16.出発
「…で、どちらにするんだ?」
明らかに苛立った声でエレン隊長が僕に声を掛ける。
「うーん…」
出発時間が迫っているので早く決断しなければいけないのは分かっているのだが、焦りばかりが募ってなかなか僕は答えが出せない。頭を抱えて、僕は改めて目の前にいる二匹の猫の顔を見つめた。
あれから1週間が経った。
あの後再び新しい猫が現れる事もなく、ウイトの町は普段通りの平穏を取り戻していた。
変わった事といえば警備の為の兵士が増えた事と、もう一つ。
「あの灰色の子、抱っこさせて!」
「この子、かわいい!膝の上に乗ってくるよ!」
突然現れた45匹の猫を世話するために、僕達は小高い丘の上にあった古い家畜小屋を急遽修繕し、猫の保護をするための施設として生まれ変わらせた。
町の人々が怖がらないように町から少し離れたこの場所を選んだのだが、併設した広い柵の中で自由気ままに過ごす猫達の姿を子供たちが喜んで見に来るようになったのは全く想定外だった。
初めは遠巻きに見ていたが、すぐに前のめりになって柵の中に入れてほしいとせがんで来たのだ。
驚く事に、この数日間は子供だけでなく大人達もちらほらとこちらの様子を見に来る人が増えてきた。
あれだけ驚き、パニックになっていた事を思えば信じられない気持ちでいっぱいだが、エレン隊長の体を張った説得は想像以上に効果があったようだ。
そうして猫達と一緒に遊ぶ子供たちの光景は兵士達の心を和ませているようで、いつも厳しい表情の兵士達も自然と笑顔になってその様子を見守っている。
中でもハリー曹長は人一倍頬が緩みっぱなしだ。たくさんの子供に囲まれながら猫の抱っこの仕方を教えたり、エサを食べさせてみせる曹長は本当に幸せそうに見えた。
「…曹長、僕はこれで失礼します」
「あぁ、もう出発するのか」
一週間遅れたが、僕は当初の予定通りクロと共に都へ向かう事になった。
ハリー曹長は猫達の世話をする責任者としてここに残る。これでしばらくはお別れだ。
いろいろな出来事が頭の中を巡る。
最初はクロに斬りかかろうとした曹長がひたすら恐ろしかったけど、クロと共に過ごす中で彼の愛情深くて優しい一面を知り、そしてエレン隊長達が来た時には命がけでクロの為に一緒に戦った。
…どれだけ力になってもらったか、どれだけ心強かったか分からない。
「ばっ、バカ!いきなり何を泣いてるんだ!」
すみません、と下を向いても僕は涙を止められなかった。
前の世界で生きていた時からずっと抱えていた心細さを、彼にほんの少し消してもらった気がしたからだ。
「しっかりせんか、ジョン二等兵!」
がっちりと両肩を掴まれ、僕は我に返る。
「貴様にはこれから大仕事が待っているんだぞ!このネコ達を一体誰が守るんだ!?」
「……僕、です」
「だったら顔を上げろ!」
叱責されて慌てて涙を拭く僕の頭をごっつい掌が撫でてきたので、また涙が出てしまった。
改めて感謝しかない。そして、この恩に応える方法はたった一つだ。
出発前に、僕にはやらなければいけない事があった。
それは、クロと一緒に連れていく猫を一匹選ぶ事だ。
突然発生した猫の集団の中からも一匹連れて来いという連絡が王宮から届いたそうで、彼女から相談を受けた僕はたくさんいる猫達の中から同行猫を選ぶ事になった。
実際に王の御前で尋問を受けるかもしれないと思うと、当然暴れん坊の子やケンカっ早い子はだめ。
長時間の移動があるので怖がりだったり繊細な気質の子も避けたい。
ちょっと図太く、人によく懐いて、クロとの相性が良い子が望ましい。
…という条件に当てはまる猫が2匹いた。一匹は灰色の毛が美しいキジトラで、もう一匹は白黒のぶちだ。どちらも愛嬌があって、人に撫でられたり抱っこされるのをとても好むし、クロと会った時も特にトラブルになる事もなく、すぐに打ち解けて遊んでいた。
どうしよう。どちらを連れていくべきか。
「まだ悩んでるのか!ったく、優柔不断だな、お前」
「す、すみません、エレン隊長」
恐縮しながら謝る僕にエレン隊長はため息交じりに言った。
「両方連れてったら?」
「え」
「二匹まとめて連れてったらどうだって言ってんだよ。…お前がそこまで迷うんだから、両方良い子なんじゃないの?」
「…分かりました。お言葉に甘えさせて頂きます」
それから隊長はハリー曹長と言葉を交わした後、固く握手をしていた。
相変わらず口は悪いが、初めて会った時とは別人のように彼女は変わったと思う。
あの日、事もなげに猫を抱っこしてみせたエレン隊長だが、実は悲鳴を上げる寸前で、足も震えていたのだと後でこっそり教えてくれた。あと少しで抱っこした猫を放り出す寸前だったぞ、と彼女は自嘲気味に話していたが、心から僕は凄いと思ったし、シャロンは頭を抱えて「隊長を一番見くびっていたのは自分だったのかもしれない」と僕に零していた。
護衛隊の兵士達の、隊長に対する態度も変わった。最初は仕方なく従っているという風だったが、今は確かな敬意を持って彼女に接しているように見える。
あれほどみっともなくクロに怯えていた彼女が人々を守る為に生き物嫌いを我慢して機転を利かせてみせた事で、一気に隊長としての尊敬を集めたのだ。
その変化はエレン隊長ももちろん感じているだろう。今、彼女は自信に満ちた表情で指揮をしている。
そして僕らはハリー曹長や州候の兵に見送られながら、ウイトの町を後にした。
僕はクロと、新しい猫2匹とシャロンと共に元の荷馬車に乗り込んだ。
…のだが。
「あの…隊長も同乗されるんですか?」
「悪い?」
「いえ、悪いとは一言も…」
「魔物の監視役を隊長自ら買って出たんだ、ありがたく思えよ」
「エレン、素直にネコに慣れたいって言いなよ」
「うっさい!シャロン!」
「じゃあ、まず膝の上に乗せてみます?」
「ギャー!!やめろっ、まだ心の準備がぁぁ!!」
騒々しい僕達3人と3匹の猫を乗せ、馬車は粛々と王宮へと進んでいった。




