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はじめまして、猫様。  作者: 西藤
32/49

32.完璧な宰相

一世一代の告白だった。


春のうららかな日差しの中で、長い栗毛をなびかせる美しい侍女を目の前にしたフリードの顔は花壇の花と同じくらいに真っ赤だっただろう。

初めて会った時からフリードの心を奪ってしまった彼女・エヴァは、数多の男性からのアプローチを既に受けているという噂を聞いていた。


士官学校では成績優秀で有名だった彼だが、実は奥手な性格で、恋人の一人も出来た事がなかった。

フリードは震えそうになる手を必死で抑えながら髪飾りを彼女に差し出し、ずっと胸の内にしまっていた素直な思いを伝えると、エヴァは周囲の花が霞んでしまうくらいのまばゆい笑顔を見せたのだった。


愛するエヴァを妻として迎え、後に宰相職を継ぐとフリードは他国の政策を取り入れるなど大胆な改革を提案し、当時脆弱だった財政の立て直しに大きく貢献した。

博識と果断を備えた辣腕には賞賛の声が寄せられ、彼は完璧な宰相(グランド・セイジ)と評された。


――あの頃の自分は、自信に満ちていた。

何もかもがうまくいくのだと…そう信じていたのだ。


ハンプールとの戦争が終わった時、フリードは己に対する深い失望に苛まれていた。完璧だったはずの彼の予測は外れ、誤算の代償として多くの兵士の命が失なわれた。彼にとって初めて味わう大きな挫折は、想像以上の痛みと苦しみをもたらしたのだった。


戦争には勝利したため彼の責任を問う声は表立っては少なかったものの、諸侯や高官たちの視線の冷たさが彼らの声を代弁していた。

針の筵に座らされているような時間は彼の精神を荒廃させていった。


久しぶりに私邸に戻った時、彼はエヴァの顔をまともに見ることができなかった。

もしも彼女にまで失望の眼差しを向けられたら、その時再び立ち上がる気力があるのかどうか、フリードには想像もできなかった。

完璧な宰相(グランド・セイジ)ではなくなった彼に優しく接しようとする妻の気遣いは傷を抉るものでしかなく、彼はエヴァとの距離を取るようになった。

あれだけ愛した女性に向き合う勇気が持てず、彼は逃げることを選んだのだ。

周囲の人間を遠ざけて一人きりになったところでようやく彼は気が付いた。


完璧な宰相(グランド・セイジ)などどこにもいない。

そこにいたのは、ただの臆病で意気地のない男だった。



そしてエヴァとの関係が修復できないまま、今回の魔物(デモーヌ)騒動を迎える。

民の間に広がる王の悪評をこれ以上増やしたくない一心で、フリードは魔物(デモーヌ)そっくりの生き物は即刻処分するよう主張していた。だが御前会議は思わぬ方向へ話が進み、就任したての王族護衛隊隊長によって彼の軽率な行為が暴露された結果、王は見せしめのように例の生き物をフリードの私邸で管理するように命じたのだった。


フリードは地の底へ叩き落された。

諸官や王からの信頼を取り戻そうと奔走していた彼だったが、これでは信頼回復どころか嘲笑の的である。

彼の名誉の為に付け加えておくが、フリードは初孫の誕生に浮かれて護衛隊の騎馬を無断拝借したわけではない。

産後の肥立ちがあまり良くないと落ち込む娘を少しでも元気づけたい一心で、たまたま通りがかった護衛隊に僅かな時間だけ馬を貸してもらい、サプライズという形で初孫の誕生会に華を添えた――というのが事の真相である。


しかしどんな理由があろうと、王の持ち物である騎馬を無断拝借したのは不敬にあたる。

普段の慎重な彼なら、たとえ娘のためだとしてもこのような行動はしなかったはずだ。

だが護衛隊に就任したばかりの女隊長、エレン・カーリアンの評判がすこぶる悪かったことが彼の判断を誤らせてしまった。


いくら先代隊長の後継者とはいえ、まだ年若で馬にも乗るのを恐れるような小心者という彼女が就任して以来、護衛隊の指揮は下がる一方だという噂がフリードの耳にも入っていた。

だから騎馬隊が通りがかるのを見かけた時、彼らに少し言い含めておけば彼女に告げ口をすることもあるまいと高をくくってしまったのである。


そして目論見は見事に外れ、フリードは王の前で大恥を掻くことになってしまった。

彼女は数週間前の姿とは違い、どこか自信に満ち溢れ、国王の盾と称された彼女の父を彷彿とさせる風格さえ漂わせ始めていた。部下との信頼関係も以前とは見違えるほど強固になっているようにも見える。

彼女に何が起こったのかは知るよしもないが、ともかく彼は再び失態を演じてしまった。

使用人達と妻には、王の命令なのでしばらく辛抱してほしいと伝えるのが精いっぱいだった。己の不祥事がきっかけで、とは口が裂けても言えない。

だが悪い噂ほど早く広まるのが人の世だ。遅かれ早かれ当主の醜聞は彼らの耳に届くことになるだろう。


…妻はどう思うだろうか。

やはり幻滅するだろう。

きっと彼女は夫が押し付けられた厄介物に対して恨みがましい目で見つめながら、旦那には愛想が尽きたなどとこぼしていることだろう。

恐れていた失望の目を、今度こそ彼女から向けられると思うとフリードは目の前が真っ暗になった。


その日の会議がやっと終わり、フリードは帰路についた。議題の半分は頭に入っていない。

この先の身の振り方をどうしたら良いか、妻にどう向き合えば良いか、何一つ答えが出ずに途方に暮れながら自邸に戻った彼だが、邸内の様子がどこか妙に騒がしいことに気づいた。

帰宅した主人の姿を見つけた使用人が血相を変えて駆け寄り、声を張り上げる。


「た――大変でございます、旦那様!!魔物(デモ―ヌ)が、逃げ出しました!!」

更新が不定期で申し訳ありません…

小説を発表するのは初めてですが、執筆というのはこんなに大変なのかと痛感しています。

完結に向けて頑張りますので、よろしければ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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