6:どうしようもないの
マディリンの素性調査を行うにあたり、ハンナはエストレラ家に泊まり込むことを余儀なくされたため、しばらくの間会えなくなることをリアムに伝える必要があった。
当然任務のことを話すわけにはいかないので、適当に理由をつけようと考えてリアムに会いに行った。
毎日のように会っていたリアムもたまには賭けのことなど忘れて息抜きをしたいだろうと考えていたハンナは、拒否されるなどと夢にも思わずリアムに話をしたのだが──。
『しばらく会えない……? どういうことだ!?』
『だから、出張に行くことになったの』
『王妃付きとはいえ、君は侍女なんだから王妃がいない出張なんてする必要ないだろう?』
『普通の侍女ならね。ありがたいことに私はオーロラ様から信頼を置いていただいているから、私が直接動かないといけない業務を申し付けられることもあるのよ』
今までもそうだったと言えば、リアムは憮然とした顔で『……しばらくっていつまでだ』と尋ねてきた。
『ハッキリとは分からないわ。短くて二週間、長くても一ヶ月はかかるんじゃないかしら』
『一ヶ月!?!?』
この世の終わりとでもいうような顔に、ハンナはリアムが駄々を捏ねる理由を察してしまい思わず笑った。
つまりリアムは賭けの期間が必要以上に伸びるのが嫌なのだ。
とはいえこればかりはハンナもどうしようもできない。
『ッ、無理だ! そんなに会えないなんて耐えられない!』
『私だって会えないのは寂しいわ。でもどうしようもないの。なるべく早く帰って来られるようにするから、待っててくれる?』
『…………むり』
『リアム』
『無理なものは無理だ!!』
そうやって最後の最後まで駄々を捏ねたリアムをなんとか宥め、ハンナはエストレラ家へやってきた。
*
「どう? おかしいところはない?」
「はい、今日は一段と美しいです」
「ありがとう。未来の旦那様に好印象を持ってもらうためにも手は抜けないものね」
この任務が終わるまではリアムに会えない。そう覚悟していたからこそ、彼がハンナの任務先に来るということはハンナにとって完全に予想外だった。
「そろそろ来られる時間よね。行きましょ!」
「はい」
それゆえ、リアムに接触した時自分がヘマをしないか漠然とした不安を抱えている。
いつも通りにすれば問題はないのだろうが、いかんせんリアムに関しては少し自信がない。
「お久しぶりですね、ヘリバード」
「エストレラも息災か」
予定時間通りにヘリバード家はエストレラ家へやって来た。
玄関先で挨拶を交わす人たちを、出迎えのための使用人の列に紛れ込み眺める。
「相変わらず綺麗な頭をしているなぁ、エストレラ」
「ほっほっほっ。相変わらずのようでなによりですよ」
リアムの父であるヘリバード侯がマディリンの父であるエストレラ侯の頭を撫でている様子を見て、ハンナは察した。
親同士が親しい仲であれば、今回の話が立ち消えになることはまずない。つまり、今回の調査はあくまで"念の為"ということなのだろう。
「我々の挨拶はここまでにして、改めて紹介しよう。三男のリアムだ」
「リアム・ヘリバードです」
一週間ぶりに見るリアムは相変わらず美しかった。
貴族然としたフォーマルな格好はリアムの素材の良さを最大限に活かしていて、騎士服とはまた違う魅力で溢れている。
久しぶりに見る大人びたリアムの姿をハンナはボーッと見つめていたが、薄らとではあるが目元に隈ができていることに気付き顔を顰めそうになった。
また騎士団内でストレスを溜めているのだろうか。帰ったらまた話を聞いてあげないと。そんなことを考えていると、リアムの前にマディリンが静々と現れた。
「マディリン・エストレラです。リアム様にこうしてお会いできて光栄ですわ」
笑顔を浮かべながらも見定めるような視線を隠しきれていないマディリンに、ハンナは内心諦めの息を吐く。
品定めの視線は不躾だと言われてしまう可能性があるのだからやめた方がいいと遠回しに言っておいたのに。
「今日は簡単な顔合わせのつもりだから、若い者二人で話をしたほうが良いだろう」
「マディリン、リアム君を庭園に案内しておいで」
「はい。リアム様こちらへ。……あ、アルも来るのよ!」
ハンナは天を仰ぎたくなった。
マディリンには婚約者が来ている間は自分がそばにいるのは控えておいたほうがいいということも進言しておいたにもかかわらず、容赦なく呼びつけられれば誰だって意識を飛ばしたくなる。
メイドならまだしも、男をずっと侍らせているように見られては心象が悪くなるのだから。
そんなハンナの気遣いなど知る由もないマディリンは、笑顔でハンナを呼び寄せている。
その場にいた誰もがハンナのことを見ていた。
横目にエストレラ候の焦り顔を捉え、これはマズイと思いすぐに微笑んでマディリンたちのそばへ走り寄る。
潜入捜査をする上で一番大事なことは目立たないこと。こんなところで任務に支障をきたすようなことが起きてはたまらない。
そして交わるリアムとの視線。
アルとしての表情は微動だにさせなかったが、心臓ばかりはコントロールできず、それはドクンと一際大きく脈を打った。
「彼は……」
「わたくしの専属執事のアルですわ」
ハンナはリアムの視線から逃れるように頭を下げた。
その間にマディリンが歩き出しホッとしたのも束の間、なぜかリアムは動かない。
ハンナの頭に突き刺さる視線に、ハンナは何!? と焦る。
「リアム様?」
「……今行きます」
ようやく足を動かしたリアムに安堵する一方、なんだったのだろうと疑問は尽きない。
逸る心臓が早くおさまるよう祈りつつ、ハンナは二人の後を追った。
晴天下の庭園は見事なもので、花々はここにやってきた二人を歓迎するように美しく咲き誇っている。それを背景に立つ美男美女の二人は一枚の絵画のようだ。
リアムを自分のものだと思ったことは一度だってないが、二人を見ていると彼の未来に自分はいないのだと実感してしまい、少し切なくなる。
「エストレラ嬢、早速だが貴女に伝えたいことがある」
真剣な瞳でマディリンを見つめるリアムに、ハンナは小さく息を呑んだ。
何かしら、と期待している顔のマディリンを見たくなくて、思わずハンナは二人から視線を外す。
しかしハンナの耳に届いたのは、予想とは違うものだった。
「俺には恋人がいる。だから今回の話はなかったことにしてくれないか」
「──」
「貴女も七つも離れた男との結婚は嫌だろう。俺から貴女のご両親に伝えておくからそういうことにしてほしい。今日はこのことを伝えたくて訪問させてもらったんだ」
そう言うや否や、リアムは踵を返し屋敷のほうへと歩いていく。途中でリアムがチラリとハンナに視線を向けてきたが、リアムが婚約話を断ったことに驚き固まっていたハンナが気付くことはなかった。
どういうこと? とハンナは瞳を揺らした。
自分の存在のせいでリアムの明るい未来が消えてしまうことは望んでいない。せめて、ハンナの存在を利用してまでも今は結婚をするのが嫌だったということであってほしい。
そう必死に願うハンナだったが、わなわなと体を震わせるマディリンに気付きハッと意識を戻す。
「……アル」
「はい」
「信じられる? あの男、わたくしを振ったわよ。このわたくしを……!」
怒り心頭かと思いきや興奮した様子で声を上げるマディリンに驚きつつ落ち着くよう声をかけるが、マディリンは目をギラつかせるばかりだ。
リアムの言動のどこがツボだったのか全く分からない。
「アル、命令よ。リアム・ヘリバードの恋人がどんな人間なのか調べてきなさい」
さすがのハンナもこの命令には驚いた。
勘違いでなければ、リアム・ヘリバードの恋人とはハンナのことで……、つまりハンナは自分の調査を命じられたということだった。
「調べてどうなされるおつもりですか?」
「決まってるでしょ。──その女が本当に彼に相応しいか見極めるのよ!」