10.馬車の中で
クロを護送する馬車は一応椅子はあるものの、四方は鉄の板に覆われ、小さな格子付きの窓が一つ空いているだけという何とも無骨な造りだった。普段は囚人なんかを運ぶのに使われているのかもしれない。
「すみません。曹長まで同行する事になってしまって」
「それは構わんが…」
ハリー曹長と僕の目の前には、長身の兵が座っている。
先程、女隊長に進言して場を治めた兵士だ。
曹長も充分長身の部類だが、彼は更に高身長に見えた。
おまけに顔立ちも整っていて、赤茶色の髪が美しい好青年という印象。
ガテン系代表のような曹長とは正反対だ。いや、曹長もコワモテ好きな女性には需要がありそうだけど。
シャロンと名乗ったその青年は、監視役として馬車に同乗する事になったそうだ。
あの女隊長の部下で、しかも物腰からして、ただならぬ”強者”のオーラを感じる。
外見がいくら爽やかに見えても、油断して隙を見せればどんな言いがかりをつけてくるか分からない。
息の詰まるような緊張感が馬車の中に充満していた。
そんな重苦しい空気の中、シャロンは僕と目が合うと少し微笑んだ。
「手は大丈夫?」
「あっ、はい…ちょっと腫れてますけど、しっかり動くし大丈夫です」
黙って僕の手を取った彼は、懐から薬瓶のようなものを取り出すと赤紫色に腫れた手の甲に塗ってくれた。
「これ、昔から僕が使ってる傷薬。すぐに腫れは引くと思うよ」
「あ、ありがとうございます」
意外な行動に驚きながら僕がお礼を言うと、青年は僕に向かっておもむろに頭を下げた。
「僕の方から隊長の非礼を詫びさせてほしい。申し訳なかった」
「いえ、そんな…僕は大丈夫ですから」
慌てて顔を上げてもらうように頼むと、青年は寂しそうに微笑んだ。
「本当は、もっと優しい人だったんだけど…」
…え?
優しい人?
ため息交じりに呟かれたその言葉の意味を僕が尋ねる前に、シャロンは今までの穏やかそうな雰囲気を突如一変させ、少女漫画に出てくる王子様のごとく目を目をキラキラ輝かせ始めた。
「ね、あの子…近くで見てもいいかな?」
「……えっ?」
「いいよね?近づいても。いいよね?いいでしょ???」
僕の返事を待たず、待ちきれないという感じでシャロンは檻にするすると近づいていく。
その気配に気が付いたクロは、青年を見上げてにゃあと鳴いた。
「うわ…可愛いな~♡」
えっ?えっ?何だ、この人。
自分からクロに進んで近づくなんて。
シャロンは眺めるだけでは飽き足らず、檻の隙間に指を突っ込んで、ふわふわの毛並みの感触を堪能し始めた。
「ああ、思った通りめっちゃくちゃふわふわ…!やばいやばい可愛すぎる!こんな可愛い生き物が存在してたなんて…!!あああ、抱っこしたい~~~!!!」
整った顔立ちを思いきり歪めながら、シャロンは尊死寸前といった恍惚の表情でクロを文字通り猫かわいがりしている。
これには僕も曹長も呆気に取られてしまった。
「…シャ…シャロン殿はこの生き物が恐ろしくないのですか?」
「まぁ、最初はびっくりしたけど。でもこの子、危ない生き物じゃないでしょ?馬が騒いでないもの」
「馬…?」
怪訝そうに聞いた曹長に、青年はにこりと笑って答えた。
「僕は元々、カーリアン家の馬使いだったから」
「!…まさか…」
「そう言うと皆そうやって驚くんだけどね。運が良かっただけなんだよ。奉公先がカーリアン家で、エレン様と小さい頃から親しくさせて頂いていたから」
まぁ、剣は人より頑張ったかもしれないけどね、と言いながらクロの喉元を彼の指先が優しく撫でる。
どこが猫が撫でられたら喜ぶポイントか、こちらが言わなくても分かっているようだ。
「この子が本当に皆が恐れるような魔物だったら、馬達がこんな平然と歩いていられるわけがない。でも…その事を早く皆に分かってもらわないと、この子の命が危ないな…」
青年は少しだけ表情を曇らせたが、すぐにまたあの純度100パーセントのキラキラ瞳を取り戻した。
「ね、ちょっとだけでいいからこの子、檻から出してもいい!?」
「…えぇ?」
「大丈夫だよ!誰も見てないんだから!一瞬、一瞬だけでいいから!!ねっ!?」
監視係の役割とは?というこちらの疑問を盛大に無視して、青年は檻を開けて小さなもふもふの生き物をその腕に抱きしめた。
「…幸せだ…」
戸惑いしかなかった僕と曹長だが、クロを抱っこして昇天している青年を見ているうちにこちらの頬も緩み始めた。猫好きが猫を囲むと発生する、何ともいえない幸福感。
最大限の警戒で護送されている馬車の中は、先ほどの緊張感とは打って変わって、最高にピースフルな空気で満ち溢れていた。




