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はじめまして、猫様。  作者: 西藤
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28.真夜中の出逢い

「申し訳ありません、奥様…少しの間、お暇を頂きます」


深々とお辞儀をして去っていく使用人の背中を見送るのは、これで3人目になる。

仕方のないことだ。皆、今日やってきたばかりの得体の知れない生き物が恐ろしくて仕方がないのだから。

もちろんエヴァも薄気味が悪いと思っていた。フリードは厄介な難物を押し付けられたものだと悲嘆していたのだが。


…でも、檻の中にいた生き物は想像していたより遥かに小さかった。

人間の腕で余裕で抱えられそうな大きさだ。

そして印象的な灰色の毛並み。はっきりとは見えなかったけれども、遠目に見てもなんだかとても柔らかそうに見えた。少なくともあの頼りなさそうな若者が頬ずりするくらいだ。人に対して危害を加えるような、恐ろしい生き物とは思えなかった。

近くで見たら、どんな顔をしているのだろう?

少しだけ興味が湧いた。

だがフリードから、屋敷に残る代わりにあの納屋には決して近づくなと強く言われているし、元より彼女は人より弱気な性質だ。言い伝えの化け物そっくりと言われれば、無理に覗きに行こうなどとは思わない。


午後のお茶を飲み干してからいつものようにベッドで寝そべっていた時、フリードがやってきたのでエヴァは慌てて起き上がった。

「奥方は昼寝の最中だったようだな、起こしてしまってすまなかった」

「…いえ、少し疲れたので横になっていただけです」

「気苦労を掛けさせてしまって、申し訳ない。―全く、王にも困ったものだ。いくら儂に腹を立てたとはいえ、こんな仕打ちを受ける事になるとはな…」

「腹を立てた?」

「い、いや…何でもない。とにかく、しばらく窮屈な思いをさせてしまうが辛抱してくれ。何か少しでも異変があれば、あの化け物はすぐに首を刎ねてやるからな」

「……」

首を刎ねる?

…あんなちっちゃな生き物の首を…?

閉口したエヴァを訝しむフリードだが、とにかく納屋には近づくなと再度念を押して部屋を出て行った。

相変わらず態度はそっけないものだったが、少しは自分の事を気にかけてくれているらしい。

久しぶりに見せてくれた夫の気づかいを嬉しく思うエヴァだった。


その夜。

やはりエヴァは眠りにつく事が出来ないでいた。もう深夜二時を回るというのに、睡魔がやってくる気配がまるで無かった。

こういう時は中庭を散歩して気分転換を図るのが日課なのだが、考えてみればその途中であの納屋の脇を通らなければいけない。今日は行くのをやめようと思ったが、納屋を避けながら遠回りをすれば中庭まで辿り着ける。エヴァは夜着に薄いストールを被り、いつものように足音をなるべく立てないようにして部屋を出た。


いつもなら裏口の木戸を開けて真っすぐ庭園に向かって伸びている小径を進むのだが、エヴァの足は扉を開けてすぐに止まった。

ほんの少しだけ夜風に揺らされる植物の葉の音と共に、聞き慣れない鳴き声が聞こえてきたからだ。

にゃ~お、うにゃ~おと向かいの納屋から繰り返し聞こえてくるその声。これがきっと、運び込まれた魔物デモーヌの声に違いない。

化け物じみた恐ろしい声ではなかった。

昼間に見たあの小さな姿に似合う、甲高くてどこか愛嬌のある声だ。

でも、何故かその声を聞いているうちに、エヴァの胸は締め付けられるように痛んだ。

彼女は戸惑った。一体どうして、こんなに胸が苦しくなるのだろう。

夜風がさらさらと彼女のストールを揺らしていく。

…そういえば遠い昔にも、こんな感覚を味わった気がする。

その声を聞くと切なくて、苦しくて、居ても立ってもいられない気持ちになって…


―そうだ、思い出した。

自分はこの声を何度も何度も聞いてきた。

だってその声は、


―子どもが母親を呼ぶ声だわ!


「お、奥様!?」

突然息を切らして現れた宰相夫人の姿に、見張り役の兵士達は仰天した。

「…その子を」

「え?」

「その子を、見せて!!」

血相を変えたエヴァの勢いに押される形で、兵士達は納屋の扉を開けた。

土のにおいが充満する小さな納屋の中に、ぽつんと置かれた鉄格子の檻。

その中に、声の主がいた。

焚火で照らされるその灰色の毛並みは所々に白い毛が混ざっていて、窓から見えた時より更に美しく見えた。

尖った二つの耳と長く伸びる尻尾、やや吊り上がった大きな目は言い伝え通りの姿形で一瞬エヴァをたじろがせたが、その大きなまん丸の目に見つめられるとあまり恐怖は湧いて来なかった。

灰色の生き物はエヴァに向かって再び鳴き始める。

檻に体を押し付けながら、精一杯手をこちらに伸ばして。


「う、うわああっ!」

思わず兵士達は声を上げた。

一国の宰相夫人が得体の知れない生き物の前で膝をつき、檻から伸ばされた小さな手を包み込むように両手で優しく触れたのだ。

人々から魔物デモーヌと呼ばれるその生き物は「みゅうぅ」と目を細めて鳴いた。先程とは声も表情もまるで違う。瞳を閉じてエヴァの白い掌に何度も顔を擦り付けるその様子は、安心しきった子どもが母親に甘える仕草のように見えた。


「もう、大丈夫よ。…寂しかったのね」

エヴァはうっとりとして目を閉じる生き物に話しかけた。


おやめ下さい、離れて下さいと騒ぐ兵士達の声を尻目に、エヴァはふわふわの毛並みを心地よく感じながら撫で続けた。

―誰かに必要とされること。甘えられることの喜び。

忘れかけていた温かな感情に包まれながら、彼女は花が綻ぶように微笑んだ。

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