3. 婚約者
その頃、北の砦では花嫁が来ると全ての準備が整えられていた。
太陽を見てそろそろ着く頃かと視線を門へと向けてみてもいつまで経っても現れない。
王命というだけあって流石の伯爵も無下にすることは無いだろうが、何かあったのかと考えていると伝令兵が焦った様子でこちらへと向かってきた。
「兵士長!セルモンティ伯爵の御令嬢が山賊に襲われ命を落とされたと…。」
「…確認したのか。」
「御本人の血液がついた髪を見せられました。」
「…現場は?」
「ティヌの滝近くにある小道のようですが…。」
「近いな。少し見に行ってくる。」
スティーグは準備されていた馬に乗ると周りの制止を無視して直様砦を後にする。
それに続くように5人程の兵士が馬に乗って飛び出していった。
本当に彼女が命を落としたのか、自らの目で確かめなければ気がすまなかったのだ。
暫くすると見えてきた巨大な滝。
その横に続く小道の途中に乾いた血痕が見えた。
大量とまではいかないが、明らかに怪我を負ったのは確かだろう。
馬から降りて触れてみれば完全に乾いているというわけではなさそうだ。
あたりを見渡してみるが、手練れの山賊のようで馬車の足跡まで全て消し去ってある。
これでは痕跡を追うのは無理か。
「兵士長、どうしますか。」
「襲われたにしては血が少なすぎる。護衛は何人居た?」
「護衛は付けられていなかったようです。」
「…あの噂は本当だったのか。」
「一緒に居たのは兵士長の砦へと向うためだけに選出された御者と専属メイドのみだったと。」
「…私のミスだ。伯爵によって全て仕組まれたものだろう。」
「そんな!?自らの娘を山賊に殺させるんですか…?」
「陛下曰く、次女は器量も要領も悪い娘だと周りに愚痴をこぼしていたらしい。私に嫁がせたのは伯爵がいつか娘に手を出すのではないかと危惧したからだ。五爵の不祥事は陛下の監督不行き届きになるからな。」
「…相変わらず、貴族は腐りきってますね。」
「カイル、この辺りに居る山賊を知ってるか?」
「一番勢力が大きいのはあの山にある集落の頭領ヴィルヘルムですね。残忍な性格で金さえ貰えば何でもやるらしいですよ。」
「場所は?」
「行かれるのですか。」
「あぁ。」
スティーグの言葉で動き出したカイルと呼ばれた金髪の青年は隣の山へと馬を走らせていく。
深い山だが慣れているようで、上手く木々を避けながら山頂へと進んでいった。
「見張りが何人もいましたし、こちらの存在は既に上に知られてるかと。」
「そうか。」
「正面突破するには多勢に無勢過ぎますね。」
「襲った者でなければ戦う意味はない。」
「話が通じればいいですが…。」
そう言ったカイルが溜め息を零すと目の前に大きな門が見えてくる。
オークの骨で作られたそれはいかにも山賊の集落らしいもので鋭い視線が集まってきた。
「私はスティーグ・バリエンフェルド。ライズ帝国軍の兵士長をしている。ここの頭領に聞きたいことがあってきた。」
「帝国の野郎が頭領に何を聞きてえんだ!」
「グレッグ、あまり刺激しないように。頭領は少し席を外しているから。このギルバートが代わりに聞きましょう。」
「先刻、ティヌの滝でセルモンティ伯爵の御令嬢が山賊に襲われたという。何か知らないか。」
「セルモンティ伯爵…。その令嬢と貴方の関係は?」
「夫婦になる予定だ。」
「だそうだよ。頭領、どうするつもり?」
ギルバートがそう言うと、今しがた川から戻ってきたヴィルヘルムはロザンナを抱えたまま中央にある大きな椅子へと腰掛ける。
髪の短くなった彼女はスティーグからの距離では探し人とは気付かないだろう。
「どうするも何もねえだろ。襲ったのは紛れもなく俺だ。」
「…殺したのか。」
「伯爵とやらから聞いてねえのか。」
「…命を落としたと聞いたが、あの出血量では怪我程度だろう。何処に隠した。」
腰に挿していた鞘から剣を抜くと鋭い視線で彼を見据えている。
一触即発の雰囲気に彼らを巻き込む訳にはいかないとロザンナは身動ぎをしてみるが、強い力で抑えつけられ。
彼の腕の中から出ることは叶わなかった。
どういうつもりなのだろう。
彼に私を差し出せばそれで済む話だ。
ややこしくするメリットはない。
「ヴィル?」
「黙ってろ。こいつは俺の嫁にすると決めた。お前に渡すつもりはねえ。」
「…こいつ…?まさかそこにいるのがロザンナ嬢なのか?」
「こんな度胸のある女は初めてだ。兵士なんかには勿体ねえだろ。」
「彼女は王命で私の妻になることが決まっている。」
「だからなんだ?俺ぁ山賊の頭領だ。王命なんてもん端から気にしちゃいねえ。お前はそいつのところに行きたいか?」
ヴィルヘルムはやっとロザンナへの力を緩めて自分の膝に腰掛けさせると、軽くため息を零していた彼女はスティーグへと視線を向ける。
写真で見た令嬢とは違い冷たい視線。
本当に同一人物なのかと疑いたくなるものだが、藍色の髪に綺麗な青い瞳は間違いなく彼女のものだ。
「…スティーグ様。来てもらって申し訳ないけど、婚姻の話は白紙に。」
「…まさか、山賊に好意を持っているのか。」
「それはないよ。ただ、私は実の両親から命を狙われた身。きっとまた狙われる。それならいっそこのまま死んだことにしてお互い次の人生を歩んだほうがいいでしょ。」
「というわけだ。兵士長とやら、お引取り願おうか。グレッグ、外に摘み出せ。」
力なく握っていた剣は彼等に向かうことはなく、静かに鞘へと収められると門をくぐり出ていった。
本当にこれで良かったのかと自問自答してみる。
元々今回の婚姻は伯爵に彼女を傷付けさせないための口実。
表向きは命を落としたということになっているが、本当は生きているのであれば目的は達しているのではないか。
彼女の言う通りこちらに来たところで遠征などで砦に居ないことも多いため、その隙を狙われれば守り抜ける自信はない。
ならばこのまま存在していないと思わせていたほうが安全になるのではないだろうか。
そう考えながら砦へと戻っていくのだった。