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はじめまして、猫様。  作者: 西藤
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03.懇願

じっと僕を見つめる猫は、ゆっくり近づいても走って逃げる様子はない。

実を言うと、僕は無類の猫好き。

近づいても逃げていかない猫に出会えるなんて最高の幸せ。

膝を屈めてゆっくり手を伸ばす。

指先をちょい、ちょいと動かすと、黒い毛並みが美しい猫は興味深々に動く指を見つめる。


「大丈夫だよ、おいでおいで」

トコトコと近寄ってくるふわふわした生き物は、鼻先で僕の指の匂いをクンクンと嗅いできた。


あ~~~~。かっわいい~~~~~。


どの世界にいたって、結局一番可愛いのは猫なのである。


「バカ、下がれっ!!近づくなっ!!何考えてんだお前は!!」

「何考えてんだって…よく見て下さいよ、普通の猫じゃないですか」

「…ネコ?何だそれは」


―――――ん??


僕がこの世界に来てから、言葉に困った事は無い。

水は水と呼ばれているし、馬も馬と呼ばれている。

基本的に言葉は全部通じるのだが、分からなかったのは僕が元々知らなかった名詞だけだ。

と、いう事は…


―――――この世界に、「猫」は存在しない?


呆然とする僕にお構いなく、猫はガシガシと指先を噛んできた。

「こら、噛むんじゃないよ。だめだってもう、しょうがないなぁ~」


「な、何だよアイツ… 魔物に噛まれてるのにヘラヘラ笑ってやがる…!」

「しかもこれ以上無いくらい幸せそうな顔してるぞ…!」

「お、おかしいって…!!変だよアイツ!!」


僕の様子を遠巻きに見ながら恐れおののいている先輩達。

これは本当に、「猫」という生き物を見た事が無いのかもしれない。


…そんな…。

こんなに可愛い生き物を知らないなんて、この世界の人達は人生の何割かを損している。


すると、怯えている先輩達の心中を知ってか知らずか、猫は唐突にトコトコと先輩達の方へ歩き出した。

僕と同じように構って遊んでもらえるとでも思ったのか。

「うわっ、うわああぁっ!!」

「こ、こっちに来るなぁぁっ!!」

悲鳴を上げながら先輩達はほうほうの体でもと来た道を走って逃げていく。

「あ、先輩方―」


待って下さい、と僕が言うより早く、先輩達の動きが止まった。


彼らの視線の先には一人の兵士がいた。

(あの人は…)


角ばったいかつい顔にあごひげが似合う、筋骨隆々とした大男。


規律に厳しく、訓練では人一倍厳しい練習を課すハリー曹長が悠然とこちらに歩いてくる姿を見て、

僕も先輩達と同様に反射的に姿勢を正した。


「何をしている」

野太い声が先輩兵に声を掛けた。

「そ…曹長、大変です、あそこに魔物が――」

言いかけた先輩兵の体が地面に叩きつけられた。

鎧を装着している大の男の体を、楽々と曹長が投げ飛ばしたのだ。

僕も、残りの先輩兵も、思わず息を呑んだ。

「お前達の任務は何だ」

「…荷物運搬の、護衛…です…」

縮こまったようにして兵の一人が答えた瞬間、容赦ない鉄拳が彼の顔面を強襲した。

「どうして馬車と商人を置いて逃げた」

うめき声を上げながら地に伏す二人と立ち尽くした残りの兵に向かって、曹長は冷たい声で言った。

先輩達は何も言い返せない。

離れていても、彼らの体が震えているのが分かった。

先輩達に突き付けられた鋭い視線は、次に僕に向かった。

「……!」

これ以上ない緊張が走る。

だが、その視線は僕の足元に向かった。

相手にしてもらえないと分かった猫が再び僕の元に戻ってきたのだ。

その小さな生き物を目の当たりにして、曹長の鋭い眼が僅かに見開いた。

「…魔物…!」

大きな手が剣の柄に手を掛ける。

「お前はそこを動くな」

すらりと抜き取られた剣を手に、曹長は僕と猫にゆっくりと近づいてくる。

でも僕の体は、気が付いた時には猫に覆いかぶさっていた。


「何のつもりだ、お前」

僕の体の下では、急に行く手を遮られた猫が不満そうにニャーニャーと鳴いている。

ごめんよ。でも頼むから、今だけは我慢してくれ。

どうしてこの世界では猫が魔物と呼ばれているのか、詳細は全く分からないままだけど。

一つ分かるのは僕が庇わなければ、即座にこの愛らしい黒猫は無残に斬られてしまうという事だ。


「…この生き物は、“猫”といって、魔物なんかではありません!」

剣を構えたまま僕を見下ろす曹長に向かって、僕は必死になって訴えた。

「人を襲うような事はありません、攻撃力もありません!こいつは、小さくてか弱い生き物なんです!」

「お前、正気か?早くそこを退け!」

「退きません!」

いきなり、鈍い衝撃が脇腹に襲い掛かった。

曹長のキックが炸裂したのだ。だが僕は、岩の様にその場を動かない。

何度か蹴られるが僕は耐えた。

一瞬体が浮いてその隙に猫が逃げ出しそうになったが、すばやく再び覆い被さる。

蹴られる度に口の中に苦い味が充満する。昼に食べた食事が胃から逆流してきたのだろう。

だけど僕は退かない。絶対に退かない。

「―斬るなら、僕ごと斬って下さい!!」


―――こんなに、誰かに反抗したのはきっと、前世も含めて初めてだ。


「何故そいつをかばう」

静かな声が頭上から響いた。

「…僕は、何の取り柄も無い人間で…誰かの役に立つ事も、注目される事も、何も無くて…体力も特技もほんとに無くて、どうしようもない奴ですけど…それでも、こんなにか弱い生き物を見殺しにするような奴にだけは、死んでもなりたくないからです!!」


長いのか短いのか分からない静寂の後、曹長は剣を降ろした。

「攻撃力が無いというのは分かった」

一瞬僕はぽかんとしたが、それが僕の顔についた無数のひっかき傷の事を指していると分かり、

安堵と嬉しさで僕は思わず笑ってしまった。

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