?!シェリル殿下だよ!――第一王女の、シェリル殿下!!」
「王女!?」
王女と呼ばれた少女は何の表情も浮かべず、ただ二人を見つめていた。




