3:仕事中ですので
「ハンナ」
「はい」
「貴女──男ができたわね?」
「……」
「あら、珍しい。貴女が動揺を見せるなんて」
分かりやすく動揺したつもりはなかったが、ハンナの瞳の揺れだけで感情を読み取ってしまう相手に否定の声を上げることはできなかった。
面白いものを見つけたと言わんばかりに好奇心に瞳を輝かせる相手の名前はオーロラ。我がハスティオン王国の王妃で、ハンナの主人でもある。
王妃専属侍女であるハンナの主な仕事は、オーロラの側に控え、飲食や着替えの世話をすることだ。
偶にこれらの業務とは異なる種類の仕事を命じられることもあるが、オーロラの話し相手になることは通常業務である。
「で、相手は誰なの?」
「回答は控えさせていただきます」
今この部屋にはハンナとオーロラしかいないとはいえ、さすがにハンナの恋人がオーロラの実の甥であるリアムだと正直に口にするのは憚られる。
それに、真っ当な関係であればなんだかんだ話したかもしれないが、始まりも終わりも不純な関係をわざわざオーロラに伝える必要もない。
「もう、面白くないわ。わたくしの質問にそんな返答をするの、貴女くらいよ。……でも、良い恋愛をしているのね」
「……え?」
「一ヶ月前くらいからかしら、とっても良い顔をするようになったと思って」
ハンナは無意識に自分の顔に手を当てていた。
リアムと遊ぶ時は確かに良い顔をしているだろうが、仕事中はこれまで通り能面を貫き通しているつもりだ。
「勿論他の人には分からないわよ。貴女を長年見続けてきたわたくしだけが分かる。だから、下手な男であればわたくし直々にお話をしようと思って様子を見ていたのだけれど、心配は無用のようね」
慈愛に満ちたオーロラの瞳に、ハンナは敗北を感じて少しだけ口角を上げた。
恋はしてない。けれど、愛はある。
「私が彼を振り回しているんです」
ハンナの言葉にオーロラは満足そうに目を細めた。
「最高じゃない」
*
「ねぇ、聞いた? あのリアム様に恋人ができたって」
「聞いたけど、いつものごとく根も葉もない噂でしょ?」
「それが今回はいろんな人がデートしてるところを見たって言うのよ。それも複数回!同じ相手よ」
「なら相手は誰よ」
「同僚に聞く限り誰も知らないって言うから王城で働いてる人じゃないことは確か。なんでも物凄く美人なんだけど、笑うと凄く可愛くて、そのギャップがヤバいんだって。とにかくめちゃくちゃお似合いで、リアム様がベタ惚れらしいわ」
「リアム様がベタ惚れ……。ああ、あたしたちの王子様が……」
侍女たちが各々の仕事道具を持ちながら雑談に興じていた矢先、「貴女たち」と二人の目の前に迫る影があった。
二人はギクリと体を揺らし、おそるおそるその影の正体を視界に入れる。
そこには堅物侍女であるハンナの姿があって、二人は顔を引き攣らせた。
「怠けていないで仕事をしなさい」
「……はい」
「……すみませんでした」
渋々ながら頭を下げた二人を見ることなく、ハンナは歩き出す。
その後ろ姿が遠くなると、侍女二人は途端に嫌悪感を露わにした。
「でたよ、堅物」
「サボってたんじゃなくて休憩してたんだっつーの」
「あんな顔と性格じゃ結婚するのも一苦労でしょうね」
「恋人だって出来たことないんじゃない」
「間違いないわ」
クスクスと笑い合う二人の悪口がハンナの耳に届いてるとは思いもしないのだろう。とはいえハンナはいつものことだと気にすることなく歩みを進める。
庭と隣接する廊下を歩いていると、向こうから歩いてくる男性の姿が視界に入った。
すれ違う直前に軽く会釈をして、何事もなかったかのように足を一歩前に出せば、その男性──リアムに腕を掴まれた。
「ハンナ」
同じ王城で働いるのでリアムと遭遇する日は何度かあったが、こうして呼び止められたのは今日が初めてだ。
何かあったのだろうかと思うも、いつ誰が来てもおかしくない場所で会話をすることはできない。仕事関係の話ならば、家名で呼びかけてくるはずだ。
「仕事中ですので」
「……分かった」
悲しそうに眉尻を下げたリアムを一瞥し、それ以上は何も声をかけることなくハンナは再び歩き出す。背中に受ける視線を無視して。
リアム・ヘリバードと付き合って早一ヶ月。二人の関係は順調すぎるくらい順調だった。
リアムも短期戦では無理だと思ったのか、ハンナの愛の言葉を求めて来たことは今まで一度もないし、ハンナはハンナで今までの鬱憤を晴らすようにリアムとの時間を楽しんでいた。
仕事終わり、王城の近くにあるアパートの自室のベッドで髪をとかしていると、呼び鈴が聞こえた。
音を鳴らした主が分かっていたハンナは、ブラシをサイドテーブルに置いて早速玄関の扉を開けに行く。
「どうぞ──」
「ハンナ!」
扉が開くや否や、ハンナの腰に大きな影が抱きついてきた。
「はいはい、今日はどうしたの?」
「赤の騎士団と合同訓練があったんだが、案の定小競り合いが起きた」
「あら、やっぱり関係は相変わらずなのね。今回も仲裁をしたの?」
「頑張った俺を褒めてくれ」
「お疲れさまです、隊長様」
わざわざ屈むリアムの頭を優しく撫でると、リアムは安心したように表情を崩してハンナに擦り寄った。
そのままベッドに移動して、ハンナの膝を枕にリアムは寝転がる。
癒される、と呟かれる声にハンナは眉尻を下げる。
ストレスが溜まっている時は鬱憤を外に出してしまうのが一番だから、こうしてハンナに話すことで癒されているのは嘘ではないのだろう。
その時一際強くリアムが息を吸った。
「ハンナは、いい匂いがする」
「そう? 香水の類は特に付けていないけど」
「じゃあ、ハンナ自身の香りだな」
「体臭ってこと!? やだっ」
「あ! なんで離れるんだ!」
羞恥心に耐えられなくてリアムから距離を取ろうとすれば、リアムは慌ててハンナの腰を強く抱き直してきた。
「俺からハンナを取り上げないでくれ」
「……」
正直お腹に顔を埋められるのも割と恥ずかしいのでやめてほしいのだが、二人きりだと気付けばいつもこの体勢になってしまうので、リアムに離れてもらうことは諦め気味だ。
その体勢のままリアムは少し黙った後、ボソリと不満げに言葉を漏らした。
「……昼間、また俺を無視した」
母性を感じさせる作戦なのだろうか、なんとも上手にツボをついてくるため、最近のハンナはリアムの扱いに少し困っていた。
「もう、無視はしてないわよ。ちゃんと返事はしたでしょう?」
「冷たかった」
「仕事中だもの」
「だとしてももう少し……」
「なあに、仕事中に愛想を振りまいたほうがいいってこと?」
「──いい。愛想なんて振りまかなくていい。いつもどおりでいい!」
勢いよく体を起こし声を荒げたリアムに驚き、ハンナは目を丸くした。
「どうしてダメなの?」
「…………だって、皆が君の魅力に気付いてしまうだろう」
ハンナは今度こそ開いた口が塞がらなかった。
黙り込んでしまったハンナに何を思ったのか、リアムは慌ててハンナと距離を詰めてくる。
「別に仕事用の顔が魅力的じゃないと言うわけじゃないから!」
「……ありがとう。でも今さら愛想の一つや二つ付けてみたところで、私を好きと言ってくれるのはリアムだけよ」
「そ、れは」
何か思うことでもあったのか、リアムは瞳に動揺の色を浮かべた。
そんな態度怪しんでくださいと言ってるようなものよ、とハンナは笑ってしまいたくなる。
「まあそんなことはどうでもいいわよね。それより今週末どこか遊びに行きましょう?」
「……行く」
何も言えない自分に落ち込んだのか、リアムは暗い顔で頷いた。
「……」
どこかで聞いたことがある。男性を可愛いと思ったら終わりだと。