35.魔物の御利益
何年ぶりかにセバスター宰相夫妻が揃って宮廷に姿を現したその日。
大きな窓から差し込む光を浴びながら大回廊をゆっくりと進む二人の姿を見て、居合わせた貴族や使用人達は思わず足を止めて見入ってしまった。
夫妻の不仲は宮廷中で知らない者はいないほど有名な話だった。彼らは口をきくこともないほど冷え切った関係で、最近ではセバスター夫人は重い病に侵されているという噂まで広まっていた。
――それがどうだろう。
いつも不機嫌だと言わんばかりのしかめっ面がトレードマークだった宰相は、別人のようににこやかな表情に変わっている。夫人は若い頃と変わらぬ美貌を誇り、日射しを受けてきらきらと輝く髪飾りは彼女の豊かな栗毛をよりいっそう引き立たせていた。
腕を組み、お互いを見つめあいながら歩いていく二人の仲睦まじい様子は、まるで結婚式の新婚の若い夫婦のようだった。
その日から宮廷はセバスター夫妻の噂話でもちきりになった。
驚くことに、夫妻は王に謁見した際に魔物の助命を願い出、しかも国内で再び魔物が現れた場合は自分達が全て引き取ると申し出たという。
あれだけ強硬に魔物を排除するべきだと訴えていた宰相に一体何があったのか、と人々は大いに驚き、動揺し、王宮には様々な噂が飛び交った。
そこへセバスター邸で働く使用人達の証言が加わり、膨らみに膨らんだ噂はやがて一つの結論に集約されていった。
魔物の御利益は本物だ。
特に、恋愛に関しては絶大な効力を発揮する、と。
それからすぐに瑠璃の間の様子は一変した。
魔物のご利益を求め、恋する淑女たちが頻繁に訪れるようになったのである。
「―お願いです、魔物様!私の恋を、どうか叶えて下さい!」
「私の恋も!」
「大好きなあの人とどうか結ばれますように!」
「ね、見てみて!よく見たら魔物様って可愛くない!?」
「だよねー!!私も思った!」
「魔物様ー!こっち向いてー!!」
檻の前できゃあきゃあと騒ぐ娘たちの姿を、カイルは呆然と眺めていた。
朝から晩まで恋に悩む女性が次々に押しかけてきては、愛しの殿方の心をゲットできるように檻の中の二匹に向かって祈りを捧げていく。女性だけではなく、人目につきにくい夜半や早朝を見計らってこっそり訪れる男性の姿も多い。
今までは瑠璃の間の前を通りすぎる事さえ恐れられていたというのに、「恋愛に効く」という触れ込みが出回るやいなや、この騒ぎである。
使用人から貴族まで、老いも若きも胸を煩わせるのはやはり恋という事か。
「…お嬢様方、大変申し訳ございませんがそろそろご退室をお願いいたします」
「えーっ!?どうしてよ!」
「僕も心苦しいのですが、この部屋の人払いをお願いされておりまして…」
カイルが申し訳なさそうにそう伝えると、理由を悟った娘たちは顔を曇らせた。
「あぁ、そういう事。どこぞの公爵さまのご令嬢あたりがお見えになるってわけね」
「高貴な身分の方々は横暴よね。お祈りの時間さえ奪ってしまうんだから」
「仕方ないわよ…目を付けられたら、何をされるか分からないもの。さ、行きましょ」
「ちょっと、…ちょっと待って!」
部屋を出て行こうとする娘たちをカイルは呼び止めた。
そして、奥の控え室から3つの塊を手にして戻って来た。
「もし良かったら…これ、差し上げます」
「!…これは…」
それは、セバスター邸に行ったソラの身代わりとして以前にカイルが作った編みぐるみだった。
今や必要のない代物だが、編みぐるみを見たエヴァがいくつか部屋に飾りたいとジャンを通じて頼んできたので、手の空いた時間にカイルがコツコツと作っていたものだった。
尖った大きな耳と長いしっぽはいかにも猫の特徴を踏まえているが、ボタンを縫い付けたり刺繍をあしらって作られた表情はどこかユーモラスで愛らしい。
「僕が作ったものです。あの二匹の前でずっと作業してたから、もしかしたら…少しはご利益あるかも」
「…………かっわいい~~~~~!!!!」
きゃーっと甲高い声を上げて娘たちは喜んだ。
「すっごくかわいい~~~!!これ、もらっていいの!?」
「ど、どうぞ。本当は別の方に差し上げる予定だったけど、また作ればいいし…」
思わぬプレゼントにはしゃぐ彼女たちを前に、カイルは思わず頬を赤くした。
自分が作ったものがこれほど人に喜んでもらえるとは思わなかったからだ。
(…今度は色を変えて作ってみようかな。そうだ、模様も入れたら可愛いかも)
次作の構想を頭の中で巡らせて、カイルは少しだけ微笑んだ。
――そうやって何気なくカイルが娘たちにあげた編みぐるみだが、これが思わぬ反響を呼ぶことになった。
口コミで噂があっという間に広がり、カイルの元には編みぐるみの注文が殺到したのである。
更に貴族たちはこぞって猫をモチーフにした品々を作り始めた。
職人に特注させたブローチや可愛らしいネコの表情が刺繍でほどこされたハンカチ、柔らかい毛並みを再現した豪華な帽子といった具合に、宮廷内では猫型のモチーフを身につける事が爆発的に流行し始めたのだった。
極めつけは貴婦人たちの、猫の模様をあしらった絢爛豪華なドレスである。
お互いのドレスを褒めたたえ合いながら広い廊下を連れだって歩く彼女達の姿を眺めながら、ジャンとカイルは言葉をしばし失った。
「…ジャン、何だか…とんでもない事になってきてない?」
カイルにそう言われ、ジャンは無言で頷く。
確かにこんな事になるとは考えもしなかった。全く想定外の事態。
だが、悪い方向へ進んでいるわけじゃない。
宮殿に住む大勢の人間にとって猫が怖がられる存在ではなくなったというのは、大きな前進だ。
――この風景を見れば、もしかしたら王様も猫の保護に賛成してくれたりするかもしれない。
ジャンの胸に、ほのかに明るい期待の光が灯った。




