33.告白
魔物が逃げ出した。
「…ど、どういう事だ!?」
「申し訳ございません、宰相殿下!!」
使用人が答えるより先に、数名の兵士が膝を付いてフリードに謝罪した。
「先ほど我々が小屋の中に入った所、檻の中には妙なぬいぐるみが置かれていただけで、魔物の姿がどこにもなかったのです…!おそらく、どこからか脱出してしまった模様で…!殿下、ここは大変危険です!今すぐ退避して下さい!!」
フリードは頭が真っ白になった。
絶望で思わず目眩がしそうになる己を叱咤しながら、使用人達の悲鳴が飛び交う玄関ホールに向かってフリードは叫んだ。
「今すぐ王宮に連絡を!お前達は武器を取れ!…エヴァ、エヴァはどこにいる!?誰かエヴァを―」
「お待ち下さい!!」
騒然とする彼らが一瞬身を震わせるほどの大音量の怒声がホールに響き渡った。
その声の主は—―侍女頭のヘレナだった。
ヘレナは冷静だがとても厳しい表情で、階段の上から彼らを見下ろしていた。
「魔物の行方はわたくしが存じております。…が、所在について申し上げる前に、旦那様お一人にお伝えしたい話がございます。それが済むまでは全員、この場に待機しているように」
「何を言い出す、ヘレナ!話とやらは後で聞くから、早く魔物の居場所を――」
「フレッド!!」
再びの一喝に、フリードは思わず動揺した。
それは幼い頃から面倒を見てくれていたヘレナが何十年ぶりかに口にした呼び名だったからだ。
「時間は取らせないわ。皆はここで待っていて頂戴。…大丈夫、この場の安全は私が保証します」
毅然とした彼女の態度に抗うことができず、フリードは渋々とその後をついていくことにした。
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ヘレナの話を全て聞き終わった時、フリードは駆けだしていた。
彼女はエヴァの身に起こったこれまでの出来事の全てを、約束を破って彼に伝えたのだった。
(…何という事だ。儂は… 儂は、何と情けない男だ…!)
富の象徴である優雅で長大な階段をフリードは必死に駆け上った。
齢53、しかも運動不足の彼の体にはその道のりはやたらと険しく感じられた。
あっという間に膝や腰が悲鳴を上げ、ぜいぜいと息が切れる。
だがそんな事はどうでも良かった。
一刻も早く、一秒でも早く、彼は最愛の妻の元へ駆けつけたかった。
(エヴァ…! エヴァ!!)
やっとたどりついた妻の寝室の扉を、フリードは息を切らしながら開けた。
夕暮れの僅かな残照が、ベッドで眠る妻の横顔を浮かび上がらせていた。
(…エヴァ、)
彼が歩み寄ろうとすると、小さな何かがベッドの上で頭をもたげるのが見えた。
二つの大きな三角耳。恐ろしいその見た目にも関わらず、フリードに怯えはなかった。
「…お前か、儂の妻を守ってくれたのは」
灰色のその生き物は、彼を見上げて返事をするようににゃーと鳴いた。
そして再びその身を丸めてエヴァの傍らで目を閉じた。
「よく眠るというのは、本当なんだな…」
フリードはベッドに腰を下ろした。
年甲斐もない全力疾走のせいでわずかに震えている膝を案じつつ、彼は妻の寝顔を静かに見つめていた。




