7:謝るのは私のほう
「──でした。報告は以上です」
マディリンからリアムの恋人の調査を命じられた日の夜。ハンナは皇城に戻り、オーロラへこれまでのあらましを報告していた。
既に寝衣の格好になっているオーロラは、睡魔に少し目を蕩かせながらうふふと笑う。
「面白いことになってきたわね。令嬢からは何日猶予をもらったの?」
「三日です」
「できそう?」
「……簡単な報告であれば」
ハンナの返答にオーロラは目を細めて微笑む。
「貴女はどうしたい?」
「どう、とは」
「令嬢の命令を受けてもいいのか。受けたくないのか」
どういう意味なのか分からなかったハンナは何度か目を瞬いた。
真の主人であるオーロラの命令以外聞きたくないのであればマディリンの命令を聞かなくてもいい、そういうことだろうか。
たとえこの推測があっていたとしても、自分の感情をもとに判断するのは従人としてありえないことだ。
「受け入れるかどうかは、今回の報告を最後とするか否かで判断させていただきたいです。まだ調査を続けたほうがよければ、対象者との今後の関係のためにも命令を受ける他ないと考えておりますので」
「なるほどね」
これまでの明るい雰囲気を打ち消したオーロラは、真面目な顔でハンナを見据える。既にそこに眠気の影一つ見当たらない。
「調査は続行してちょうだい。令嬢の人となり以外に気になることができたの」
「気になることですか」
オーロラは神妙な顔になって事のあらましを説明した。
「──だから、ついでにこの件についても調べてほしいの。余裕があればでいいわ。難しければ他の者に振るから」
「かしこまりました」
オーロラとのやりとりを終え部屋を出たハンナは、先ほど追加された仕事の内容を反芻しつつ、やはり二週間で終わる任務ではなかったなと嘆息を漏らした。
結婚までの残り少ない日々をなるべくリアムと過ごしたいハンナとしては、敬愛するオーロラの命令であっても少し暗い気持ちになってしまう。
こんなことは今までなかったのに、とオーロラへの申し訳なさを感じながら廊下を歩いていると、夜勤当番の侍女たちとすれ違った。
「久しぶりに見た」
「クビにされたと思ってたけど違ったのかしら」
「今辞表でも出してきたところなんじゃないの?」
反応するのも面倒臭いのでいつものように無視して歩く。
しかし、残念なことに夜の時間ということもあってか、少し気が昂っている様子の二人がハンナのもとまでやってきてしまった。
目の前まで来てようやく二人が以前リアムのことを噂していた侍女たちだということを認識する。
「なにかしら」
「なにかしら、だって。そうやってお高くとまる癖直したほうがいいんじゃないですか?」
「これで皆に嫌われているのが分かってないなら笑いものね」
ここまで直接的に言われたたのはこれが初めてだが、それでもハンナの表情はピクリとも動かない。
「そんなくだらないことを言うために呼び止めたの? 他人のことを気にする前に自分の言動を見直したらどうかしら。品がないわよ」
「なっ」
ハンナのストレートな言葉にカチンと来た侍女の一人が腕を振り上げるのが分かった。
避けることもできるが、ここは大人しく叩かれたほうがさっさと解放してくれそうだと判断し、ハンナは目を瞑って頰への衝撃を待った。
しかしいつになっても衝撃はやって来ない。
不思議に思って目を開けると、そこには侍女の腕を掴む男性の姿があって──。
「何をしようとしていた」
「リっ、リアム様!?」
月の光に照らされるリアムの表情は全ての感情を削ぎ落としたかのようで、ハンナですら息を呑んだ。
怒りの対象となっている侍女の二人は体を震わし、自分たちが憧れの男に敵意を向けられていることに怯えている。
「何をしようとしていたか聞いてるんだ」
「あっ、わたしは何もっ」
「何も? ならこの腕はなんだ」
黙り込んだ侍女たちの顔は真っ青で、リアムは鬱陶しげに侍女の腕から手を離す。
「このことは上に報告させてもらう」
「そんな、わたしたちは」
「まだ言いたいことがあるのか?」
リアムの鋭い睨みに侍女たちはヒッと肩を跳ねさせると「しっ、失礼いたしました!」と走り去ってしまった。
静かになった廊下にリアムと二人残される。
なんと声をかけるべきか迷っていると、不意にリアムが動きハンナを抱きしめた。
「リっ、リアム!? ここはっ」
「無事で良かった……」
城内で抱き合っているところを見られたら、と焦る気持ちは、リアムの心底安堵する声音に吹き飛ばされた。
一週間ほど触れ合わなかっただけなのに、懐かしく思えるリアムの匂いにハンナの目尻が垂れる。
「助けてくれてありがとう」
ハンナもリアムを抱きしめ返し背中をさすると、リアムの安堵した吐息が耳元に降ってきた。
さすがにこれ以上城内で二人きりでなるわけにもいかないので、ハンナの家に移動することになった。
そして現在ハンナはリアムの足の間に挟まるようにしてベッドに腰掛けている。
チュ、チュ、と好き勝手にハンナに口付けているリアムだったが、ふと気付いたように私の頭から顔を離した。
「まだ二週間も経ってないが、城にいたということはもう終わったのか?」
「ううん、少しオーロラ様に報告事項があったから寄っただけ。また戻るわ」
「…………そうか」
心の底から落胆した声に私も引きずられるように悲しくなる。
ごめんね、と体を捻ってリアムの頭を撫でていると、嗅ぎ慣れたはずのリアムの匂いに混じって微かに甘い香りがすることに気付いた。
香りからしてそれは仮の主人であるマディリンのもの。彼女の最近のお気に入りだという香水は女性が身につけるにしては少し重たい香りのもので、身体的な接触がなくても移ってしまうことは十分考えられることだった。
少し悪戯したくなったハンナは内心悪戯っぽく笑った。そして怪訝そうにリアムを見上げる。
「ねぇ、リアム」
「ん?」
「貴方から女性物の香水の匂いがするのだけど、どうして?」
その瞬間ぐわりと目を見開くリアム。体を密着させているため、彼の心臓が大きな音を立てたのがすぐに分かった。
すぐに自分の腕の匂いを嗅ぎ始めたリアムは自分では分からなかったのか、動揺しながら首を傾げている。
その姿が面白くて、ハンナはさらに畳み掛けることにした。
「そういえばお城にいたのに今日は騎士服を着ていないし、髪も綺麗にセットしてるわよね。……もしかして、私がいない間に他の女の子にでも会いに行ったのかしら」
悲しげな表情で見つめれば、リアムは「違う!!」と大きな声で即座に否定した。
おそらく香りの元がマディリンであることは察したのだろう。しかし婚約の話を自分にはしたくないのか、どう言い訳しようか悩んでいる様子だ。
「ふふ、ちょっとからかっただけ。きっとさっきの侍女のものなのだと思うわ」
「……ごめん」
「どうして謝るの? 貴方は何も悪いことしてないでしょ」
──謝るのは私のほう。
でも謝らない。まだね。
「リアムが浮気するなんて思ってないわ。それに、もし他に好きな人ができても、リアムはちゃんと言ってくれるでしょ?」
「……は?」
勿論だと返してくれると思っていたのに、なぜかリアムは地を這うような低い声を出してハンナを睨んだ。
「なんでそんなことを言うんだ」
「え?」
「俺が他の女に目移りするような男だとでも思ってるのか?」
男としてのプライドを傷つけてしまったのだろうかと、ハンナは慌ててリアムを抱き締める。
「そんなつもりで言ったんじゃないの」
「……俺はハンナが好きだ」
「……うん」
そう答えると、リアムは無言でハンナを抱き締める腕に力を入れた。