02.森の中で
ある日のこと。
僕の班の訓練は珍しく早い時間に切り上げられ、代わりにウイトの町から搬入される食糧運搬の護衛という任務にあたることになった。
僕達が今いる駐屯地と町の間には見通しの悪い樹林地帯が広がっていて、最近そこに凶悪な山賊が出るという噂が広がっていた。
地元の運搬業者もその噂のせいで運搬を嫌がってしまい、そのため安全が確認されるまでは兵士が護衛として派遣されることになったという。
班は一班につき6人で構成されている。
僕はまぁ、戦力にはカウントされないかもしれないが…他の5人は一応日頃から鍛えている兵士だ。全員腕っぷしが強いのは僕が身をもって知っている。それに武器の準備も万全だ。もし噂の山賊に出くわしても、充分対処できるだろう。
何にせよ訓練が無くなった事はありがたいと思いながら、僕達は町へ向かった。
問題の森に差し掛かり、一応最大限の警戒をしながら進んだものの、特に異変は起こらない。
やや肩透かしを食らった気持ちになりながらも片道2時間ほどの時間をかけて町に着くと、ちょうど昼時だったので中央通りに面している食堂に入って食事をした。
メニューは塩漬けされたハムが添えられたパンと鶏肉の入ったスープで、簡単で質素な料理だがこの店のスープは鶏肉の出汁がしっかり効いていてとても美味しい。
兵舎の味気の無いスープとは大違いだ。
そういえば転生して初めて見た景色はこのウイトだった。
あの時の事はパニックになっていたからほとんど覚えていないけど、転生した僕は兵士として定期的に開かれる大きな市の警護にあたっている最中だったらしい。
あの時は人でごった返していて、歩くのも大変な人混みだったと覚えている。
店の中から中央通りを覗いてみると、あの時より人通りは格段に少ない。
店内の客も僕達だけで、昼時だというのに何だか閑散としている印象だ。
…もったいない、こんなにおいしい料理があるのに。
先輩達は上官がいないのを良い事に、葡萄酒を注文して飲み始めている。
これなら毎回護衛任務に着きたいもんだなぁ、なんて赤ら顔で先輩達が笑う。
スープを口に含みながら、ちょっとだけ僕も同じ事を思ってしまった。
昼食の後、既に準備を整えている運搬業者と合流した。
沢山の食糧を載せた馬車は3台。
僕は最後方を進む馬車の護衛に当たった。
問題の樹林地帯に入っても特に何も異変は起こらず、このまま駐屯地まで無事に戻れると思った矢先。
「ぎゃあぁぁぁっ!!!」
一番先頭の馬車の方から、叫び声が上がった。
慌てて他の駆けつけると、最前列にいた先輩兵二人が真っ青な顔で腰を抜かしている。
「大丈夫ですか!?」
「あ…、あ、あそこに…!!」
ガタガタと震える指で先輩が指さした方向には雑木林が広がるだけで何も見えない。
「山賊はどこにいる!」
周りの問いかけに、先輩は激しく首を振った。
「ち、違う…!山賊じゃない…!…ま、魔物だ…!!」
「魔物…?!」
思わず他の兵士達と顔を見合わせる。
馭者をしていた運搬業者も同様に目撃したようで、手綱を握りながら血相を変えて狼狽していた。
その時、先輩が指をさした方にある茂みがガサガサッと音を立てた。
はっとして、一斉に僕達は剣を構える。
ごそごそ、ガサガサと茂みが揺れている。
―確かに何か、いる。
心臓が激しく鳴る音が聞こえる。
…魔物って、何だ…?
僕みたいな一兵士が戦えるような相手とは到底思えない名詞だ。
…嫌だ、転生したばかりなのに、こんな所で死にたくない!
確かに今は生きてても辛いだけだけど、訳の分からない化け物に襲われて死ぬなんて絶対に嫌だ!
緊張が極限に達した時、茂みから黒い影が飛び出した。
息を呑んだ僕の視界に映った、それは――
「う、うわあぁぁぁっ!!」
「ぎゃああっ!!」
一斉に悲鳴を上げて転げるように後ずさる兵士達。
その中で、僕だけが、ぽつんとその場に立ちつくしていた。
「…なんだ、びっくりさせるなよ」
僕はさっきまで強張った手で握っていた剣を収め、飛び出してきた影に向かってゆっくりと歩み寄る。
尖った耳にふわふわの毛並み。
細くて長い尻尾。
大きくてキラキラした瞳が僕を見上げる。
魔物呼ばわりされるにはあまりにも愛らしいその姿。
…こっちの世界で見るのは初めてだ。
「お、お前、何やってんだよっ!」
背後で慌てる兵士達の声を聞きながら、僕は思い切り目尻を下げた顔で笑ってみせた。
「大丈夫ですよー。ただの猫です」
そう、僕の目の前にいたのは、一匹の黒猫だった。