22.一段落の夜
「エレン隊長、本当に、本当に…ありがとうございました!」
「大きな声を出すな!誰が見ているか分からんと言っただろうが!」
夜の静寂に包まれた王宮。小さな中庭に面した部屋の一つに僕とエレン隊長はいた。
ベッドと机と小さな椅子が置かれただけのこのこじんまりとした部屋が、今日から僕の個室になった。
他の部屋に比べれば飾り気がないが、寝心地の良いベッドが置かれているだけで以前に暮らしていた兵舎よりはるかに快適だ。
―王が退室した後は、目の回るような忙しさだった。
僕は閣僚や護衛隊はもちろん、侍従や侍女、使用人など様々なグループの会議に出席させられ、数えるのも嫌なくらいしてきた猫の説明をもう一度頭から繰り返し、それが終わると実際に王や宰相が迎え入れる猫たちの部屋の準備に追われ、その為に宮廷内をあちこちへと走り回った。
王様の宮殿なんて聞こえは良いが、実際は移動するのがとても時間がかかって大変不便な事を身をもって知ったのだった。
食事も取る間も無く文字通りへとへとになり、ようやくベッドで大の字を描いているとこっそりとエレン隊長がやって来た。隊長は隊長で、ずっと護衛隊の会議や打ち合わせが続いていたようで同じく疲労困憊していた様子だったが、それでも僕の様子を見に訪ねてきてくれたのが嬉しかった。
「すみません、でも、どうしてもお礼を伝えたくて」
なるべく声を潜めながら僕が言うと、エレン隊長は首を振る。
「お前の出まかせが、ネコ達の命を救ったんだ。私はただ、お前の話に乗っただけ。国王の前であんな途方も無い作り話を延々と話して聞かせるだけの度胸は、私には無いよ。…ジャン、感謝するのは私の方だ」
「いえ、僕一人だけだったら、あの場を収める事はできませんでした。隊長には、ウイトの街でも助けて頂きましたし…本当に、心から感謝しています」
少し照れたようにそっぽを向いたエレン隊長は、初めて出会った時とはまるで別人のようだった。
傍若無人な態度で僕の手を踏みつけ、クロに体を擦り付けられて悲鳴を上げたあの日からひと月も経っていない。人ってこんなに変わるのか。いや、もしかしたら、今目の前にいる彼女が本来の姿なのかもしれない。
「それにしても、思ったより様になっているじゃないか。その格好」
半ば茶化すようにエレン隊長が言った。
僕は今までの小汚い兵士の格好から、白いシャツに上等な上着と仕立ての良いズボンに着替えさせられていた。仮にも王や宰相の近辺で働くのだからみっともない格好をするなという事だろうが、これが非常に落ち着かない。大学の入学式で初めて着たスーツを思い出した。
「やめて下さいよ…なんだかコスプレしてるみたいで恥ずかしいんですから」
「コスプレ?」
「いえ、何でもないです」
「…まぁ、いい。とりあえず、私は今後お前とはなるべく接触しない。何か用があったらシャロンを通してくれ。分かっていると思うが、お前も私も、立場的にはあまり良いとは言えない状況だ。何か良からぬ企みでもしているのかと周囲に噂でもされたら、たまったものではないからな」
「…はい」
隊長が言いたい事は分かっている。
僕が王の面前で余計な事を言ったため、王宮で訳の分からない生き物を保護しなければならなくなったのだから、不満も出て当然だと思う。現に、歩く道すがら「お前のせいで、こんな厄介な事に…」とでも言いたげな冷たい視線が何度も刺さってきたし、実際言葉でぶつけられる事もあった。それは王に助言したエレン隊長も同様だろう。
僕に与えられたこの個室も、実は嫌がらせの一つらしい。僕は気にならなかったが、隊長いわく本来は使用人の部屋の中でも特別に待遇の悪い人間が住む部屋だそうだ。僕にとっては、個室が頂けただけで充分嬉しいのだが。
「まぁ、どれだけ長い期間になるかは分からないが…とにかく陛下には、クロ達が安全で危険な動物ではないという事をまず知って頂く事が先決だ。ジャン、ネコ達の事は頼んだ。私も、周囲に少しずつネコが危険な生き物ではないという事を伝えていこうと思う」
「はい、少しでも早く王宮の皆さんに信頼して頂けるように頑張ります!」
紆余曲折あったが、とうとう王様の眼前までたどり着いた僕は、必ず猫達を守る事を心に誓った。
明日からは更に忙しくなる。嫌がらせも冷たい視線も更に増えるだろう。
だが僕には憂鬱な気持ちはあまり無かった。兵舎で受けてきた惨い仕打ちを思えば、そんなものは嫌がらせの内には入らないからだ。
さて、どうしたら猫を受け入れてもらえるだろうか。
あれこれと思案しながら、僕はやっと目蓋を閉じた。




