25.怪奇現象
「そうですか、一匹に普段と違う行動が見られる…と。でも、差し迫った状況というわけではないのですね」
朝の光が、朝食の準備に追われて広い廊下をせわしなく行き交う使用人達を照らしている。
そんな彼らを尻目に、落ち着き払った様子でサラサラと手帳にペンを走らせているのが侍従長のロータスという男だ。細身の体にぴったりと合ったジャケットを纏い、白髪交じりの総髪が品格を感じさせる。執事カフェで働いている人は多分こんな姿なんだろう。
僕は彼に、猫たちの様子について朝の報告をしているところだった。
バタバタと通り過ぎていく使用人達が、ちらちらと冷たい視線を投げつけてくる。それに気づかないフリをして僕は報告を続けた。
出来たら檻の外へ出してあげたいという提案は、にべもなく却下された。やはり昨日のクロの大暴れの印象が悪過ぎる。しばらくは宮廷人達の賛同を得るのは難しそうだ。
やっぱり今朝、内緒で外へ出してあげておいて本当に良かった。でも、このままで良いはずがない。
また、内緒で出してしまおうか。でもそんな事をしていてもし見つかった日には、クロ達の命を危険に曝してしまうかもしれない…。
僕の葛藤をよそに、侍従長は相変わらずの涼しい表情で手帳を見つめていた。
「セバスター様の邸宅へ向かうのは、朝食後の出発…と。ではまた、その頃に伺いましょう」
「あっ、その前に一つ、お願いがあるのですが」
「お願い?」
「実は、使用人のカイルという男が僕と共に猫たちの世話をしたいと名乗り出てくれたんです。これからは僕も頻繁に宰相様の家へ伺う事になるので、僕一人では猫たちの世話が見きれなくなるかもしれません。彼に僕のお手伝いをして頂いてもよろしいでしょうか…?」
侍従長はパラパラと手帳をめくる。
「カイル…。ああ、最近勤め始めた使用人ですね。彼から申し出を?」
「はい、部屋の掃除をしに来てくれたのですが、僕が忙しそうにしていたのを気遣ってくれたみたいで…」
「…そうですか。まぁ、いいでしょう。手伝いを名乗り出てくれたのはありがたい事です。私の方からも後で数名に声を掛けておきますので、手伝い役として何なりと申し付けてやって下さい。」
温和そうな彼の目に、鋭い光が宿るのが見えた。これは手伝いという名の監視役だ。僕に勝手な真似はさせないぞという台詞が黙っていても伝わって来る。
「お心遣い頂き、ありがとうございます」
一礼して僕はその場を去ったが、歩きながらずっと、侍従長の視線が背に張り付いているような気がした。
―さて、どうしようか。
カイルが手伝いに加わってくれる事になったのは嬉しいけど、侍従長の代わりに目を光らせる監視役がやって来る。これではクロ達を檻から出すのは、ますます難しくなってしまう。考えに耽っているうちに、僕の足取りは自然に重くなった。
「あ、お帰りなさい!どうだった?」
瑠璃花の間に戻ると、カイルがブラシで絨毯の掃除をしている所だった。
檻からだいぶ遠い場所で作業しているのを見ると、まだまだ猫の姿が怖いらしい。
「無事に許可をもらえたよ。…おまけが付いてきたけど」
「おまけ?」
「そうなんだ。実は、侍従長から…」
―ドンッ!
ドンドンドン!
急にどこからか壁を叩くような音が鳴り響いて、僕達は思わず身を竦めた。
「な、何だ!?」
これには見張りの兵士も狼狽するしかなかった。
「何だったんだ…今の…」
「きっと、誰かのいたずらだと思います…僕、嫌われてるし」
「ジャン殿が気を病む事ではないでしょう!くそっ、捕まえてやる!」
バタバタと兵士達が犯人を捕らえに部屋を飛び出して行ってしまった。
「ごめん、カイル。僕の周りにいると、こんな事がしょっちゅう起こると思う。というか、多分もっと酷くなると思うんだけど…」
「大丈夫、嫌がらせなんて慣れてるから。…だけど、嫌がらせじゃなかった場合はちょっと、耐えられないかも」
「嫌がらせじゃない場合?」
「お化けだよ」
「えっ?」
予期せぬワードが出てきて僕は面食らった。
「この部屋って、たまに出るって噂だから。昔ここで侍女が不慮の事故で死んだとか、王族が殺されたとか。よく知らないけど、いわくつきの部屋なんだってさ」
「…やめてくれよ、そういう系統の話は本当に耐性ないんだ…」
結局兵士達は誰も捕まえる事は出来ずに戻ってきた。
僕とカイルはここがいわくつきの部屋だという事を忘れたい一心で部屋の掃除を済ませ、ソラの出発の準備を始めた。




