31.思い出
―あなたの髪に、似合うと思って…
朴訥とした、穏やかな青年の声が聞こえる。
ああ、これはあの日の風景だ。
全てが輝いて、希望に満ちていたあの頃の―
朝の日差しが射し込む部屋の中で、エヴァは目を覚ました。
…久しぶりに夢を見た。
しかも、とても懐かしい夢。
彼女は起き上がり、鏡台の引き出しを開けると一番奥にしまっておいた紫檀の木箱を取り出した。
その箱の中から出てきたのは、眩く光る髪飾りだった。
かつて夫から贈られたその髪飾りは七色に光るオパールと金細工があしらわれていて、時を経てもなお色褪せない輝きを放っていた。
あの時、「着けてくださる?」と返事をした途端にフリードが真っ赤になって慌てふためいていた様子を思い出し、エヴァはひとり微笑んだ。
そして、胸の内で問いかける。
―夫はこれを渡してくれた時と同じ愛情を、今も自分に向けてくれているのだろうか。
ソラと初めて対面してからというもの、エヴァは順調に毎日睡眠を摂る事が出来るようになっていた。
体調はゆっくりと回復し、食べられる食事の量も日に日に増えていった。
彼女は毎日、午後のお茶を済ませてから自室でソラに会うのが日課になっていた。
ソラも遊び相手をしてくれるエヴァの事が気に入ったようで、ジャンにカゴに入れられるのを心待ちにしている様子だった。
「この短い毛、みんなあの、ネコ…とかいう生き物の毛ですね、奥様。あれが出入りするようになってから部屋中あちこちが毛まみれですよ。まったく、掃除が大変なこと」
ヘレナがモップをかけながら愚痴をこぼすので、エヴァは苦笑いをする。
「…手間をかけさせてしまって、ごめんなさい」
「いいんですよ、奥様。奥様が元気になるんだったら、掃除くらい何てことはございません。それより奥様、夕食に召し上がりたい物は何かございますか?何だってご用意致しますよ」
「ありがとう。もっと食べて、早く元気になってみせるわ」
そう答えるとヘレナは満面の笑みを見せた。
その日いつものようにエヴァの部屋にやって来たソラは、撫でてもらう手が心地良いのか彼女の腕の中で眠り始めた。
「可愛い寝顔ね。子どもが小さかった頃を思い出すわ…」
幸せそうに微笑むエヴァだが、ジャンは気が気ではなさそうだ。
「お、奥様…そろそろ、ソラを戻さないと…」
「だめよ、こんなに気持ちよさそうに寝ているのに起こすなんて」
「それは僕も心が痛みますが…でも、僕もそろそろ王宮へ戻る時間ですので」
「じゃあ、…こういうのはどう?私が納屋まで運ぶっていうのは」
「えぇ?!そんな、無理ですって…!」
「無理じゃないわよ、私にだってそのくらいの事は出来るわ。そうしたらソラがここで好きなだけ眠れるでしょ?」
「だって、奥様は納屋には近づいてはいけないと旦那様から言われているじゃないですか」
「日が落ちれば人目に付かないから大丈夫よ。見張りの兵士さんには差し入れを用意して、一旦その場を離れてもらうわ。そうしたら誰にも見つからずにソラを帰してあげられると思うの。ヘレナにも手伝ってもらうから絶対大丈夫。ね、いいでしょう?」
このエヴァという女性、麗しい見た目に反して一度言い出したらなかなか引かない頑固な一面もあるという事を、この数日間でジャンは薄々感じていた。
もっとも、そこまで彼女がソラに心を開いてくれている事には感謝しかない。
侍女のヘレナという女性も嫌な顔は見せるものの、ソラをエヴァの部屋へ連れていく事に対しては協力的だ。その彼女が付いているというのなら…と、ジャンは渋々彼女の言う通りにする事にした。
ジャンが去っていった後、エヴァは腕の中のソラを改めて見た。
目を閉じて、安心しきった様子で眠るその表情はやっぱり赤子のように可愛らしい。
抱っこをしていると母親として我が子をあやしていた時の気分に立ち戻る。
エヴァはソラをベッドに寝かせると、自分も隣に寝そべった。
ふと目を覚ましたソラの背を優しく撫でると、まるで「もう起こさないで」とでも言うように額を彼女の腕にくっつけ、ソラは再び眠り始めた。
その仕草が愛らしくて、エヴァは微笑みながら何度も何度もその背を撫でた。
(昔はよく…こうしていたっけ)
幼い子ども達を挟んで、自分とフリードと共に一つのベッドで眠ったのはエヴァにとって一番幸せな記憶の一つだ。庶民の雑魚寝の様で品が無いと継母に叱られたが、フリードは「子どもの寝顔を間近で見れるのが何よりの幸せだ」と言ってエヴァを庇ってくれた。
孤独ばかりの寂しい生活ではなかった。自分には確かに幸せが存在していた。
ただ、ほんの少し思い出せなくなっていただけだ。
…明日は久しぶりに裁縫でもしてみよう。ソラが気に入るおもちゃを作れるかもしれない。
それが出来たら庭を散歩しよう。伏せっていた時間が長かったから、ソラを少し追いかけただけで息が切れて仕方がないのが悔しい。少しずつ体力を取り戻していこう。
ソラの小さな眉間を指で優しく撫でながらエヴァは呟いた。
「…ありがとう」
たくさんの事を思い出させてくれて。
もう一度、生きる力を与えてくれて。
柔らかい毛並みを撫でながらそんな事を考えていると、次第に時間は過ぎていき…
ベッドで眠りこけてしまった彼女は、夫が部屋の扉を開けた事に気付かなかった。




